16日目。雨。前日吉田寮前で思いっきり転んで両手のひらと両ひざにケガ。歩くと痛む。手は何もしなくても痛む。しかも東京の部屋で階下に水漏れとの連絡があり、落ちついて寺まわりできる心境でもない。しかしとにかく一日ある。京都はだいたい回りつくしたので、大阪か奈良か迷い京阪電車から近鉄線に乗り換え奈良へ。高校時の修学旅行では自由行動日が設けられていて、大阪と奈良と、あとは嵯峨あたりだったのだろうと思うが、全部で5カ所から選べたのだった。大阪に行く人間が多かったのに奈良を選んだのは、日本史には興味がなかったわりには、古い日本の中心を見てやろうという気があったということなのだろう。鮮明に覚えているのは、鹿。自由行動時には有料ゾーンに入場しなかった気がする。今となんら変わりない。
さすが奈良ともなれば案内図も完備している。京都ではむしろなかなかもらえなかったが、観光案内所もわかりやすく、斤量が高すぎて、ぶ厚く折りづらい案内図が山と積んである。京都市バスの路線図のように開いたり畳んだりするうちに折り目から裂けてくることはなかろうが、そんなに何度も見るほどの情報はない。
まずはすぐそばの興福寺。公園がいつのまにか寺になっていて、広いのかどうかも判然としない。どこから寺なのかわからないこのあれれという感じと、寄ってくる鹿とに、かつて来た記憶がうっすら。中金堂は再建中。その向かいが東金堂だったと思うが構えてもうまくいかず。六角の南円堂も同様。でもあまり気をいれて見ていなかったので、もう一度行ったほうがいい。
氷室神社も何やら工事中。よくある神社。
そしてついに東大寺。にょっきり生えた大仏殿の金のツノが遠くからでも見える。南大門は2層の堂々たる大門。両脇の金剛力士像は並の仁王像の3倍はある巨体。体躯の分厚さも並外れている。裏側には獅子像。これもおもしろかったのだがメモをなくして詳細が思い出せない。5日も経つと忘れてしまう。南大門に構えてみるが見上げ角度と幅のかねあいがうまくいかない。木もかかる。進んで中門。朱塗りで単層。南大門ほどの人を圧する迫力はないが対象としてはこちらのほうが好適。南向き。これは候補。中門の内側に大仏殿に至る道があり、そこから有料。別に払ってもいいのだが、中門の先は三脚不可。それでは入っても意味がない。遠目に大仏殿を眺める。鴟尾がきわめて印象的。2層だがこれはうまくいくと思うんだよなあ。金閣寺平等院鳳凰堂東大寺大仏殿、世界的に有名な日本の寺院建築といえばこの三つだろう。別枠で浅草寺雷門もあるか。どれも思い通りの場所での三脚撮影はできない。金閣寺は池にはばまれて、仮に撮影可能であってもおそらくうまくいかないのではないかという気がする。平等院もそうかもしれない。池の中に三脚を立てるなり台座を組むというのはさすがに現実味に乏しすぎる。まあそう思ってあきらめるのが妥当。しかし東大寺大仏殿は、許可さえあれば正面に構えて撮影が可能なのだ。なんとかならんか。問題は、一人許可したら歯止めがきかなくなると判断するだろうという点だけなのだ。かけあってみるか。でも、無駄なのは明白。今は無理でもいつかなんとか。大仏殿の裏に回ってみるが南向きなのでいかんともしがたい。しかも裏側の正面も関係者以外立入禁止とある。後ろ髪引かれつつ正倉院へ。ここは北側から拝むのみ。東大寺の寺領に戻り塔頭を覗く。飾り瓦は桃だったか。坂を上がり二月堂。清水寺上醍醐寺の如意輪堂のように斜面に建てられた舞台造。風格あるが見上げ角度が大きすぎ。ここを無料で見られるのは大盤振る舞いだけど、そんなに太っ腹なら大仏殿を三脚可にしてほしいもの。三月堂は小振り、四月堂はさらに小振りだったような。不動堂だったかは忘れた。鐘楼は見なかった。かつて七重塔があったが焼けてしまい、屋根上の相輪だけが残っているというのを修学旅行で見て、薬師寺東塔を見たあとだけにもったいないと思ったのを覚えているが、それはおそらく東大寺のものであろう。しかし見そびれてしまった。調べると大阪万博時に七重塔を模して建てられたパヴィリオンに載っていたレプリカらしい。記憶はあてにならないもの。
手向山八幡宮を抜けて春日大社。500円で本殿前の中門まで入れるらしい。門がいくつかあり朱塗りで悪くはない。鹿島神宮香取神宮の分霊でそれらより新しいのに世界遺産というのはやはり奈良の強みか。ここいらの鹿ももとはといえば鹿島神宮から連れられてきたもの。
池の先に鴟尾つきの瓦屋根が数棟並び壮観ではあるがまっとうな寺とは思えない。ホテルとの由。元興寺をめざすが遠回りしてしまう。足を引きずり、しかも荷物一式所持で、新薬師寺まではるばる歩く。南門前からいきなり有料、500円だったか。国宝と大書してあるが覗くといかにも貧相。となりに神社。
しばらく戻ると奈良市写真美術館。浅い屋根の寄棟造で、平たくこぢんまりした建物。庭園改装中のため観覧無料とのことで入ってみる。「入江泰吉 大和路巡礼」。斑鳩の寺近辺の日常風景から急に堂宇と仏像のかしこまった撮影に飛ぶ。これが寺院や仏教彫刻のステレオタイプといったおもむきで、非常にうまいとは思うのだが、どこかで見たようなものばかりでまったくおもしろくない。仏像は静的で上品な照明、建築は夕刻や曇天で情緒纏綿、いずれも正面からの図録的な構図ではないが、どこか模範的で絵ハガキふう。印刷原稿用途に見えてしまうのだ。そういったステレオタイプ創始者がこの人なのかもしれず、「どこかで見た」のはこれをみながパクっているからということはありうる。その点ではオリジナルというべきなのかもしれないが、当時の商業撮影の手法をこういった対象に適用しただけという気もする。それは放言としても、様式が完成されると様式が一人歩きしてしまう例とはいえるだろう。この方面の専門家としての肩書を固める途上の仕事、あるいはそれに縛られてしまったかに思える仕事よりも、寺が遠くに見える何気ない田園風景に人々の生活があるような、50年頃のモノクロの6x6判の写真のほうが伸びやかでずっと好ましく思える。
使用機材として、フード付きの古いHasselbladと、IV型かV型のSuperTechnikaをGitzoの今でいう3型クラスのわりあい華奢な三脚と3ウェイ雲台につけたものが展示されていた。さほど使い込んでいるふうではなかった。他に2台ほど、ひとつはブローニーのスプリングカメラだったか。
戻って元興寺世界遺産ということで大伽藍を期待したのだが、とっくに焼けてしまったようで残るのは小規模な古い堂宇。それでもいきなり拝観料500円とか。どのみち17時過ぎで閉門。
京都に戻って高速バス。ひとまずこれにて今回の旅行は終了。結局1枚も撮影できず。