前日から晴れの予報。6時半に起きると遠くの空の抜けは悪いが無雲。日光各所ライヴカムでも特快晴。しかし明け方雪が降ったらしい。二荒山神社中宮祠屋根には積もっている様子。大鳥居前交差点にも。だが駅前は降雪なし。奥日光だけか。中禅寺湖の霧も気になる。しかしここで行かなきゃ男がすたる。とっくにすたれきってるかそんなもん。
7時半乗車。1本早すぎて宇都宮で30分接続待ち。10時43分着。雪はほぼなし。ここからついいつもの習慣で歩いてしまった。時間を買ってバスに乗るべきだった。ときおり小さな迷い雲が出るが基本的には特快晴。抜けは最高とは言いがたいが3月も半ばにしては上々。共通券購入。拝観料を払ったのは鎌倉大仏鞍馬寺とここだけ。破格の1,000円。
そして、ついに表門をくぐって大本命、20年ぶりの日光東照宮。11時過ぎ。鳴龍なんかには目もくれず陽明門へ。思っていたより小さい。奈良京都の大寺院の門を見てきたあとでは拍子抜けする小ささ。両脇に背の高い木があり、左右に影がかかっている。webで見られる全体に日が射した画像は夏至近くに撮影したのだろう。冬場ではかなり厳しかったのではないかとも思うが、かえって木の間を抜けて日があたったのかもしれない。気になる人出は、少なくはないものの対応に苦慮するほどではない。
門前直下の階段は案じていたほど高くなく、覗いてみるとどうにか行ける。しかし雲があるので裏に回ってみる。階段下からでは遠すぎると予想し、これまでやっていなかった北側からの撮影を予定していたのだったが、日が高くて画面に直接入ってしまいこの時期の昼前後では無理。雲が消えて南側に戻り、出る側と入る側を隔てる木の柵を越えて三脚を立てる。正面中央から撮影したがる人が多いと見えて、右側通行の真ん中にあるべき柵がだいぶ左に寄っている。さらに左にずらす。懸念していたお小言はまったくなく、ほったらかし。一般の参拝ルートで課金する神社は、知る限りここと日吉大社くらいのものだが、それでも無料が通り相場の神社だけあって寺より口うるさくないのかもしれない。閑散期なら三脚OKなのは電話で確認済。インスタントフィルム切って2枚露光。露出も計らず時計もなし。1mくらい。さらに寄り、左にずらし3枚ほど。このへんで12時過ぎ。向かって左側の木がより大きく、撮影開始時点では門のちょうど真ん中あたりに日があたっていたのだが、南中時を過ぎると左は影になり右側ばかりが明るくなってしまう。ひとまず中断し拝殿にあがる。ここも小さい。内部は撮影禁止。京都にいた間は財布の中が5円玉だらけだったのだが、もうすっかりためこむのをやめてしまったので1枚もない。10円玉くらいしかない。でも10円はよろしくないらしいので、1,000円も払ったんだからもういいでしょと判断し柏手のみ。陽明門裏側にはまだ早い。もしやるんなら冬至頃の南中時だろうか。何度か見くらべたところ、南側は日にあたってやや褪色してしらっぱけており、北側のほうがやや色鮮やかで金が残っている気もするのだが、光のあたり加減でそう見えるだけかもしれない。
上神庫南側の妻に日があたって金塗り部分にグレア。これはいい。13時くらいから。日が傾いてきて「想像の象」の真ん中が影に隠れてしまうがまあいい。ここは山奥で土地がありあまってそうなわりに全体に狭いのだが、これとか三猿とか眠り猫とか動物がらみの見せ場をたくさん用意してあって観光客誘致に余念がない。撮影途中で巻層雲が出ているのに気づく。こいつは薄いからできはじめだと空と区別がつけづらいのだ。迷惑者。しばらく待って再開するがグレアの力がなくなってしまい、14時過ぎ頃断念。4枚ほど。やりなおすならここも南中時。
家光廟大猷院と迷って、再入場はできるがそうそうはやりにくいからと陽明門をひとしきり終えてから行くことにし、陽明門北側へ。この現行器を使って逆光条件での撮影をしたことはない。清水寺仁王門や築地本願寺など西向きの建物を正面から撮影する場合でも、日没前の西からの光があたる条件で露光していた。建築物を北側から撮影するのははじめてだ。しかし巻層雲。迷うが、雲があっても撮影だけしておいて、南側からの結果と比較し、北側からのほうがよければ出直せばいい、その判断材料を得るために撮影敢行。しかし水平と対象との平行がとれず傾いたりし、また角度が浅いので人が去るのを待ったり雲を気にしたりでなかなか撮影できない。太陽光が直接入射しないよう手で遮光するのだが、写り込んでしまわないかと心配。日が西側にあたる頃には木に隠れて箱にはあたらなくなる。インスタントフィルムで見る限りでは、日が直接あたらないからといって露出を伸ばす必要はなさそうなので1mとか90s。4枚くらいか。でも金の装飾に直接日があたる南側のほうがたぶんいいだろう。なんたってここは「日光」なのだ。
ある程度やり終えたところで追い出しモードに入られ、拝殿外から軽く手を合わせてあわてて次へ。表門は閉まっている。他も終わりなのかと聞くとそうだという。大猷院に行き、ちょっとだけでも入れてもらえないかと懇願するが駄目。だって4時までとそこら中に書いてある。入場は15時30分までなんてどこにもない。そういってごねてやればよかった。1,000円分の5カ所のうち1件しか行けなかった。大猷院はあとから調べるとなかなかよさそう。撮影は無理でも見るだけ見ておくべきだった。東照宮と違ってすいている様子。輪王寺の中なんて興味ないけど。二荒山神社はこないだ金払わずに見られたのに、どっか有料ゾーンがあるのかね。本地堂内部の鳴龍はよほど時間が余ってるならともかく、まったくどうでもいい。鳴龍って麻雀漫画『哭きの竜』みたいだな。学生の時流行って読んでて、最近「外伝」として再開しているのが吉田寮にあってつい読んじゃったが、次第に底が見えてしまう。漫画でこれはすごいってのを読んだ記憶があんまりない。特に流行りモノは全部駄目。1回も笑わないなんてザラ。というだけでなくいわゆる物語コンテンツがどうにも性に合わない。
陽明門は「日暮らし門」と呼ばれるそうだが、実際にそれをやった人はいないはずだ。少なくとも現在の公開制度になってからは不可能。4時には追い出されてしまい、日暮れまで見ることができないからだ。特別な許可でもない限りは。とはいえ今回ぎりぎりまでだいたいの時間中ずっと陽明門を見続けていて、それに近いありさまではあった。もっとも、あまり近づいて見ていないので、細部がどうなっているのかほとんどわからない。
12枚撮影。インスタントフィルムは、残っていたカラーと、3000B45を調子に乗って2箱使い切ってしまった。24枚。でもまだ冷蔵庫には在庫がたくさん。カラーのほうは現行器でははじめて。現像時間が足りなかったせいもあるのだろうが、シャドウ濃度が上がらず、4sくらいに露出を伸ばすと黒が締まらなくなっていく。低照度下の限界だろうか。
帰りは当然駅まで徒歩。途中の店にとれたての山椒の木の芽の佃煮との貼り紙。京都で買った漬物の中では、木の芽と昆布のがいちばんおいしかった。火鍋や麻婆豆腐には粒のままの花椒をたっぷりいれる。カレーにもいいが、入れすぎるとカルダモンやコリアンダーやクミンをさしおいてキャラが立ちすぎ、どことなく四川ぽくなってしまう。山椒類は生姜と並び欠かせない香辛料。春先の筍の煮物なんかに木の芽がのっているとうれしい。で、ここの店の佃煮を試食してみると、実山椒のほうが山椒の風味が強いのだが、旬にはまだ早く今出ているのは古い。葉と花山椒で迷う。花山椒は珍しいが1,000円と高いしこれも去年のもの。葉にする。ひと瓶630円
また行くかな。どうかな。他の客の干渉はたまにあっても、施設側からちょっかい出されず撮影に没頭できるのはありがたい。1.000円も取るんだから当然という気もしなくもないが、京都奈良の妙にプライドの高い寺とは対応が違う。気分よく撮影できたのでまた行ってもいい。
「建築の堕落」だというタウトの東照宮批判。京都の古寺だって今でこそ枯れた木造の地肌だが、創建当初はどこも派手派手だったわけだ。枯山水庭園みたいに落ち着いたのが出てきたのは禅宗以後であって、伝来初期の奈良の寺はみなきらびやかだったろう。宗教施設なんだから鬼面人を驚かす豪壮な演出があって当たり前。ただ、それらには日光東照宮のような龍やら猿やらのつくりこまれた立体的装飾は少ない。機能性の薄い装飾としては鬼瓦鴟尾蟇股や木鼻があるが、陽明門ほどの過剰なごてごてしさはない。でも、奈良京都の寺がかつてそうであり、神社の多くが今なおそうである金をあしらった朱塗りだって見た目の印象は充分鮮烈だ。法隆寺の内部には金の仏像が多数、平等院鳳凰堂も中は金ぴかの阿弥陀如来像とかつては極彩色だったという壁画。時代ごとの様式の変遷はあるにせよ、日本の宗教施設は元来華美なつくりであって、東照宮だけが過剰装飾というわけではない。そういう宗教建築を桂離宮のような宮廷建築と比較してくさしても意味があるとは思えない。桂離宮は見ていないけれど、東照宮と同時期にここを建造した皇族には当時の徳川幕府ほどの資金力がなかった、という条件がああいう様式を導いたという面もあろう。京都御所には唐門もあるし、公家の趣味がつねに反装飾的だったわけではなかろう。タウトの東照宮否定は、日本の社寺をろくに見ていない欧米人特有のステレオタイプな日本建築観から来るものではないか。さらにいえば単なる好みの問題。「目はもう考えることができない」って目はもとから考えやしない。日光東照宮に比類するものは、見た中では他にはない。オリジナリティがあり、徹底している。好き嫌いはひとそれぞれだが、そうやすやすと否定できるようなものではないと思う。
あとは厳島神社か。行くのか? 他でもいいかとも。