曇。箱とパソコンのみ持って京阪線祇園四条東福寺は思ったほど人出がない。伏見稲荷もたいしたことない。石清水八幡はケーブルカー待ちの人はいるけれど、数時間待ちというほどでもない。
いつもどおり地図もなしめあてもなしのいきあたりばったり行動で中之島。でも観光客が多いせいか名古屋と違って街中に地図があるのでなんとかなる。高層ビルが林立しているが、中洲で地盤ゆるそうなのに平気なんだろうか。日銀大阪支店や大阪市庁舎や中之島図書館や公会堂など歴史的建築物がたくさんある。もっとも法隆寺薬師寺あたりにくらべればたかがしれた歴史ではあるのだが、文明開化後の日本がしきりに西洋的建築様式を輸入した成果として、高橋由一の洋画のように歴史的意義が認められる、大阪府教育委員会文化庁文科省的に、ということだろう。ただ日銀支店には単なる歴史的意義にとどまらない端正さがある。よく焼け残ったものだと思うが、それ以外は不自然に近年の大建築ばかり。でもよくよく見ると、大阪市立科学館の向かいにはデザイン屋の社屋と民家2軒ほどがひっそりと残っている。ここだけ退去圧力に耐えて、他の一帯はすべて再開発されたということだろう。「中の島ブルース」の面影など片鱗もない。ずっと回っていくと、見慣れた「CREATE」のロゴがでっかく出ているではないか。よく見るとフェスティバルホール。去年末で営業を停止し、建て替えると全国紙の地方版に載っていた。そこに入居しているクリエイト大阪もそれに伴って閉店ということか。かつてはさぞ賑わったんだろうな。地方紙などを定食屋や寝カフェで読むと、東京版の新聞を読んでいてはまったく伝わってこない情報がたくさんあっておもしろい。そういえば東福寺の三門前の池で炭素繊維を沈めて藻の育成を促し水質浄化に貢献する実験をやっているという記事もあった。で、フェスティバルホール。開業50年。ピカピカではないけれど、外側から見る限りではそれほど老朽化しているという風情でもない。「世界一のホール」などと一部ではとにかく呼ばれていて、少なくとも20年前までは東京文化会館をはじめとして東京にはこれをしのぐ音響の音楽ホールはないと言われていたほどの場所が、わざわざ建て替えられるほどになっているのかよくわからない。老朽化してどうしようもないというなら、ウィーン楽友協会ホールなりパリのオペラ座はなんだというのだろう。このへんの高層建築もそうだが、どうせゆるい地盤に立てていて長持ちなんかしないんだし、そのうち建て替えるんだからそれなりのつくりでいいや、という了見でこしらえているから、たった50年で建て替えざるをえなくなるのではないか。そしてごく一部の保護された文化財的建築以外は、そうやってどんどんぶっつぶされ、このようにとりすました街ができあがったのではないのか。以前も書いたが、日本の建築はもともとスクラップ・アンド・ビルドの姿勢でつくられている。それは地震の多い風土で、長期に渡って持ちこたえる石造りの建築がそもそもなりたたず、柔構造の木造建築にするしかなかったという事情は大きいのだろう。ただ、手近にたくさん木があるから、わざわざ石なんかを使うより木でつくるほうがてっとり早い、というほうが実態かもしれない。そうして、たえず補修や建て直しをする必要があり、建てるときのコストは低いけれど長期的なコストは石造りなどよりはるかにかさむ木造建築が一般的になったのだろう。ただ、木造だからといって必ずしも短寿命とは言いきれない。このあたりの大伽藍はむろんのこと白川郷なり、地方の大屋敷も、メンテに費用はかかるにせよ、柱など主要部分の耐用年数は決して短くはないだろう。材質にもよるのだろうが、1、2世代ということはないはずだ。木の建材の強度は、伐採後しばらくは向上していくものの、200年でピークを迎えて低下していくとかつてはいわれていたが、最近の研究ではそのようなことはなく、いつから低下するといったことはまったくいえなくなった、と、吉田寮に滞在していた初老のこれから博士課程に進むという人から教えられた。日本の建築物が長く使えないのは、木造だからではなく、安普請だからである。SRCであっても、いい加減につくられたものはもたないし、代々木競技場のように補修費用が確保されていれば持ちこたえる。これほどに短期間でつぶしては建て替えるような習慣は、木造建築の特性に基づく日本古来の文化なのか、開化後に、男は家を立てて一人前、とかいうイデオロギーのもと、土地を切り開き家屋を建て替えることで利潤を上げる土建屋の利益誘導によって広められた風習なのか、そういうのは最近はやりの議論のスタイルなので誰かしら論じているのだろうけれど、過大な住居費負担が日本国民の平均的生活水準を下げているのは間違いないのであって、建築時に法人税なり所得税の控除があったにせよ結果として所得が土建屋に移転されているに過ぎず、金ぴかですぐに消える建物をありがたがる浅薄な国民性の醸成に寄与しているだけでしかないような気がする。
難波橋を渡っていたら、片耳が聞こえなくなった女流歌手のようなトンボ眼鏡をかけた若い女性と老夫婦の3人組がおり、大阪に出てきた娘に会いに地元から出てきた親を案内していると見受けられたが、娘曰く「このへんが大阪の真ん中、でいちばん偉そう」。うんうん。納得。難波橋のライオンに構えてみたけどうまくいかず。
ともあれ中之島一周。ここはいずれまた来るだろう。別の道具を持って。いやわからないけれど、たぶんまた来るだろう。市街の真ん中を川が流れていく街はいい。京都もまあそうなんだけど、鴨川はちょっとひかえめか。東京の都心部をまともに流れていくのは神田川くらいだが、あれがかろうじて川らしくなるのは飯田橋あたりから下流で、その先も首都高の高架下で日陰者。あれをセーヌ川になぞらえたりしたら笑われるだけ。いや、だからといって横須賀選出の元総理の首都高地下路線化案に賛同するわけではまったくないけれど。中之島は開化以前の景観を残せていたらシテ島にはりあえたのかもしれない。それにしても川面が近い。橋のすぐ下、手を伸ばしたら届きそう。このところ降水量が多くて水面が上昇しているのかもしれないけど、それにしても中之島は防護壁も低いし水への備えもあまり見てとれない。地下の美術館は水位が堤防を越えたらお陀仏だろうが、どうなっているんだろうか。
港通りを西へ。さすがに元旦は閑散。店もやってない。茨住吉大社には人出があり近所の店もやっている。でも鉄筋。京セラ大阪ドームは車内から見たとおりどうにもならん。その先の川沿いには瓦屋や竈業者が並んでいる。京セラの関係かとも思ったが、京都のセラミックの会社だろうから発祥の地ではないのだろう。抑え込むためにドームを建てたか。零細業者相手に? まさか。たまたまでしょう。川向こうに緑青の寺院が見え、橋を回って見てみたら金*光教でがっかり。天理*教とか宇治の生長*の家とかみんな鉄コン。東京立川の真**苑もそう。当然なのかもしれないが、だったら従来型の寺院の形式にとらわれる必要もなかろうという気もする。所詮堂宇なんかこけおどしなんだからでかくて威圧できればいいわけで、伝統的様式を模倣しててもしょうがないでしょ。神谷町の霊*友会なんかなかなか立派なものだ。
このへんは中之島よりは増水対策が認められ、川の堤防は低いけど道路をはさんでもう一段高い堤防があり、いざというときには通路をふさいで水の流入を防げるようになっている。増水時には道の分だけ川幅を増やして流水量を稼げるわけでよくできている。その先の川に眼鏡橋がかかっている、と思ったら橋ではなく、高潮や津波時に海から逆流しないように川を堰き止めるものらしい。なんと大がかり。このあたりはすっかり埋立地。団地も建っていて人身御供か。埠頭の先に行ったらはしけへの扉が開いていたので先まで行ってみる。なぜかはしけに自転車が多数。20メートルほどを走るためだろうか。あそこでこけたらえらいことだと思うんだが。はしけはコンクリで固定されているようだが、浮いて揺れているような気がしてしょうがない。落ちたら戻れないと思うと結構びびる。雨が降ってくる。途中の公園で拾った傘で助かる。
埠頭の左隣の先に行き、青い橋を渡る。大正区。あられが降ってきて風が強く、傘をさすとかなり怖い。たたんでも怖い。この橋は水運のため高架橋。進むと視程は短いが大阪の市部が見える。やっぱり広い。その先は埋立地なのに古い民家や店がある。東京でいえば晴海とか月島あたりか。でもその隣の区画は雑草の生えた野っぱら。あとから造成したけど買い手がつかなかったと見える。その真ん中にぽつんとIKEAのでかい店舗がそびえている。そのわきのこれまた長い橋を渡ろうとしたら、煙を吐いている要塞のような工場らしきものが東に見えて気になるので降りてそちらへ。行ってみると中山製鋼所。古い工場にススがついて迫力はあるが、下から見るとどうということもなし。だいたいこういうのは遠目で見ているうちがいちばんおもしろい。その先にらせん道路を上がっていく橋があり、せっかくだから高みから見ようと上がってみる。これは怖い。地上40メートルにはなるか。かの工場も上から覗ける。煙突から水蒸気を吐き出すが、時おり青白い炎を吹き上げる。コンパクトデジタルカメラを持ってこなかったのを後悔。撮ったところでそんな当たり前のものはここにはアップしないがね。重工業の巨大工場を鑑賞対象としておもしろがるというのは、20年数前にウィリアム・ギブソンのチバシティやら浅田彰やら大友克洋がらみでブームになったし、その前にもいろんな人が写真に撮っていて、騒ぎたてるのは今さらというほかない。ただ、それを言うなら平等院鳳凰堂やらポンパドール宮殿やらクフ王のピラミッドなんてものはそれをはるかに上回る「今さら」なのであって、結局そうした文脈にとらわれるから窮屈でつまらなくなるだけのことである。文脈から離れてものを見ることはできない、などというおきまりの言辞はまやかしだ。グランドキャニオンやらナイアガラの滝やら、陳腐な観光名所ではあるが行けば高揚すると思う。それは文化的背景に関わりなく、知覚機能が正常で物心ついた人間であればある程度普遍的に受ける感銘なのではないのか。山や太陽が、文化の差をこえて、あるいは少なくとも、個別の文化の偏差に左右されないような原初的な層において、世界各地で信仰対象となっていたことを思い起こすといい。この、整った街並みを背にして異様な存在感を放つ製鋼所には、そのように文脈に依存しない訴求力があると思う。それは、「工場」というできあがった枠組で、さまざまに整序され分類され約束化された見かたでは失われるものである。なぜそういえるのか。これは、遠くから見て、得体の知れないまま、ありゃあなんだ、と見ているのがおもしろくて、近寄ってその正体が判明してしまうと、できあがった文脈で片づけてしまって凄味が失われる。そのようなものがいくつもあるからだ。特定の文脈が与えられない限り本来要求されている理解に達することのできないものは多い。解説つきでなければ成り立たないほとんどの現代美術制作物は文脈依存度の権化である。だが、そのようなちまちました文脈によりかからずとも通用するものがあるはずだ。
橋のたもとに至るらせんを登って、先には団地が見えるので地下鉄が来ているだろうと考え、かなりびくびくしながら橋を渡りきったあたりで日没。地下鉄四ツ橋線から京橋。大阪の地下鉄に乗るのははじめてだが、薄汚れているのは動物園前駅だけでないとわかった。最近できた路線は比較的きれいだが大差なし。仙台、東京、名古屋、京都、みんな地下鉄はきれい。どうでもいいところでかっこつけないということだろうか。京橋で一杯やったあとたこ焼きを12個買ったら、焼き器の数とのかねあいで1個足りず、12個揃えるには待たせてしまうので11個250円でいいかという。もちろんOK。1個分ただという、店としてもさして損しないあたりでこっちは得した感。大阪人の合理主義とサービス精神を垣間見た気がしたね。たこ焼きはそんなにおいしくもなかったがあつあつで、寒いなか路上で食べるとありがたさ倍増。
吉田寮。やっぱすごいわ。大学の後輩が京大の院の哲学史に進んだのだが、「地頭が違う」としきりに言っていた。とにかく頭の回転で勝負にならないすごい人がいる、と。ああいうトップレヴェルの頭脳に会えただけでも京大に行った甲斐があった、と言う。それでも京大は所詮ナンバー2なのだ、とも言っていたけれど、それはどうなのかよくわからない。
今はブログをたたんでしまったishさんも京大の院出身とのことで突き抜けた頭のいい人だと思うが、到底かなわない、という人がしばしばいる。出身大学にもそういう人は何人かいたが、東大京大にはごろごろいる。寮での会話をはたで聞いていると実感する。女性がこんなところに住んでいるというだけでも根性あるわけだが、そのうえ京大医学部、これから国家試験だという。機知に富みたいへん魅力的。昔駒場寮に数カ月泊まっていた時にも、ちょっと器が違うなということはしばしば思った。
寮外の宿泊者がやたら多い。6人。他にゲーム中の寮生4人。窮屈。