7時半特快晴。と喜んだのもつかの間、本山に着いた8時には北にうっすら雲がありいやな予感。名大で寝ながら待っているうち雲が空いっぱいに広がり、今日は無理な見通し。名古屋大仏を一応確認し、名城線をぐるぐる回って寝ながら様子見。15時になってようやく西に晴れ間がのぞくも、16時過ぎには一面雲。まったくの見込み違いだった。京都と名古屋の天気予報を仔細に比較しながら、今晩帰るか明日も名古屋で粘るかを検討。どちらが晴れるかの予測は難しい。そこで、どちらが晴れそうかという可能性を比較するよりも、いなかった場所が晴れていた場所が曇った場合に、どちらのほうがよりこたえるかを考えてみる。そうするとやはり、名古屋に残って京都が晴れてしまったときのほうが痛い。名古屋は太平洋側で冬場は晴れが多いだろうし、この時期でなければ撮影が困難というわけでもない。京都のほうがずっと時期が限られている。それに京都のほうが安心して泊まれる。吉田寮がなごむということもあるが、何回も泊まって慣れているというだけでもないような気がする。名古屋で別のネカフェを使ってみたが、無線LANが使えるというのに接続できず店員もまったく対応できなかったり、全体にだめだこりゃな雰囲気だった。そういうわけで東海道線新快速と普通を乗り継ぎ京都へ。駅前バスプールの206系統の案内に当日有効の一日乗車券がはさんである。おお同志よありがとう。
名古屋のビックのフィルム売り場もパトロールしたが、期限切迫品はなかった。しばらく前ならあったんだろうが。つーか正価でも買っとけばよかった。
ライオネル・ファイニンガー。横須賀での展示が最初だったが、個展前と個展期間中にかかっていてとても行けなかった。画家のことばを見ると、明確な方法的意識にしたがって制作していたことがわかる。現実の翻訳的変換、といったことを語っていた。もっとちゃんと読んどくんだった。バウハウスの流儀なのだろうが、長男のアンドレアスの、写真を完結したシステムとして構築しようとする合理的態度にも影響を与えているだろう。ライオネルは美術史に、アンドレアスは写真史に、歴史を決定づけたほどの重要性をもつ要素として登録されるものではないのだろうが、そのことをもって彼らの所産を評価するのには疑問がある。吉村朗に聞いた話だが、学生時分にアンドレアスの「フォト・ジャーナリスト」をコピーしてみたという。外部ファインダーつきの35mmレンジファインダーカメラを顔の前で縦位置に構えた有名なセルフ・ポートレイトである。顔には大きくスポットライトがあてられているが、あれだけシャープカットな輪郭のライトをあの角度からあてるのはやってみると難しいのだそうだ。霧に煙るマンハッタンの摩天楼を船の上から撮影した写真も、たしか4x5に1000mmとかそれくらいの極端に長いレンズを使っていたと思う。技術的に凝ったことをやっていて、それも関心の一部ではあるのだが、それだけにとどまらない硬質のリリシズムが漂う。ライオネルの絵画は世界の彼流の様式化であり、それはいわゆる美術史の観点からは、エピソード的・単発的・傍流の様式にすぎないと位置づけられるのだろう。そのとっかかりはキュビスムの模倣ととらえられるのだろうが、資料的根拠があっての判断ではなく見た目での印象にすぎないけれど、むしろバウハウス時代のモホリ=ナジらのコラージュからの影響が大きいのではないかという気がする。だって対象のない空にはキュビスムを適用できないだろう。つまり空の切り貼り。あの様式が進展するにつれて、対象のキュビスム的な切子細工化というよりも、画面分割に近くなっていくように見えるのである。それは独自の様式となりえているのではないかと門外漢としては思える。そしてまた、写真の影響が大きいのではないか。ライオネル・ファイニンガーは、これもバウハウスの影響だろうが、写真をよく撮っていて、自作のおもちゃを撮影した写真はコントラストが高く、バウハウスの写真の理念を反映している。この人は写真を使って絵画を制作したはしりなのではないか。ただ、最初は写真をそのままなぞっていたが、絵画の自律性が失われるといって次第に写真に縛られないようになったらしい。教会の廃墟など、写真と絵画が並べて展示してあるのを比較しても、一目見て構図が似ているといったものではない。このごろの写真の構図をそのまま絵にする現代美術の画家やマンガ家の反応を聞きたいような話である。構図だけでなく、階調の連続も分断されているが、それはパノラマ風に風景をつなぎ撮影して並べた状態を彷彿させる。当時の周辺光量低下の激しいレンズでは、ことさらそのような効果が大きかったのではないか。あの光は、レンズを通して「翻訳」された光のように見えるのだ。
この人は絵画のエポックを画したとはみなされないのだろうけど、バウハウスに参加し、写真を用いて絵画を描き、その息子は写真家として育って写真の理論書を出版する。そして84歳で没するまで終生の画家であった。陳腐な言い回しではあるが、近代の理性を体現した人なのだなあと思う。
そしてまた、バッハやブクステフーデのオルガン音楽を演奏し、みずからフーガも作曲したという。対位法的音楽の論理性、オルガンという楽器の音色の明澄さと音空間の壮大さ、その果てにのぞく神秘主義、ドイツ・ロマン派にも通じる無限なものへの憧れ、救済の希求、そういった要素が彼の絵画にうかがえて、共感をおぼえる。教会も繰り返し描いている。絵画に関しては印象でしか語れないのが歯がゆいところではあるが。