曇のち雨。パリは今回無理か。サンジェルマン・アン・レ。そこそこ広い庭園。高台になっていて東側のパリ一帯を見晴らせる。城は歴史関係の博物館。ここも石畳。戻ってマルメゾン城。乗ったバスの行き詐欺が間違っていてさんざん歩く。しかも昼休みで入れないのでぐるっと回ったら出られず元来た道を戻ってさらに無駄に歩く。有料だったかもしれないが正面左側が開いていたのでそのまま入る。ナポレオンとジョセフィーヌが暮らしたという城だがぱっとしない。
市内に戻りオーステルリッツ公園近辺のいろんなミュージアムをかすめ、モスクにちらっと入り、カギカッコのように並んでいる国立図書館新館を眺めて中心部へ。パレロワイヤル、コメディ・フランセーズなど。シャイヨ宮とトロカデロ庭園からギメ美術館を素通りし、パレ・ド・トーキョーでトイレだけ借りて市立近代美術館。都美術館のような老朽化した施設。見たのはコレクションだけだがこれも古めかしい20世紀フランス美術。存命の制作者で名を知っているのはボルタンスキーくらい。ボルタンスキーは上では肖像ではなく雑多な品物の写真で祭壇をこしらえているのだが、それにあきたらず地下で2部屋も占拠して児童服やら世界中の電話帳やらをためこんでおり、ただただうっとうしく息が詰まる。今どき電話帳なんて。ものをためて並べるという営為自体が前世紀の遺物だと思わせる功績はあるか。あとは多数のフランス人の絵画。ブラックもピカソもあるにはあるけどポンピドゥーよりだいぶ落ちるように素人目には見える。オリジナリティを感じさせるのはレジェくらいまでで、それ以後の世代はみな凡庸な印象。いい玉をポンピドゥー・センターに根こそぎ持ってかれたあとの絞りかすなんだろうか。ただとにかく広くてたくさん並んでいる。ピカビアはポンピドゥーにもあったがここにもいくつか。古巣に入って最初の大きな仕事がピカビアの臨時増刊の下働きだったが、どこがおもしろいのかいまだにわからない。装幀が横尾忠則で、三鷹のアトリエへ使いっ走りに行ったものだ。
ヨーロッパ写真美術館にも行ったがカルティエ=ブレッソン。今この人の写真を、それもパリで見るなんて退嬰的すぎる。見るべきものからは思いつく限り最も遠い写真。ホステルで同室になった、えらくフレンドリーなデンヴァー在住のアメリカ人に、ヘンリカーターブリソンを見に行かないのかなどと尋ねられ、最初は何のことだかわからなかったが、理解次第言下に否定した。われわれはああいうエスタブリッシュメントにはプロテストしなければならない、と。ミュージシャンらしく納得した様子だった。コレクション展示もなくスルー。
国立図書館旧館で何やらつまらなそうな写真がらみの展示をやっていたが遅すぎて入れず。ポンピドゥーは22時までだというので20時頃行ったらチケット売り場が閉まっていて展示は見られなかった。
だいたいの歴史的建築物は見たと思う。もっとも、バーゼル在住者から借りた20年前の『地球の歩き方』だけが頼りなので、最近の観光名所はとりこぼしているのだろうが。バスティーユの近くに泊まっていたのに新オペラ座には行かなかった。地下鉄1号線のバスティーユ駅は丸ノ内線の四谷駅に似ている。川の上でそこだけホームが地上に露出している。
宿のカフェでしょぼい朝食を受け取っていたら日本語が聞こえる。あんなところに日本人の若い女性が泊まるとは。2人と1人。よくこんな不衛生なところに泊まれますねと尋ねると、どこがですか、という。旅慣れていて、もっと下も見ているから平気なのだろう。タフだなあ。
機材について。
今回は現行器の他にSinarf2改一式も持って家を出た。ところが成田で8kgの重量超過を宣告され、超過分は1kgあたり40ドル必要だという。そんな。キロ1ユーロと聞いていたのに。超過分を手荷物にしてしまえば持ち込めたのだろうが、手荷物にするつもりのTamracのリュックで中身はフィルムでいっぱいで、どこにもそんな余裕はない。段ボールか手提げ袋にでもつめこんで機内持ち込みという手はあったのだが、そこまで頭は回らなかったし、エコノミークラスでは手荷物は1つまでとなっているから無理だったのかもしれない。やむなくSinarf2改とレンズ3本、ロールフィルムホルダ2個、ポラロイド545ホルダとポラロイドフィルム、そしてブローニーフィルム10数本分を空港のヤマト運輸窓口から自宅宛発送したのだった。8kg程度なのに1,500円超で通常の国内便料金より高く、足もと見た料金。22日の発送にしようとしたら、1日発送だと配達は8日まで、不在時預かりはそれから1週間以内という。でも発送元が本人で成田からなので、期限を超過しても発送元に送り返すわけにもいかないだろうし、保管してくれると踏んでそのまま発送する。あとでバーゼルから集配所に電話したら特に問題なく22日まで預かってくれるとのことだった。
そういうわけでSinarf2改とSAXLで撮影するつもりがかなわなかったのだが、晴れの日も少なくてそんな時間もなかったし、それに適した対象もなかった。そういう目で見ていなかったから見つからなかっただけかもしれないが。関心も薄いのがわかった。だからよしとしよう。そういえばフランス語圏のスイス人に聞いたところSinarなるカメラメーカーは知らないとのこと。そしてジナーとは読まずシナーになるという。フランス読みならそうだろう。でもドイツ読みではどうか。スイスのドイツ語はドイツ語とは文法も違い、また基本的に濁音がないらしい。バーゼルも現地の発音ではパーセルに近い。だからやはりシナー。英語ではサイナーだし、日本でいうところのジナーはドイツ風の発音であって、スイスでの発音には即していないことになる。なおバーゼルチューリヒのカメラ屋をちらっと覗いた限りでは、Sinarなど影も形もなかった。もっとも、日本製のデジタル一眼レフカメラやヴィデオカメラが並んでいるような路面店の話であるから、東京だって大差ない。
ともあれ三脚が重すぎた。三脚本体とバッグだけで5kg程度、雲台が2.6kg、これだけで8kg近くになる。カートの重量も数kgあるから、22kgの機内預かり荷物制限重量のうちカメラ類に割けるのは半分以上になってしまう。機材の保護用として衣類もそれなりに必要。これではビューカメラ一式はかなり苦しい。同じギア雲台にしてもManfrotto#405を入手して、三脚ももっと軽いのにしないと海外旅行には現実的ではない。当然歩くときにも行動を制限するし。#405は#400よりノブが小さいので緻密な制御はしづらいがやむをえない。しかしいつまでこの用途で使っているだろうかと考えると購入をためらってしまう。
食事について。
今回、和食なしで平気でいられるかどうか試してみようと思った。就職したばかりの頃、同僚から米なしじゃつらいだろうねと言われたのをきっかけに、米抜きでどれだけ過ごせるか実験してみたことがあるのだが、長くは続かなかった。米が食べたくてしかたがないというよりも、当時は外食のみだったから、米を除外すると食事の選択肢が狭まるのだ。インド料理か西洋料理か麺類くらい。今でこそ神保町はカレー激戦地とされているが、ナンを出すある程度ちゃんとしたインド料理の店は当時マンダラ1件くらいしか近所になかった。いわゆる洋食屋ではないフレンチなんてそういつも食べられない。麺類自体は嫌いではないのだが、単品で頼む麺というものがあまり好きではない。ラーメンやパスタだと必要に迫られ大盛りにするわけだが必ず途中で飽きる。ということで行ける店がたいへん限られてしまい、まだ入りたてで近所の店をろくに知らなかったこともあり、1週間ほどであえなく挫折した。でも今回は米抜きでもいくらでも食べ物はある。むしろ米や和食を探すほうが苦労する。
実家にいたときは朝はパンを食べさせられたのだが、進学で寮に入ってからはパンなど食べなくなった。食べたいとも思わなかった。たまにパンの耳を近所のパン屋からもらってくる程度。実家を離れてからのほうがむしろ和食一辺倒になった。今でもパンを食べる習慣がない。でも旅行中の20日間に限ればパン中心、ときどきジャガイモくらいでどうにかなった。バーゼルの宿主にも和食類は断っていると協力を求め、一度だけ親子丼もどきが用意されていたのでやむなく食べてしまったのと、みやげの木の芽の佃煮を、おそらく中華風なのだろう、高野豆腐のような固い豆腐に乗せて食べたが、それ以外は和食なしで貫いた。帰りの機内食も鳥ご飯よりラザニアのほうが一見して原価がかかっているので迷わずそちらに。食費はかなり抑えていたので、後半には、もうちょっとまともなものを食べたい、せめて汁気のある温かいものを、とは思ったが、和食を食べたいというのとは別。煮炊きができればあと1、2カ月なら和食なしでも平気だろう。和食への依存度は低い。食事に関しては、外国に滞在しても現地の環境に対応できるのではないかとの手応えを得た。でも、1年だと和食が恋しくなるような気がする。一度日本人が集まる席で和食を避けてもらったところバーゼル在住の日本人は和食が食べたかったらしく少し恨めしそうだった。食事が原因でホームシックにかかったりはしないにせよ、オペラ座の近くの日本食材店で、丸美屋の五目釜飯の素が5、6ユーロとかの法外な高値で売られていたりするのをバカにしているけれど、もし長期滞在したらそういうのにすがっちゃうかもしれない。とにかく、次に行くときは、ドネルケバブとピザ以外のちゃんとした現地の料理が食べたいもの。それが目的ではないけれど。