14日目。朝から曇。もう2週間か。
吉田寮に戻り荷物を置く。デポできるのがここのいいところ。まともなカメラじゃやめといたほうがいいけど。天気悪くて撮影できないのが明白なのにあの荷物を道連れにしなきゃならないのは苦行以外の何ものでもない。
仮眠後箱とパソコンのみ持って丸木町から京阪電車。途中で晴れ間がのぞく。低い雲が高い雲を背景にしてどんどん動いていく。地上から雲までの距離であれば両眼程度の間隔では視差がほぼ生じないので両眼視による立体感は生じない。でもこのように移動することで空間把握が可能になる。これを何かにできないか。写真やらいわゆる映像では無理。だからこそこのようなおもしろいと感じるのだけれど。じきに全天雲に覆われる。
宇治へ。駅で観光地図入手。宇治市長岡京市より観光地としてやっていく気がありそうだ。駅舎もめかしこんでいる。
めぼしい物件は宇治川流域に固まっている。さほど歩かなくてすみそうでありがたい。宇治川も石で護岸してあり景観に配慮している。橋も朱塗りで欄干つき。いい川。
橋寺放生院はしょぼい。宇治神社は木造の狛犬を持っていたらしいがどこかに寄託してあるらしい。このへんの狛犬の吽型はみな角つきのようだ。そのすぐ上に国宝で世界遺産宇治上神社。拝殿の前の左右に砂が円錐状に盛ってある。清め砂とかいったか。その上の本殿は三つあったのを後世につなげたらしい。あとは湧き水。それだけ。えっ、こ、これだけ? 観光客はたいてい期待を裏切られるだろう。古くて歴史的価値はあるのと、宇治にも観光資源の箔のおこぼれをってことだろう。一般的な神社に見られる装飾的な要素もこけおどしもなく、簡素で無骨なところがえらぶってなくて好感が持てる。社務所の前にはそっくり返った狛犬様の石造があるのだが、どちらも阿形で正面を向いている。
街全体に観光客ウェルカムな雰囲気が充満している。嵐山や大原よりも案内板が多くて道に迷わない。源氏物語千年紀とかいうのぼりも随所に。
恵心院はたいしたことないくせに三脚不可。山門の鬼瓦の隣に雲のような煙のような爆発のような飾り瓦。
石で組まれ木と瓦を載せた総門をくぐり、長い坂の参道の上、鉄コンの足の楼門の先に進むと興聖寺がある。豪壮ではないが静かないい禅寺。背には山。東禅寺には千対地蔵尊があり、お堂の中にこけしのような仏像がずらり。
ここにも中洲。鵜が狭い小屋にたくさん閉じ込められている。衛生状態も悪い。鵜飼の鵜らしく、夏場の稼ぎ時にはこき使われてオフシーズンには幽閉されるらしい。女性鵜匠なにがしの写真がたくさん貼ってある。よくいるよ目立ちたがりでちやほやされたがりのこういう人。
対岸には生長*の家*宇治*別格*本山の屋根が見え、どうかとは思うが緑青ぽい緑なので気になる。わたってみるとただの鉄コンだった。
そして本命の平等院。敷地は思ったほど広くない。塔頭には人が住んでるような気配。囲われた中に墓地があり、外につながっているかも。平等院はもはや宗教施設ではなく鑑賞対象になりきっているであろうが、塔頭は宗教施設として機能しているらしい。塔頭の飾り瓦は桃らしきものと葉。観音堂は緑地が切迫しており引きがとれず。南門は改修中。
鳳凰堂。これはもはやものが違う。焼失を免れ基本的には創建当初のままということもあろうが、とにかくこれまで見てきたものより造形に対する配慮が格段に払われているのはすぐにわかる。それは当然で、法要のための堂宇が見てくれを最優先にできていたら問題だし、大人数を収容し権勢を誇示する大伽藍は強度上設計に制約があるのだろう。鳳凰堂は比較的小さいので自由度が高そうな気がする。屋根は2層だが上のほうが広い。そのため上のほうは朱塗りの塗装が残っており、下のほうほどそれが剥落して木肌が黒くなっている。下の屋根が屋根としての実用性を持つためにはある程度軒先を長くとって雨が側面にかからないようにしなければならないが、それより見た目のほうが重視されているのだろう。残った朱塗りからかつての真っ赤な絢爛たるありさまがしのばれる。今でこそ枯れているが、創建当時は度肝を抜く派手なものと映ったに違いない。しかも当時の流行思想を喧伝するための建造物であり、流行の最先端のとんでもないもの。今ならなんとかヒルみたいなものか。もっとも、地下にもぐっているなんとかヒルが最新の流行思想の反映なのかははなはだあやしいし、たっぱのあるほうはなおさらだが。
飾り瓦はこちらも桃に見える。もっとも創建当初は桧皮葺だったそうで、瓦に葺き替えたのが鎌倉期、それも残っておらず江戸期の瓦に一部明治期の改修寺の部分が混在しているという。なるほどあるところで瓦の色が変わっている。池に沈んでいたか発掘された初期の鬼瓦が展示されていたが、今のほうが強そう。ただ、この建物は桧皮葺のほうが合うように思う。屋根には鳳凰が2羽。
正面は東向き。これは午前中に見るべきものだろう。正面には階段があり、そのすぐ手前は砂が敷かれ、灯籠があり、そのこちら側に石がまかれ、さらに池が広がる。池を隔ててでは距離がありすぎる。鳳凰堂内部拝観はしなかったが、靴を脱がされて板間を歩かされるようだ。板は階段の前までで、階段には下りられないようになっている。灯籠の前には下りられるのかと尋ねたら駄目だと。そりゃそうだろうなあ。灯籠より近づくと見上げ角度が大きすぎるように思えるし、灯籠のうしろでは灯籠に隠れるような気がする。仮にあそこに立てたとしてもうまくいくかどうかわからない。池の上? なおさら無理だ。いずれにせよ立ち入りが許可された場所からではこの箱での撮影はできない。残念だがいかんともしがたい。三脚は入れるところではOKとのことだったが。場所の奪い合いになるようなものでもないということだろうか。
財布から10円玉を出して見くらべる人。ここは修学旅行のコースに入っていたかもしれない。同じことをやったか誰かがやっていた気がするから。やや晴れてくる。太陽が画面に入るのに正面から撮影する人。右にビルが2棟見えるのが残念。京都市ほどは規制できないのだろう。
鳳翔館なる資料館はガラスを使ったりサインディスプレイに凝ったりして東博法隆寺館とか最近の現代美術館を意識したと思われるつくり。広い展示空間を限られた素材で埋めるためなんとも贅沢でもったいぶった空間の使いかた。全体に暗い。鳳凰像のオリジナルはこちらに展示されているが、法隆寺館調のライティングで、尾を強調したい意図はわかるのだが、それ以外のディテールが暗くてろくに見えないのはまったくいただけない。2体あるんだからもうちょっとやりようなかったのか。木造の仏像がにゅっと絞ったソフトクリームに乗っている。
展示の最後には、土門拳入江泰吉と十文字だか何文字だか知らないが遠からず間違いなく忘れられる広告写真屋と聞いたことない人の写真がある。平等院へのオマージュだかそんな調子で。すべてカラー。土門はたぶん鳳凰堂北東側の通常では入れない場所からではないか。いや池のこちらから長玉だったか。色収差がはっきり。知らない名前の人は堂内をくまなく照らして撮影。ああはなれない。根本的に、なれるはずがない。あのようにありがたがって展示されるような写真の逆をめざしているのだから。
縣神社チラ見後、黄檗に出て萬福寺。総門は赤く、巨大なしゃちほこがある。西向き。行きましょう。ここは広い。三門は木に隠れる。この先から500円。途中からも入れる。手前の堂は1層だが台上で背が低く七福神の旗が大量にはためいている。木にもたぶん隠れる。次の本堂は巨大で豪壮だが2層、やや木あり。先の法堂は1層、一転して簡素。うしろからちょこんと木が突き出す。他にもたくさんの堂宇。禅堂はすっかり木に隠れる。祖師堂は小さい。伽藍堂というのは実際にあるのか。1層。斎堂。蔵林寺×萬寿院小さい萬松院鉄コン龍興院×宝蔵院300円宝善院×。龍神総宮社はずいぶん歩き坂をのぼりきったところで直立する金色の鳥居が目に入る。警備員らしきのも。建物は目新しい。神社なのにろくに木もない。囲いの中で何か燃やしている。全体におかしい。あれだけ歩かしてこれか。能化寺は小さい蔵。
宇治はまた行きそう。いいところ。平等院という強力な玉があるのが観光地として大きいのだろう。花頼みの寺と違い通年で客を呼べる。長岡京市はこれぞという決め手に欠ける。
足のマメが血マメ化しつつ角質化。