5日目。また朝から雪。ときどき晴れ。京都の冬とはこんな気候なのか。気象庁の通年データを調べておくんだった。
京都**所。意外に小さい。赤坂*誤用*地のことを考えると警備があっさり。やんごとなき方々が実際に住んでいないからだろう。でも定期的に車が回っていて、荷物が重いのでおきっぱなしにして離れた門を覗いていたら注意された。門は茅葺だが撮影には及ばない。塀も低く奥に瓦屋根が見える。一部工事中で、塀の中には民家にしか見えない建物がある。職員の住まいなのか。中は見てないからわからないけれど、わざわざ見る必要もなかろう。
**神社は紙幣にもなった神社らしいがその後移転して社格が落ちたのだろうか。ここもイノシシが守っていたようで、イノシシはここが発祥ということだったような。
東福寺は広い。東福寺派大本山だったか。観光客も少ない。奥に続く橋が紅葉期の観光名所らしく、そこは拝観料をとる。しかしこの時期は観光ルートにも入っていないのだろう。当然見る気もしない。その先の建物には興味があるが、中に入っても意味がないし、三脚使用不可。一方金堂は参拝自由。堂本印象による龍の天井画。金堂は屋根2層、焼けて後世の改築。しかし南側の三門は鎌倉時代だったかの創建時のまま。ただ秀吉の時代に四隅に補強の柱が追加されている。国宝。これがいい。梁を白く塗り雄渾な造作。2階建てで屋根も2層だが、上の屋根が下とほぼ同じサイズで、下がさほど目立たずいい具合。正面に池があり橋がかかっていて、その橋の上から撮影できれば最上のカメラ位置なのだが、柵で囲ってあって入れない。頼んではみるがまず無理だろう。そのうしろからでも充分。前からでは近すぎ。南禅寺の三門のように木に隠れることもない。ほぼ南向き。11時くらいからがよい。
ここはいいお寺。今まで京都で見た中ではいちばん気に入った。森の中で深閑としていながら木に埋もれず晴朗。
近隣にいくつか小さな寺。光明寺だったかは、どうでもいいという人は入らないでください、庭園の自尊心を傷つける、ぜひという人だけお入りください、などと書いてあり、ひるんで覗いていたら、ここはいいお庭ですよ、と初老の男性に声をかけられる。でもしまっていた。紅葉の時期にはいいのだそうだ。地元の人らしいが、寺めぐりをするのは観光客だけではないのだった。
伏見*稲荷*大社。お稲荷さんの元締めか。京都には格式の高い神社は多いが、それでも寺の数と存在感が圧倒的なのでかすんでしまう。それに神社というのは建物を見て立派だと満足させるようにはできていない。肝心の本殿はたいてい隠されているし、拍子抜けするほど小さい。美術品や歴史的所蔵品や由縁も少なく、知的興味を満足させる要素に、少なくとも表向きは乏しい。必然的に京都旅行は寺院めぐりとして商品化されることとなる。ここはそうしたなかでは観光名所として成功している神社だろう。門前町もある。楼門は豪壮。構えたと思うがうまくいかなかったような。右のキツネは球、左はカギつきの巻物をくわえている。わりあい近年の彫像。キツネはめったにおもしろいのがない。本殿は裏側にも回れる。神木らしきものを軽く祀ってあるがずいぶんあっさり。舞殿型の拝殿は関西の神社にはみなあるらしい。あちこちにキツネ。見ものは千本鳥居。どこかで見たことがあるが、ここのは朱塗りでほぼ全部同じ型の「奉献」と書かれた鳥居がはてしなくえんえんと続いている。不気味。一山これが続いているらしい。でも帰り道に裏から見ると寄贈者が書いてあってとたんに俗世間っぽくなる。一本目、入り口にあって「伏見*稲荷」の額がかかっている鳥居にはでかでかと「電通」。そういうことか。
ここの近隣にはいくつか寺もあったらしい。行っとけばよかった。
戻って泉**寺。皇室の菩提寺だったらしい。門には「御寺***寺」とある。「ザ・寺」ということか。16時閉門ですでにやっていない。拝観料500円。しかし御陵に行く道からほぼ全景が見える。仏殿も、それよりやや小さい何とかも2層で撮影には及ばない。さらに奥に仏殿よりは小ぶりの茅葺の建物があり、これは塀で囲まれている。ちょっと気にならなくもないが、これだけ見ちゃったらまた来て金払って見る気はしない。その下の今熊野観音寺は、場所としてはすっかり山寺。なのに観光客向けの休憩所がある。参道途中の戒光寺には10mの観音像があるというので、拝観料もないことだし入ってみる。運慶・湛慶作という木造の観音像。立像で光輪も含めて10m。木造としてはでかい。あんな小さいお堂に入っているのが不思議。遠くて暗いのでよく見えないが、光輪の彫刻も手が込んでおり、もっと評価されてもよさそうだが。運慶・湛慶作の確証がないのだろうか。張り紙があり、「当寺は参拝寺院なので拝観料はいただきませんが、ご覧になったかたは必ず線香と蝋燭をお供えください」とある。各50円。なるほど。たぶん立派な資産があるのに、商売に走らずこのように本道に徹しているお寺もあるのか。
カメラバッグが早くもへたってきた。そりゃないよ。まっすぐ立たなくなりつつある。軽くするため下の気室を空けてあるので、ウレタンが上部の重さで曲がってきているのだ。立てて上から機材を出し入れするためにこれにしたというのに、結局置くときはへたりを進ませないよう寝かせているありさま。写真機材に重いものはないのだが、パソコンが重い。下の部分の前面に荷重を支えるウレタンが入っていないという構造上の問題。やはり下もボックスになっているLamdaのほうがしっかりしているのかもしれない。
重荷を背負ってよれよれになりながら、ただみずからの意志のみを理由に歩き続けていると、自分が修行僧に思えてくる。実際、これらの寺をかつて巡っていただろう修行僧とあまり変わらないのかもしれない。
やっと市バスの路線図を入手。何かないと効率悪くて。ダイソーを見つけ単3乾電池もようやく購入。四条河原町に京セラコンタックスサロン京都なる看板が。しかも2件。少なくとも1件は存続しているらしい。えっ京セラコンタックスなるものはもはや存在しないはずなのだが……。カメラのドイがなくなってもドイフォトプラザが残ったり、コニカミノルタが写真産業から全面撤退してもギャラリーが続いているようなものだろうか。銀座のコンタックスサロンってどうなったんだっけ。コンタックスのブランド商法が京都で受けるのは、さもありなんという気がする。