夜明け前から快晴。今日は晴れる。この晴れをどう使うか。なすべきことはいろいろたまっているのだけれど、だからこそ、こんな日には撮影に出る必要がある。
スイス人の自転車乗りが言っていたこと。もっとも本人は聞いたことを引用するつもりがほとんど覚えていなくて、こっちが勝手に補足しているのだが、たぶんこういうことだろう。
Work to live, live to ride, ride to work.
どうにも滅入る日々のあれやこれやをしのいでいくためにも、撮影に行かなければならないのだ。
厳島神社に代わるものはどこか。
神社はそれなりの数を回ってきたが、これぞという鳥居がなかなかない。石の鳥居は違う。吉田寮で一緒に泊まった、これから京大の博士課程に進むつもりだという、知的な底力を感じさせる初老の男性が、大神神社に行くといいと教えてくれたのだが、撮影対象にはなりそうもなかったので結局行かなかった。でも今考えると行っておくべきだった。日本最古の神社といわれ、御神体三輪山という山そのもので、拝殿から山を拝む格好になっているという。山を拝むのは三ツ鳥居を通してなのだが、これが3つの鳥居が組み合わさった独特のもの。大鳥居は近年の建造だが、高さ32mという日本最大の鳥居。しかしこれは鉄製。やっぱり青い空に赤鳥居でないと。ところが、これがなかなかないのだ。まず朱塗りが剥げたりくすんでいるのが多い。それに鳥居は参道にあるわけだが、一の鳥居など神社から離れているものは街中にあって周囲が建て込んでいるし、境内にあるとたくさん植えられている木に埋もれることが多い。一面何もない野っぱらに鳥居がぽつんと立ってるなんてのはめったにない。それに基本的に通路にかかっているわけで、正面から構えようとすると道の正面に陣取ることになり、通行のじゃまになる。平安神宮の大鳥居はでかくて赤くて、しかも背後が抜けている点ではなかなかいいのだが、京都国立近美前の広い車道のど真ん中に三脚を立てる度胸はない。それに鉄コンだし、そのためだろうか柱が直立していて、しかも太すぎ、われわれが鳥居というと思い描く、柱が傾いていてどことなくたおやかな鳥居とは違う。巨大化すると寸法の比率の3乗に比例して重量は増えるわけで、強度を保つために柱を太くせざるをえず、形状も通常とは離れてしまうのだろう。だいたいあんなに特快晴が少ない京都ではちょっとやそっとで撮影できない。それくらいなら厳島に行ったほうがいい。吉田神社の鳥居も悪くないが京都は無理だって。中禅寺湖のほとりにある二荒山神社の鳥居はきっと周囲が広いだろうが、これも車道で撮影する必要がある。交差点の真ん中でやっちゃおうかとも思ったのだが、そのために奥日光まで行く暇があったら東照宮や大猷院にあてるわい。
そこで調べてみた。意外や近くにあった。
羽田空港
蒲田から歩いてもいいのだが、時間を買ってめったに乗らない京急で。品川駅では電光掲示板に日本語・英語・ハングル・簡体字の表示。さすが国際的。日本語の表示を見るまでけっこう待たなきゃならないのが難ではあるが、明朝体の漢字に合わせて、アルファベットはローマン体、ハングルも筆書系の書体になっている。しかも電光掲示板の、16x16メッシュとかその程度の粗いドット文字でそこまでしている。やるな京急。でも特急とかの車種が日本語でしか表示されないのはどうなんだろう。
羽田線に入り、大鳥居という駅があるがここではない。天空橋で下車。地下のホームから階段を昇っていくと空が広い。これは行けそうな予感。地上に出ると建物が少ない。あっても低層。東京離れした光景。環八沿いにしばらく歩いて、あった。元穴守稲荷の鳥居。かつてどこかで聞いたことがある。進駐軍が羽田を接収し空港を拡張したが、神社の鳥居を倒そうとしても事故が起きて撤去できず、こわがってそのままにし、返還後もそのまま羽田空港内に取り残されていたと。98年に羽田空港の滑走路の延伸のため移転したが、そのときにも事件が起こったといった記事もある。しかし、少なくとも98年の移転の時には重大な事故は何ひとつ起こらなかったとのこと。その方面の専門家らしい人のいうことだから間違いなかろう。いわゆる都市伝説であると。そもそもこの鳥居自体明治に地元民の寄進でつくられたものでそう古くはない。占領下にGHQが羽田を接収したとき、住民に48時間以内の退去を命令したらしい。直接それで死人は出なかったろうし、イラクにくらべればどうということはないにせよ、昔から米軍はむちゃくちゃやっていたわけだ。その時に家を追われたひとびとがこの鳥居を、往時を偲ぶよすがとしていたらしく、滑走路延伸のためいよいよ撤去されるというときに、移転させ存続させようと2,000万の募金が集まって、残されることとなったという。現在は小さな公園として整備されており、地元民に好かれているらしく、その後10年たったこんにちでもボランティアによる清掃がいきとどいている。
web上の画像で仔細に見た対象を実際に見るのは奇妙なもの。予想通り西向き。9時に着いたが裏側に日があたっている。額束も注連縄もあっち側を向いており、明らかに逆向きだが、西側から日があたってどうなるかわからないので押さえておく。東からだと運河を隔てた向こう側の集合住宅やランプが写り込むがとにかくやっておく。上の笠木が黒いためピングラ上ではフレーミングが困難。インスタントフィルムをじゃかすか消費し、どうにか収めて露光。上が黒いので長めに70s。次と思ったら自転車で乗りつけた年金生活者が向こう側のベンチに陣どって大量生産のパンなどのろのろ食べはじめ、たぶん画面には入らないんだけどうっとおしいしさっさと失せないかなと見ていたらあっちはかたくなに居座って、こっちも仁王立ちで対峙し、サウナでどっちが先に退散するかの意地のはりあいといった様相を呈する。露光のチャンスを待つのには慣れっこ。受けて立つさ。と思っていたら雲が出てきてこれは困った。去るのを待っているうちに敵さんはベンチに寝っ転がり持久戦の構え。ところが腕組みしてにらみつけられてるのが気になって眠れないらしく、落ち着かずにこっちをちらちらうかがってくる。あんな日向の明るい中で監視されてたらおちおち寝つけんだろ。雲が消える頃になってちょうど逃げていく。やった。なんと不毛な。ここは自転車乗りが多く、鳥居を眺めるこのベンチに座る人が多いので早めに露光、と思ったら雲が出ていた。まあいいや。切迫とやや余裕とでとりあえず2枚。海が近いせいか風が強く、紙垂は揺れていて写らないだろう。
鳥居を拝むのだが、額束の下に鈴があり、そこからひもが垂れていて、鈴を鳴らすには鳥居のすぐ下に立たなければならず、そのまま拝むと鳥居を拝むというより、鳥居を通してその先の虚空を拝む格好になり、なんだかよくわかない。まあ日本的っちゃあ日本的なのか。
ここにはかつて来たことがある。おそらく93年か94年の夏。鳥居の移転前。護岸はされていたが、鳥居のある公園の一角は当時はまだなく、小さな砂浜だったように思う。運河が多摩川に注ぐちょうどここに降り立ったら、砂の上で両生類の卵みたいなゼラチン状のものが多数、日にさらされていた。あれは干潮で砂にとりのこされたクラゲだったのだろう。羽田空港の先まで行きかけて戻り、大田区の町工場の旋盤加工の金属クズなんかをマルチストロボにフィルターつけて撮ったのがその時ではなかったか。いや91年だったかも。
昼近くなるとサイドライトで撮れないので夕方まで待つ。うろついて食事し、移転した穴守神社へ。小さいがどこか存在感のある神社。鳥居を撮らせてもらったからお参りしようかとも思ったが、もうあの鳥居はこことは関係がなさそうな様子。鳥居には神は宿らないだろうから、御神体を移す遷宮といったことはやらないはずだが、移設に際し神主がなんらかの儀式を行ったようだし、神社に法的な所有権が残っているとも考えにくいので、穴守神社の鳥居、ではなくなっているのだろう。したがって穴守神社を撮影したわけではないので参拝はしない。団地のベンチでゴロ寝。わかっちゃいるけどやめられない。あまり寝てないので眠い眠い。13時頃戻るが西よりやや北向きらしくまだまだ早い。どうする。現行器の初期に撮影してそれっきりだった平和島のヤマト倉庫をとも思ったが、これも夕方じゃないと意味がないので行って戻ってでは間に合わない。そこで羽田の先に行ってみる。東京モノレールががたぴしいう脇をてくてく。一眼レフに望遠レンズをつけて離陸する旅客機を追うひとが何人も。板ものをやるかもしれないとSV23セットも持ち、これにギアヘッド用のクイックリリースプレートを装着している時間がなかったのでGitzo平型雲台も持ち、Tamracでは入らないのでFoxfireにつめこんだのだが、さすがに重くて肩にこたえる。ただ、撮影の最中は、バッグがテーブルがわりになり、上にフィルムホルダを載せておくといちいち腰をかがめて拾わなくていいのでたいへん楽。ただうっかりするとホルダを直接日にあててあっためてしまうので注意。
この先空港へ行ってもなんにもなさそうだし、引き返そうかとも思うのだが、行くところまで行かないと戻れない習性。600m以上のトンネルをくぐり羽田空港の整備場へ。各航空会社の四角四面の工場が並ぶ。特にどうということはない。それを見定めたところで、とって返す。来た道をてくてくと。2日に1日くらいこういうことができればなあ。
4、5km歩いて15頃戻る。ノドが渇いてビールをとコンビニに向かったら711とデイリーヤマザキが向かい合っている。迷わずヤマザキ、ともいかず、どっちもどっちなんだが、トイレもあるし強いていえばヤマザキか、入ってみたら今日閉店とか。そりゃ無理もないよなあ。で50%割引セールをやっている。500mlの缶ビールが多数、180円くらい。大瓶は198円。当然買っていくことを考えるが、撮影場所に持っていくのも気が引けて、当座必要な1本のみ買い、撮影後寄ることにする。残っているだろうか。
鳥居に戻ると、若いカップルの女性が川を背に立ち、男は杭の上に携帯を載せようと四苦八苦している。こりゃ並んで記念撮影がしたいんだろう。さっきより風が強くなり、あおられて携帯が落ちそうだし、「シャッター押しましょうか」と声をかけてみると頼まれたので快諾。こんな人間嫌いが、まさしくどういう風の吹き回しか、ってなもんだが、写真というメディウムへの関わりかたのひとつという興味があったのかも。そしてセット。行き先表示の道路標識がうしろに入るが、東側からの場合の夾雑物よりは小さい。こちらにすべきだろう。またポラ切りまくる。さっきゴミ箱に捨てたインスタントフィルムの残骸はきれいになくなり、新しいゴミ袋が入っている。朝もきれいなゴミ箱だったし、ゴミ拾いをしている一群がいた。地域に根づいている様子。正面がつかめず、左に動かして2枚、また右に戻して2枚。午前中は太陽の照り返しのグレアが高かったのだが、同じクロス程度の左右方向でも低いのでグレアが低くなる。遠くの海上にはうっすら雲。でもたいして出ないし続行。透明度低く雲もかすんでいる。この箱の初期には、桜木町でちょっと雲が出ると打ち切ったものだが。でも17時過ぎ、最後の露光の頃にはかなり上がって濃くなっていた。あれは出る。あれだけ雲が出てても撮影するようになったとは。このころには太陽側もかすんできて光が弱い。EV15、90sからEV14、240s。
額束には「平和」とある。いきさつからして世界平和を託すのはまあ理解できる。まわりにある説明を読む限りでは宗教的要素は残っていないかに読める。拝んでいるひとはみな、なぜか手は打たず合掌している。神社ではないという意識なのだろうか。だが、注連縄に紙垂がかかっていて、神社の意匠は継がれている。でも注連縄はよってある本来の型ではなく、中心が太くなった芯に細い縄が巻いてあるもの。これを今回の一連の写真に含める際の位置づけとしては、かつて穴守神社の鳥居だった、現在は無宗教に近い造形物ということになろうか。
考えてみたら柱が直立か傾いているかはほぼ関係なかった。むしろ直立のほうがわずかに効果は上がるが、いずれにしろ大差はない。だったら平安神宮大鳥居でもよかったわけだが、柱の太さは気になる。
今回、視覚的効果が主軸なのか、対象の歴史的意味あいを重視するのか、でのぶれがある。知恩院醍醐寺仁和寺といった総本山級の寺院の主要堂宇は、この箱で撮影すると似通ってしまい、視覚的なおもしろさにはやや劣る。それでも入れたのは、京都の格式の高い寺という歴史的価値に訴えたかったからだ。とはいえそれだけでは見た目に弱いので、朱雀門など建物としての歴史的価値には乏しいが見栄えのする対象も必要となる。2つの基準が混在していて、どっちつかずとの批判は甘受せざるをえない。本来なら、有名でなおかつヴィジュアルな魅力もある玉が望ましいのはいうまでもない。だがそれはなかなかなく、現実には二重基準にならざるをえない。厳島神社の鳥居は朱塗りが剥げているようで、赤さでいったらこちらのほうが優れている。でも、やはり厳島神社をやっておくべきだろうか。
デイリーヤマザキに寄ったら500ml缶ビールは消えていた。瓶ビールは3本残っていたので買う。カメラバッグにつめこむとさすがに重い。これだけで2kg。全部で10kgは超えるだろう。加えて7kgの三脚。へとへとになって帰宅。
眠い。もう寝ないと。Work to liveだ。