朝小雨。7時に寝カフェを追い出され吉田寮まで歩いていき箱とPCとACアダプタ以外の荷物をデポ。出町柳駅へ。叡山電車に乗って延暦寺鞍馬寺を1日で回るつもりでいたのだが、12月から3月までは比叡山ケーブルカーが運休だという。どこが叡山電車だよ。正月だけは運転するらしいが、そんな激混み確定のに乗ってられない。滋賀県側のケーブルカーはやっているという。でも地下鉄と京阪を乗り継いでぐるっと回っていかなければならない。どうする。鞍馬寺だけにしとくか。でも、一般的な評価からしても鞍馬寺よりも延暦寺をこそ見ておくべきだろう。歩いて登ることにする。徒歩で2時間とのこと。
修学院で降りて、鷺森神社を通る。1月に夜来てこわかったのはここではなかったか。本殿に鏡が置いてあって、参拝者の顔が移るようになっている。。参拝者が近づくと本殿に明かりがともる。朝でも充分怖い。曼殊院を冷やかして修学院の南側から雲母坂を登っていく。ところがやけに通りづらい。修学院の金網のすぐ脇を通って行ったのだが、どうやらその下の小川のようなくぼみが道らしい。よく見れば積もった紅葉に人に踏まれたあとがある。ところがそれにしても不安定。途中で,この道でいいんだろうかと不安になったりする。そしてまた空腹になってきて、来る途中にどこかで何か買って食べるつもりが見つからずまともなものを食べてないのだが、この先も食べ物を調達できる見込みはないから確保しておいたほうがいい、と考え、修学院道の入り口まで戻るがコンビニすらない。やむなく叡山電車の駅の近くまで戻ってロースカツ弁当大盛りを買い、店の前のベンチで食べる。ちょうど10時になり薬局が開店したのでカロリーメイト2箱補給。
さっきの道はやめ赤山禅院側から登ることにする。赤山禅院は1月に来ていなかった。修学院まで来て日がくれ引き返したのだった。延暦寺と関係があるらしい。行くと鳥居が立っていて、何とか大明神とかの大行列。朱塗りの柱とか神社だと言われたほうがしっくり来る。ここも修験道の道場らしく、山岳信仰神仏習合に染まっているのだろう。「禅」の風情はまるでなく、むしろ民間信仰の泥臭さが漂っている。早くも正月準備なのかテント張って店開きしているせいもあろうが。それなりの格らしいのだが、あんまり格式は感じられない。駅の近くでうーうーうなっている山伏っぽい男たちがいたが、たぶんここの修行僧なんだろう。
その北側を登っていく。ここにまで修学院の立入禁止のフェンスがある。こっちの道のほうが開けていて整備されている。とはいえまったくの山道。途中で雨が降り出す。こんな時期のこんな天気の日に登っている奴は他におるまいと思ったら、ハイキングないでたちの初老の男女の一団と行きかう。そのうち霧が出てきて視程が20mくらいになってしまうがとにかく登る。マイクロ波の中継塔がある。廃スキー場を突っ切ってさらに登り、ようやく延暦寺東塔と西塔の分かれ道にさしかかる。ここから先は拝観料がかかります、とある。でも徴収ボックスには人がいない。13時にようやく比叡山延暦寺東塔に到着。霧で視界が悪いとはいえ3時間もかかってしまった。阿弥陀堂と東塔は朱塗りが鮮やか。阿弥陀堂は色がきれいなのでついでがあったらやってもいいかも。でもついでなんておそらくないし、三脚不可な予感。霧に煙ってよく見えない。階段を降りていって戒壇院。古くて風情があるが、うしろにラジオのアンテナのようなものが立っている。真ん中に先細りの柱があり、4方の地面からケーブルで引っ張って支えている型。電話線も携帯の電波も来ていないだろうから、長波で地上と連絡するのだろうか。大講堂も朱塗りだが褪せている。看板がでかかったりで見込み薄。そして根本中堂。これはでかい。低まっているのだが、上から見ると板屋根が巨大に見える。回廊と一体になっていて引きがなく撮影は無理だが、それ以前に回廊の先は撮影不可とある。屋根には3本の避雷針。そして右奥にはまたも垂直のアンテナ。防災用か。菊の御紋も3つ。回廊の壁には子どもの習字がたくさん貼ってある。その根本中堂の門らしい文殊楼はなぜか高台に建てられている。広くて堂宇は多いが、信長が恐れたというほどの強大な権勢は今や感じられない。こんな天気でも拝観者はいる。法然堂はほぼ民家。世界遺産のなかで、生活の場を日々見も知らぬおおぜいの他人にさらされているというのはどんな気分なんだろう。
浄土院を経て西塔釈迦堂。西頭そのものは残っておらず再建もされていない。こちらはちょっと見放されている様子。にない堂など見たところで15時。さてどうする。3塔の一つ、横川がまだ残っている。でも4km先。16時に閉まるということになっていて、西塔を見る限りでは門もないし人もいないので閉めようがないような気もするのだが、16時過ぎて着き、開いていたとしても帰れなくなってしまう。ここの中堂は舞台造りらしいのだが断念。もう充分。さて東塔に戻りケーブルカーに乗って滋賀まわりで帰るという手はある。昨日新聞記者に聞いたのだが、比叡山の滋賀側の麓には日吉大社というのがあって、これが全国の日枝神社などの総元締らしい。鳥居に三角の突起がある一派。そうそう赤坂の日枝神社、長いエスカレータで登っていく結婚式場の鳥居にも三角印があった。日枝は比叡から来ていたのか。で、ケーブルカーに乗ればこれも見られる。しかし登りが徒歩で下りがケーブルカーでは、逆ならともかく合理的じゃない。登りの労力が無駄になる。よって下りも京都側から徒歩とする。見終わって15時20分、日没までに下山できるのか? 
ときどきヒョウは降るも視程は広くなる。雲がすぐ上を流れ、ときどきその中を歩く。廃スキー場では、行きに見えなかった電波塔と丸い建物が見える。逆側は京都の街並み。よくこんな高いところまで登ってきたものだ。当初一気に駆け下りるが、暗くなるのよりもケガのほうが怖いと気づき慎重になる。転んで足でも折ったら凍死必定。代替交通手段はない。連絡手段もない。自分の体力だけが頼り。林の中に入って光が遮られ暗くなるとさすがに怖くなって焦って下る。雲母坂など通らず、さっき登って多少は勝手のわかった赤山禅院側を進む。16時20分、まだ日のある時点で修学院のフェンスにたどり着く。1時間で下りられた。修学院道バス停からバスで帰ろうかと思ったが、吉田寮の前を通る便は1時間1本。じきに来る便だと銀閣寺道から歩かなければならない。待ってると冷えるしどのみち歩くんならと白川通りを南下して吉田まで歩くことにする。よく歩くねこの人は。肩への積載と三脚がなければどってことない。まだ歩ける。でも吉田寮からは荷物があるのでバス。比叡山登って下りて吉田まで歩いた。千年前の修行僧か。