吉田寮。午前3時に自称自衛隊上がりのヨッパライが闖入してきて酒を飲めとゴネはじめる。部屋の人が無視していると「起きてるんだろ」とさらに騒ぎ、例の年配の人を踏んづけたかして怒ったその人につまみ出されてさらに逆上し、あげく女の子にからみだして寮生と口論になったりとたいへんだった。おかげで寝不足。「俺だって好きでこんな人生やってるんじゃない」とか言ってたな。わかるわかるよその気持ち。そういえば学部生の3年間を過ごした寮の院生にああいうキャラの人がいたなと思い出した。酔っぱらっては他人を巻き込みたがる人。そのたびに絶交されたりして性格も生活も破綻していた。こっちはおもしろがって誘いを断らなかったので、しばらくはしょっちゅうつきあわされていた。ヨッパライらしくいろんな名言もあって、「崖の上からゴロゴロ転がって、釈放されに来たって、いいじゃないか」とか、「お前はやなやつだ。俺がやなやつだと思うだろ。同じようにお前はやなやつなんだ」なんて言われたっけ。確かにそういう捨て身の自爆テロのようなヤケッパチのロジックを振りかざすところはあの人と共通している。でもこっちはパチンコとかギャンブルは全部嫌いなのであそこまで豪快な破滅型にはなれない。せいぜいぶすぶすと不完全燃焼する程度の情けなキャラですだ。それに自腹で買った酒を人に無理やり飲ませるなんてやるわけがない。そんな甘い経済観念してないって。あの人は英米分析哲学をやっていて、ああいう粘着キャラにはドイツ哲学のほうが向いてたんじゃないかと思うのだが、D1にしてまったくやる気がなく酒飲んでばかりのわりには、アカデミックポストに就職することだけを考えていた。フルブライトに通ってアメリカ留学したらしいがどうなったんだろうか。バイト先の予備校の教え子と結婚したらしいけどそこもどうなったことやら。かなり所得水準が低いはずの親に仕送りさせた金で飲んだくれていて、飲みはじめたらとことん飲まないと気がすまない。ダメ院生を絵に描いたような人だったが、こっちにもああなりかねない素地と遺伝的要素は多分にあるので気をつけないと。
さて8時半頃ようやく起き出す。特快晴。また奈良へ。こんなに奈良に来るならこっちのネカフェに止まればよかったかも。東大寺に着き、ここは三脚OKだったと思うけどこれまでのこともあるし念のため一声かけて、と事務所に申し出ると、仁王門とかそのへんでも三脚禁止だという。おかしいなOKだったはずだが。有料エリアの人に聞いて間違って教えられたのだったか、雰囲気からして使えるだろうと早とちりしたのか、2月以降方針が変わったのか。無理だろうと思うけど本坊に聞いてみてというので伺いを立てるが剣もほろろ。撮影許可の申請は、と言ってもやってないとばっさり。どうする。無断で構えるという手はあるが、いつ見咎められるかの問題。つまみ出されまでの間に撮影が完了するとは考えにくい。ポラ数枚切って構図が決まっていざ撮影というところで立ち退かされるのが関の山。で戻って中門を見てみるが、これ無理してまで撮影するほどのものでもない。朱塗りの門は朱雀門清水寺仁王門もある。まさか清水寺も2月以降三脚不可になった、なんてことがなければだが。どっかからお達しがあったとかで。概して、京都の有名どころの寺よりも奈良のさらに歴史ある寺のほうが観光寺院化が進み、要所ではきっちり金を払わせる傾向があるようだ。この中門は避雷針が3本立ってて結構目立ちそうだし、有料エリアの仕切りだってのがあんまり気分よくない。ゴリ押しするほどのものでもない。かけあうのであれば大仏殿のほうだ。中門の隙間から覗いたが、あれはまさしく堂々たる堂宇。たぶん日本でもっとも有名な大伽藍。鴟尾も効果が上がると予想され、格としても視覚的魅力の点でも申し分ない。しかし、こんな無冠のはぐれ者が表玄関から交渉したところで門前払いを喰らうのは目に見えている。
そこで朱雀門。バスを待っていたらついたのが昼過ぎ。ここも金の鴟尾をいただいていて、南中時が好適なのだった。バスなんて待たずに大口開けて客待ちしているタクシーに乗るべきだったか。観光地のタクシーなんて大嫌いだけど。南中時は過ぎていたがツノがまばゆくきらめいてたいへんよろしい。背後の近鉄線もちょうど隠れて、視覚的夾雑物がほとんどない。2月に奈良に行ったとき、野っぱらにいきなり朱塗りの門が出現して、あれはなんだと思ったものだった。朱と白の門はこれに尽きるのではないか。知名度や格式を気にしていて、それなりの総本山の本堂をたくさん揃えなければと思っていたのだが、あんまり意味ない気がしてきた。たとえば西本願寺の御影堂の撮影許可が降りたとして、あれ撮影したところで、格はあるだろうけど見た目が他の堂宇とさしてかわりばえしない。いろんなことを気にして社会的格付けに配慮していたけれど、今後は配色が鮮やかであるか、でなければかたちが特徴的であるか、どちらかだけでいいのではないか。格ばかりで地味な名刹はやっててはりあいがなさすぎる。この朱雀門は復興したいわばレプリカで、宗教施設ではないし歴史的価値もないしなんの権威もない。しかし押し出しはあって色もきれい。こういうのでいいのではないか。人もいなくてのびのび撮影でき、たいへん気分がいい。だいたいこんな人間嫌いが観光客の集まる有名寺院で気をつかいながら撮影するというのがどだい間違っている。東大寺に時間をとられなかったおかげで早い時間に朱雀門に来られてかえってよかった、と日誌には書いておこう。
EV15.7、おおむね45s。はじめ2枚は寄りすぎか。ホルダを削っておらず下が切れるのはかえって柵とか夾雑物が写り込まなくて好都合。96年期限のジャンクPolapanパックフィルムは32秒露光30秒現像でもなおアンダー。FP500B45は2秒30秒でオーバー。どちらも平面性が悪そうで水平の傾きがわからす、結果枚数打たざるをえない。4枚目あたりで雲がちらつきだし、しばし待ったが5枚目で雲が広がり向かって左側のツノの輝きが消えてきたので終了。また行く気満々。これはこの一連の写真のなかで主だった1点となる手応えがあるからだ。今日のネガが上がったら朝から行くべし。最高の条件で再撮影。これら一連の写真に価値があるのかはよくわからないけれど、そのなかでこれが見るべきものとなることには確信がもてる。で14時頃終了。こないだ見残した法華寺あたりが近くなので見に行く、なんてことはせず京都に戻る。京都が晴れていたら清水寺に行きたいのと、今日のネガを現像に出し、金曜日のネガをひきとりたいから。雲が多かったので堀内カラーへ行く。ちっここもネガをポリ袋に入れたまま紙袋に入れている。手をつっこんでネガに直接触りそうになった。東京でやらかしたのと同じく。いや触ってるかも。これだけはどうにかならんのか。イスと電源を借りてこうして日誌を書いていたら、1時間半で閉店前だが追い出された。まあ無理もなかろうて。肩の前、リュックの重量がかかるところに内出血ができている。道理で痛いわけだ。