朝快晴だが遠くがぼんやりして視程が短い。朝の予報では各社おおむね晴れだが昼頃曇。奈良京都も名古屋も。見届けて終わりにしよう。23時京都発の高速バスを予約。3列独立シートで5,500円。3列のちょっと高いバスははじめてだが、着いたその日が有効に使えることを考えると、ちょっと高くてもぐっすり眠れるほうがいい。とくに、ひじでつつかれたりすると起きてしまい、いったん目が冴えると眠れなくなってしまうたちなので。ライブカムでは奈良も名古屋もうっすら雲。京都も快晴だが遠くに雲。奈良に向かうにつれて雲が上がってくる。もう撮影は断念し、奈良を見直して帰るかとまた近鉄奈良まで出る。思えば今回の滞在で最初に来たのは奈良だった。興福寺。去年の最後の日に回ったのもここ。五重塔を612でやろうかとも思ったのだが、あまり興が乗らない。車内広告でさんざん見せられて気になっていた春日大社の楼門。朱塗りは剥げかかっていて広告ほど派手じゃない。形は悪くないのだが、木に遮られて冬場は日が当たりにくい。候補にしなかった物件には相応の理由があるのだ。初見の印象はそうそう狂ってないもの。
ところが10時半頃晴れてくる。こりゃ行けるんじゃないか。最後にごほうびか。期待しながら急いで駅に戻り西大寺へ。しかし駅に着いたら小さな雲が北にぽつりぽつり。しかしここまで来たからには行かねば。これのために、ここの朱雀門を撮り直すためにここまで粘ったのだ。でも現地に着いた11時すぎには南北とも雲がもうもうと。しかも開門している。そういえば昨日も今日も、電車に乗って門を見ながら、あれ、門が開いている、と思ったのだった。去年撮影した時は開いてなかったよな、とネガを見てみるとしっかり閉じている。しかも門の前で警備員がイスに座っている。門の中に何があるわけでもなく、他にもいくらでも入り口があって、そのうえ門の周囲を鉄柵が取り巻いていて、門そのものが保護されていて、門自体は何も保護していない、ただ門があるというだけのためにある門。とはいえ禅寺の三門のように自律的な建築物でもなく、複製であって建築としての価値もない。なんのためにセコムのカメラをつけて警備員を一日張りつけておかなければならないのかまったくわからない。そして、何の機能もない門のために毎朝警備員が来て、開門してはただじーっと見張っていて、夕方になると閉門して帰る。なんの意味があるのだろう。その不条理さにおいて、カフカの何かに出てくる門とその門番みたいだ。門扉はさほど大きく写るわけではないのだが、開いているとその先の近鉄線の電線塔が見える。また、奥で何かこしらえており、その囲いの仮設テントも写ってしまう。しかも雲。警備員は気をつかって柱に隠れているようだが、顔半分覗かせて監視している。こんなに離れてるのに何ができるというのだろう。まさかこんな文化庁の建てた施設の屋外で三脚禁止もなかろうし。これはどうにもならない。前に撮ったネガのほうがよほどいい。ただ、南中時を見届けていく。門が正確に南向きなら12時やや前に正中するはずだが、影が正面に来たのが12時7分頃。この条件で完全順光のはずだが、左右の鴟尾の光りかたが均等ではない。正面が出ていないのかとも思ったが、左右にずれてもあまり変わらないので、鴟尾の左右で形が違うか傾いているようだ。だいたいこの鴟尾は先のほうがハトよけか避雷針も兼ねているのか、金色ながら針を並べただけで、東大寺大仏殿のような牡牛というかクワガタムシ型の角ではない。20分頃になってようやく左右の光量が揃うが、左のほうがピンスポット状で光りかたはなおも違う。正午でなくてもよかったのか。前回着いたのはこの頃。雲が消えないのを確認して撤退。警備員に聞くと、年末年始と月曜以外は基本的に毎日開門とのこと。文化庁管轄らしく美術館とかと一緒。そんなことも知らずに、この20日近くこのためにずっと晴れの日を待っていたのか。15日はたまたま月曜だったから閉門の状態で撮影でき、その前に下見したときは日没後だったので閉まっていたのだ。
ともあれ、これで断念できた。あの時Mで朝食なんてのろのろ食べてなければ、あそこでバスでなく電車に徒歩かタクシーで行って早く着いていれば、と後悔の種は尽きない。この時以外にももっと手際よくしておけば、とかばかり。世間一般では後悔を引きずるのはよしとされていないけれど、きれいさっぱり消去すべきものだとは思わない。そうした陰影はあってもいい。でも得られたものとして残るのはかたちになったネガのみ。
京都に戻っても思いっきり雲。予報も京都奈良も名古屋も明日は曇のち雨。月曜も同様。やっと、後ろ髪引かれずに帰れる。夕方の予報は見るけど、23時の予報が出そろうころにはもう車上の人。バス待ちの間、Mのハンバーガー屋で買わずに何食わぬ顔でカウンターに陣取って電気を失敬しこれを書く。前からいけそうな気はしてたんだが、1時間くらいいる時点ではまったく問題なし。もう使う機会もそうそうなさそうだけど。Mが嫌いな人はボイコットとか騒ぐより一歩進んでこれやればいいのに。いや別にそんな思想的背景があるわけじゃなくてただの吝嗇。コーヒー飲めんし。四条河原町交差点近くの店はACコンセントのあるカウンターのテーブルが広いが、コンセントがあるのは喫煙席のみ。あとは某所アクセスポイントにただ乗りしてこれをアップ。よくやるよまったくもって。
高速バスで帰還。3列シートバスは4列観光バスの4,000円程度の便よりも年配の乗客が多い。というより4列の格安便には若い人しか乗っていない。でも人口構成比からすればもっと高齢者がいてもおかしくない。歳をとると寝にくい格安便はつらくなるのだろう。3列のほうが隣に煩わされることが少なく、深くリクライニングできて脚も伸ばせるので楽は楽。でも眠りが浅いようで何回も目が覚めてしまう。首が痛くなる。戻ってきても、漂泊中と大差ない。自分の部屋とは言ったって所詮賃貸。金を払って住むということでは1晩の宿と同じ。いられる期間が長いか短いか、身の回りのものが多いか少ないかの差だけ。ひと月ぶりに火を使って調理したが、これだって仮の宿でもできるところはあろう。多少落ち着けるけれど、いずれは出るところ。寄る辺なき根なし草には定住も流浪もさして違わないわけで、長期の旅行でも耐えられる。そうなるとこんなに空けているのに家賃を負担しているのが無駄に思えてくる。やはり目指すはホームレスか。