朝7時半、どんより曇。斑鳩に下見にと考え、撮影できる見込もないのに一式持っていく気もしないので、吉田寮に持っていってデポ。麻雀部屋は他に移ったらしく、しばらくは泊れそう。割と年配でリタイアした様子の、しかしちゃんとしていそうな人が泊っている。バスで京都駅に向かう道すがら西に青空がのぞきはじめ、駅につくころにはひょっとして晴れるかもな流れ。せっかく行って晴れたのに撮影できないんじゃまた臍を噬む羽目になるので、来た道をそのまま戻ってフィルムを減らして軽くした荷物を担ぎ、再び駅へ。それやこれやで既に11時過ぎ。今回の旅行でJRを使うのは初。2月に来たときもJRには1度も乗ってない。大和路線とかでもなければ代替交通手段があるのでJR西日本に用なし。
奈良から法隆寺駅。晴れそうにはないがまあいいか。駅からしばらく歩いて法隆寺着。長い石畳で並木道の参道を通って門に着くと、看板に写真撮影禁止の表示があって既にしてだめだこりゃの気配。室内での写真撮影を許可しない寺はたくさんあるが、屋外まで含む全域で手持ち撮影も不可というのは聞いたことがない。それだけ、日本の寺社仏閣は観光客なしにはなりたたず、しかもその観光客にとって写真撮影は不可欠だということだ。一切の写真撮影を禁じたら有名どころの観光寺院の経営は立ち行かなくなる。その威力を今日思い知った。法隆寺は強気な拝観料一般1,000円。団体小学生が500円だったか。12月だというのに300人くらいの高校生の一群がぞろぞろと来ていて、あれだけで20万にはなるだろう。おまけに非課税ときたもんだ。日本最初の世界遺産と、平だか東だか忘れたけどそのへんの山がつく画伯のへたくそな書で謳っているが、もう何のための施設なんだかよくわからない。でその高校生というのがしきりに撮影するわけだ。あれはもう止めようがなかろう。
ちょっと前に日本人観光客のイタリアあたりでの落書きが問題になったが、落書きなら監視員を増やせばどうにかなるだろう。けれどJーPopアーティストのライヴよろしくカメラや携帯をいちいちとりあげるわけにもいくまい。昨日仁和寺でやたら撮影している観光客を尻目に「あんなに写真撮ったってあとから見ないよね」と冷やかに言っている人がいて、たいていの場合その通りなんだろうけど、彼らがしきりに撮影するのは、あとから見るためというより「思い出づくり」とかいうその場での振舞により満足したり、コミュニケーションツールとして盛り上がるために使っているのだから、あとから見るかどうかはほとんどどうでもいい話。それはたぶん昔からそうは変わっていないのだが、フィルムだと普通は後日現像に出したのを引き取らないと撮影内容が見られないので、コミュニケーションツールとしては尾を引く部分があったのに対し、デジタルなら即座に用が足せる。これは便利。というより、何度も述べているように、デジタル化による写真の画期的変化とはその場で撮影内容が確認できるということだけだと思う。かつては撮影内容を見るためには同時プリントしなければならず、そうすると紙焼きが残っちゃうのでやむなくアルバムとかにしていたけれど、今後そういう習慣もすたれていくだろう。
そもそも観光地で写真を撮影するという習慣を広めたのも、他ならぬこの国なんじゃなかろうか。高度成長期以後世界中で跳梁跋扈した、眼鏡で出っ歯でカメラを首からぶら下げているステロタイプのニッポンジン像が、この国を国際的な侮蔑の対象とさせた要因の一つなのだろうが、彼らノーキョーの団体ツアー客が、日本のカメラメーカーがせっせと世界中にメイド・イン・ジャパンのカメラを輸出したのと併行して、カメラを持って観光地を回るという行動形態をもさかんに広めてまわり、結果として日本カメラメーカーの売上向上にも寄与しているのである。かつてのノーキョー観光客の典型像として思い浮かぶのは、ヴェンダースの『アメリカの友人』の終盤で、ダニエル・シュミット扮する暗殺者が駅で殺しをしようとするのを邪魔する、眼鏡でカメラを持ったノーテンキな日本人である。当時ああいうのが世界中で鼻つまみ者だったのだろう。
してみると、われわれがこうやってさまざまな写真インフラの恩恵を受けてへんちくりんな写真をやっていられるのも、彼らが傍若無人に観光地で撮影をするという習慣を確立して世界中で写真の普及を促進してくれたからこそであって、彼らが観光地での三脚使用禁止の趨勢を招いたとしても、文句をつけられる筋合いではないわけだ。
で、ここも中門があって東大寺と同じようなつくり。中門から有料。入って聞くと境内の中は三脚不可とのこと。まあそうだろう。外では三脚OKらしい。タダで入れるギリギリまで入って覗くと、噂で聞いていたとおり金堂は小さい。二層で入母屋造り。特におもしろみはない。うまくいきそうもない。五重塔も古めかしいだけ。しっかり避雷針の電線が垂らしてある。ここは高校の修学旅行で来たのだったか。薬師寺まで行ったのだから寄ってもおかしくはないが見た記憶も特にない。薬師寺東塔は見たのを覚えている。間に飾り屋根入れるくらいなら六重の塔にしちゃえばよかったのに、と思った記憶がある。三重よりは五重のほうが偉そうだし、そうすると焼失した東大寺の七重塔はもったいない、とまあ今と思考様式はまったく一緒。薬師寺東塔が「凍れる音楽」だ? けっ下らんアナロジー。「音楽」を評価のスタンダードに据えるんだったら音楽だけやってろっての。他にも建物がいろいろ。国宝だったり鉄コンだったり。敷地は広い。近隣の水路とか土壁は創建当時のものではなかろうがいにしえな趣き。落ちてる入場券を拾ったが、半券部分にパンチの痕があり、入札済みということなのだろう。
東伽藍と中宮寺はちょっと眺めて通過。このへんは飾り瓦がおもしろい。古代魚のように鱗のでかい魚がそっくり返ったりなんでもない民家の屋根の上で布袋尊が哄笑している。
さらに歩いて法輪時。境内は拝観無料だがしょぼい。三重塔があるだけ。少し先に法起寺入江泰吉の初期の6x6判モノクロスナップそのままに、畑の中に寺がある。ここはいきなり拝観料300円。三脚使用の可否を聞くと、「プロですか」と聞き返される。それが関係あるんですか、とさらに問うと、「プロはお断りしてます」とのこと。どっちみちはいさよなら。ここも三重塔くらいしかない。畑のほうから回って裏側を見ようかと思ったが、無料らしいコミュニティバスの日に2度の到着時刻が迫っているので省略。バスがついたが乗ってるのは老人ばかり。乗らせていただけるんでしょうか、と尋ねると、いいけど途中で休憩があるとのこと。とにかく乗ってみたら、ほんの2駅走ったところの老人向け集会所で20分休むという。駅までずいぶん迂回していくらしいしこりゃ待てんと降りる。うしろから「もったいない」と老女の声。時間のほうがよっぽどもったいないっつーの。彼らならなおさらそうなんじゃないかと思うんだがよくわからない。でも歩いても数十分かかるから時間としてはそうは変わらないんだが、あのバスにいるよりは歩いたほうがずっといい。
松尾寺とか遠いんで飛ばす。2月に来たときのように、すべて見つくしてやる、というような執念は薄らいできているようだ。法隆寺の同じ道を戻り、斑鳩神社は近くまで行ったのだがかったるくなって引き返し、龍田神社も省略。もうこの地に来ることはたぶんあるまい。帰りに、となりの駅が王寺だが、ひょっとして大きな寺があるんじゃなかろうかという疑問にとらわれるも、奈良行きが来たので乗ってしまう。奈良駅で聞いてみたら、改札の駅員は知らなかったけれど、奥の駅員が達磨寺があるという。それは有名なのかと尋ねると有名だとの答え。達磨大師に関係あるのかというとそうだという。これは行かずばなるまいて。来た路線を戻って王寺町。町とはいえこのへんでは開けているほう。10数分歩いてたどりつくも鉄コンのさえない寺。まあこんなもんだろ。大和路線の先にもなんとか寺駅があるけどそれはいかんでよろし。四天王寺はたぶん行くけど。
結局吉田寮に投宿。同じ部屋の二段ベッドの上にけっこうかわいい女子学生が当然のように寝てしまった。むろん京大生。どうなってるんだここは。