2日目。前夜から雨。下見ならさして支障はない。かえって、過重積載の行商やらなくていいと思うとほっとする。まだ肩が痛い。
これだけ降るなら明日はきれいに晴れるだろう。候補地をどこか見つけておかないと。
市バスの一日乗車券は見送り。区間が限られるほうは500円、市バス全路線と地下鉄2系統が使えるほうは1,200円もする。2日券でも2,000円。地下鉄なんて外が見えないからバスで充分。それも名古屋くらいはりめぐらされていればともかく2本ではね。500円のほうにして銀閣など区間外部分を別途払ったほうが安く上がりそう。何も1日2日ですまそうってんじゃないんだし。
修学旅行で降り立った時には、京都というのは100年以上前の地図がそのまま使える土地だと思っていたので、四角いビルが並んでいてがっかりした。でも、東京の街並になじんだ今の目で見れば充分古く見える。いや安普請で古い民家が市街地でも多いということだが。景観保護地域に限らない。戦災で焼かれなかったということと、それにより消防署の締めつけがゆるいからではないか。このような合理的解釈がここの身上。京都に来たからといって、土地柄や文化がどうなどというもの言いになどなりはしない。
光都市だけあって街中に地図が整備されており、地図買わなくてもさほど不便はない。仙台や名古屋とは違う。
八坂神社。狛犬の吽のほうに角が生えている。一角獣。しかも4対もあるうちの3体がそうなのだが、うち1体はかなり短い角で、残りの1体のたんこぶみたいなのも角なのかもしれない。造作も素材もまちまちなので、別の彫師の作なのだろう。一対は柵で囲われ、人間という最大の猛獣から保護されている。
大谷御廟。参道が長くて皇族の廟かと思ったら、親鸞上人の墓だった。そこらの本堂なみの大きなお堂もあるが墓自体は石造りの地味なもの。でもそのまわりが豪勢。となりに東大谷墓地。東本願寺派の霊園。京都には墓場がないなと思っていたのだが、市街地化によってつぶされてこういう山のほうに集約されたか、もともと山にまとめられていたかだろう。この近くに本願寺の開基の地もある。でも、集約したにしても狭い気がする。あれだけ寺があるのに、これだけの墓所で足りるのだろうか。地価がずっと高いはずの東京でさえちょっとした寺に墓所が隣接しているというのに、これは謎。
その先の長楽寺は拝観料500円。階段を上った先で有料と知らされる鎌倉型。屋外の三脚使用はOK。しかし階段の先に見える本堂が冴えないので行く必要なし。だいたいしょぼいところほど金を取る。行ってみてこりゃだめだと判明しても金は払ったあと。
これまで見てきたなかで、境内の案内図があるところは例外なく実際より広く実物より大きく描かれている。東京でも千葉でも。しかもどこか大和絵ふう。やや逆遠近法気味。あれも妙なもの。
吉水弁財天女の狛犬は赤いコケ状のものが生えている。
安養寺は法然親鸞の草庵だったらしいが、宗派の二股かけてまずくないんだろうか。お堂も草庵ふう。
しばらく歩くとまるで格の違うぶっとい柱が見えてくる。知恩院の鐘楼。巨大な鐘。日本三大鐘とかだそうだ。降りていくと知恩院御影堂。浄土宗総本山。2013年法然700年の幕。古くて巨大だが近隣に車が並んでいる。世界遺産級でないと境内に車が止まっちゃうらしい。塩ビの雨どい。講堂は改修中。阿弥陀堂は屋根が二層。奥には金に光る大きな像。一部の室内に入ると有料だが、外を見て回るだけなら拝観料など取られない。御影堂は靴を脱いで上がって中を見ても無料。総本山クラスが誰でも差別なく参詣できないようでは宗教施設として成立しなくなるということだろう。三脚OK。こりゃやらないわけにもいくまいて。ただ、御影堂の幅のわりに引きが浅いので収まるかどうかわからない。雨の下見とはいえ箱だけでも持っていくべきだった。山を登っていくと法然上人の御廟。こちらは親鸞とちがって遺骨を祀る小ぶりな祠があり、それに付属する、もっと大きな規模のお堂もある。充分立派なんだが、親鸞にくらべると見劣りしてしまうのは、本願寺知恩院の寺勢の差なんだろうか。
徳川家の寄進だとかで葵のご紋。順序は逆だが降りていって三門。これがすさまじく巨大。しかも国宝。10数年前に改修したらしく、銘板に費用負担の内訳が書いてある。総額7億5千万。半解体修理で、だ。たいへんなものである。国庫負担が4億1千万、府と市が1千万、3億強が所有者他、とある。所有者というのは実際にはなんなのかわからないが、体裁としては宗教法人だろう。国宝だから国庫からは出るとしても、宗教法人が自腹で3億拠出できるだろうか。このあたりに京都と鎌倉の差があるのではないか。
京都ではそこらじゅうに外国人観光客がいるが、鎌倉ではほとんど見ない。せいぜい中国人が東京観光のついでに大仏を見る程度だろう。外国で観光地として知られているとは思えない。観光バスで大勢乗りつけられるような駐車場も鎌倉大仏長谷寺くらいしか見た記憶がない。参拝客は大勢いるが、その大半は東京あたりから日帰りで来る年配者か修学旅行生なのである。JRで来て徒歩で歩き回ってさっさと帰ってしまうから、旅行会社にも金を落とさないし、宿泊代も使わない。せいぜい売らんかなの土産物屋で小銭落とす程度。一方で京都では、泊りがけの客が多いからたくさんの宿泊施設がまかなえるし、飲食店も成り立つし、旅行関係にも金が落ち、雇用も確保される。それらの業界は観光資源であるところの寺がなくなったら商売が立ち行かなくなる。だから建築費がかかるとなったら地元経済界が進んで寄進するのではないか。知念院では瓦の葺き替えで小屋に専従2人置いて募金を集めていたが、個人参拝客の募金などたかが知れている。地元が相応の負担をするのだろう。東京だったら石に名前を刻んだりしてすますのだろうが、総本山クラスではそんな俗っぽいものは見た記憶がない。日頃充分な見返りがあるからそんな申し訳はいらないのだろう。すべて損益共同体。京都には仲見世とか門前町のようなものはなさそうだ。街全体が門前町。鎌倉みたいに参拝客から小銭を恵んでもらわなくても充分やっていけるしくみができている。そういうことなのではないか。
では、どうしてそんな差がついてしまったのか。鎌倉は東京から近すぎたということもあるかもしれないが、京都と大阪の差だって同じくらいだ。いろんな理由はあるのだろうが、合理主義的解釈を一くさり。それは鎌倉が県庁所在地でなかったという点が大きいのではないかと考えてみた。新興の横浜が経済的に成長し、神奈川県の中心地の座を持っていかれてしまった。鎌倉は慌てず騒がず古都として優雅に構えていればいいということになるだろう。一方で京都市京都府の中心であり、京都府の産業振興のいかんは京都市にかかっている。経済の中心は大阪にある。京都は観光しかない。京都の観光産業が府経済の盛衰を左右するとなれば、府を上げて国際観光都市の地位を得るべく必死で奔走するだろう。県庁所在地で予算も取れる。人口も増え、やがては政令指定都市にもなる。自治体としての扱いがまったく変わる。国宝の審査がどうなっているのか知らないが、有識者による審議会のようなものが決めるのだろう。当然政治的影響力の渦中にあるだろう。そこで並の市長なり市議と、政令指定市の市長あるいは府知事や県議とではまるで力が違うし、地元選出国会議員も動かせるのではないか。文化がどうとか言っても行政は動かせない。しかし金を生む観光資源となると高層建築を制限する条例までつくってしまえる。観光資源の恩恵にあずかっている地元有権者が文句を言うはずがない。そして巨大な金をかけて宣伝するし、冬場の閑散期にはキャンペーンを打って、日頃は非公開の場所を特別に拝観できる催しを有名どころにこぞって行なわせ、集客を稼ぐ。こんな努力を鎌倉市はやっていない。ただ漫然と、ほっとけば客は来る的な殿様商売をやっているだけにしか見えない。長期的に見れば鎌倉は衰退していくに違いない。衰退とは直接には観光地としての衰退だが、収益が悪化すれば維持費も捻出できなくなり、文化財としての衰退も意味する。観光しかない、観光で地元経済を活性化させる、という意気込みがあったかなかったかの差なのではないだろうか。
重要なのはこの先。「この写真」で生計を立てるしかない、という覚悟もなく、他の手段による収入の維持に甘んじている限り、結局は鎌倉と同じ途をたどることになってしまうのだろうか。
高台寺は入るとすぐ拝観料徴収。本堂は枯山水の庭で、内部を拝観できるが正面からは見られない。正面の扉を開ければ見られるが、それでは外から丸見えで拝観料が取れなくなってしまう。撮影の必要皆無。ここは豊臣家ゆかりの寺とのことで、TVがらみで客を集めたようだ。でもそんなのはたちまちしぼむ。そこらじゅうに貼ってあるポスターもこれから風化してどんどんうらぶれていくだろう。
その先に霊山観音。まあ特には。
大雲院の本堂は新しそう。だが閉まっている。脇にある、屋根の上に柱がにょっきり伸びて上に鳥がとまっている建物は、現代の建築家が設計したとかで評判になったものではないか。低コストで目立つという意味ではいいアイディア。
安井金毘羅宮の御札が貼りまくられた石がこわい。白人がRolloreflexを構えていたが、あの明るさでは絞り開放でISO400でも1/16sとか1/8sではないか。17時。そうか吉田寮にあったあのTri-Xの残骸はああいう外人観光客のかも。
臨済宗建仁寺は古くて屋根二層。木が迫っていてたぶん隠れる。撮影の必要はなかろう。ここも門が立派。道元が修行したという。
摩利支尊天には狛犬でなくイノシシ。牙が生えている。それも4対。阿のほうはどうにもしまらない。クジラが笑っているように見える。有隣館は鉄筋のビルだが屋上に八角堂。入り口両脇には毬を転がす狛犬東京都庭園美術館の前にも毬を転がすのがいたが、毬の中がくりぬかれていて、中に丸い石が彫り残されているものだった。これは高度な技術を要するらしい。
コンパクトデジタルカメラの電源がもう切れてしまった。もっと持つと思っていたのだが、暗くてフレッシュをたいたせいか。しゃーない乾電池買うか。充電器持ってくるんだった。これだから電気式カメラは信用ならん。