結局Mac買った。でもこれまでApple製品を買ったことがなかった。もともとDTP普及前夜の浮かれたMacintosh信奉に違和感があったため、質実剛健DOS-V機を生産していた台湾のUMAX製のMacOS互換機から入って、2台目もUMAX。その後互換機メーカーをぶっつぶしたApple憎しの念が今なお続いている人間なので、もうずっとMacなんて信用してない。でもその後も人からもらったPowerbookを2代に渡り使い続けて、このOSを使っている機械については、たいていの不調を自力で解決できるか、最悪の場合にもその原因を特定できる程度には使い込んでいるつもりだが、WindowsOSでこれと同じ積み上げを一からまたやりなおすと思うと気が遠くなる。世のグラフィック者の多くがあいかわらずMacを使い続けている理由も似たようなもんだと思う。
でも、そこであえて一念発起してなんのおもしろみもないWindowsに移行できれば転機になる、とも考えたのだけど、もうそんな気力と時間をコンピュータごときに使いたくない。どっちだっていいんだが、IntelMacならどっちも使えるので、もう面倒だからこれにした。色管理には一日の長があるようだし。
で届いたのでパーテイション切ってOSインストールしたらフォーマットがまずかったのかまともに起動できず修復もできずやりなおし。しかもOSがアップグレード版なのでその前のOSからいちいち入れ直さなきゃならない。あーめんどくさ。そんなこんなでまったく使えていない。つくづくパソコンつまらん。
パソコンに限らず、もうハードウェアなりメカをおもしろがる時代ではないということなのかもしれない。いや、周囲が変わったのではなくこちら側の問題なのだろうか。現在のアメリカ軍用航空機を見てもどうにも不格好にしか見えず、それはあの国の国力が落ちているからというよりそれがジャンルとして盛りを過ぎたためであるように思えるのだが、今の若い人にはかつてのわれわれにとってのF16あたりに劣らず魅力ある機械なのか。しかし、乗用車には昔から興味はないのだが、今よりは30年くらい前のほうが魅力があっただろうし、もっと昔にはさらに魅力的だったろうというのは、ずっと興味がないなりに想像はつく。世の中でも、車は基本的に完成されきっていてかつてほどのおもしろみはないということになっているようだ。
パソコンもカメラもそれ自体が関心の対象となるような盛りをとうに過ぎているのは確かだろう。水道やガスと一緒で、生活の上で不可欠のインフラではあるのだが、ことさらに追い回すようなものではない。ではその代わりになるものがあるのか。ゲームか携帯電話か。どっちもまるで興味がないので知らないけど、人がそれらに感じる魅力というのは使うことでのおもしろさであって、ガジェット自体への興味ではないのではないか。メカとかハードウェアというものが、もはや全体として盛りではない気がする。それは秋葉原の変遷を見てもわかる。ラジオ、家電街からオーディオ、オーディオヴィジュアル、パソコンへと主力の電気用品は変遷を見たが、もはや電気街ではなくなっているらしい。それはみな通販で安く買えるようになったというだけでは説明できないと思う。愛玩家たちは電子部品にしろ完成品にしろわざわざ出かけていって実際に品定めして買うという過程を好むもので、それを省力化してネットでの発注ですますということは、いちいち出かけて買うことに魅力を見いだせなくなっているからだろう。つまり単なる実用のための道具でしかなく、それ自体が愛玩の対象ではなくなっているということだ。パソコンにしてもそうだが、せいぜい5、6年しか使えないものに愛着をもてというのが無理な話だ。メーカーの裏側がこれだけ見えるようになってきてしまうと、かつてのように特定のメーカーやブランドを信奉して賞賛し続けるのも難しい。もっとも、それでも愛着を捧げるよう強要してくる。新車を買って廃車まで乗りつぶす人は今どきほとんどいないだろうし、次々と売っては乗り換えていくものだろうが、それでもそのつどあるべき自己像を投影して選択するものだと広告は宣げる。飽きてきてそれが維持できなくなったら買い替えるということか。どんな製品もそう。つきあいきれんよ。でもそれにつきあっている人に世の中は支えられているわけで、やはりこちら側の問題か。
しかしながら、そうした中にありながらなおもハードウェアへの興味に後押しされているのが今やっている写真だともいえる。車やオーディオ機器への耽溺とどこが違うのか。できあいのものに期待していない、メカとは到底呼べない、誰もやらない変なことしかやらない、それによって最終的に出てくるものがつまらなくては意味がない。で。