午後に多少晴れそうな予報。3器と、露出計がお隠れなので数年使ってないEOS-1nを露出計がわりにと持って出発。14時半頃、蒲田駅から大田区民ホール。ところが正面からの見てくれはガラス張りで立派なのだが中身はお粗末でどうにもできそうもない。ざっと見て引き返す。前もって問い合わせたところでは、「雑誌などに載るのでなければ」当日事務所で撮影許可をくれるとのこと。隣接するニッセイのビルを写さないなどと誓約させられるらしい。あほくさ。だいたいこういう場合は展示に出すのはOKということなのだが、相手がどういう展示を思い描いているのかよくわからず、明文化しておいたほうがわざわいを招かずにすむと思うのだが、何しろ説明するのが面倒で面倒で。鑑賞対象としての写真というジャンルがこの国でいかに公共性を欠いているかを如実に痛感させられる。写真は営利目的か趣味でやるもの、その間やその外はない、というのが世間一般の通り相場なのだ。鑑賞対象としての写真でありながら同時に営利目的というのも例外的にあるんだろうけど、それはもう「政治案件」だったりの別マター。そういえば知り合いがかつて某助成金を獲ったのに長期ヴィザがおりず、困り果てて八方手を尽くしたら超大物代議士秘書にまで行ってしまい、めでたく発給されたらしい。
浜松町から増上寺寺をはじめた2006年12月に最初に行ったのがここ。戦災焼け残りの山門は意外に大きかった。全体に朱というより赤でちょっと珍しい。でも今さらどうこうするほどのものでもない。知恩院東本願寺の山門よりは小さそう。で敷地をかすめて東京タワー。写真を撮るために見に行った記憶がうっすらあるのだが、日誌をつけだした2003年末からの記録にはない。で、実際に行ってみるとだめだこりゃである。足を運んでそういう目で見てみないとものになるかどうかはわからない。技法を変える、すなわち様式を変えるたびにその必要が生じる。でも日が射してきてやや青空も覗くので構えてみる。テストだし許可とかわずらわしいのでちょいちょいと。南西の礎石の下から、センター器2m、オフセット器1m。EOS-1nは電池切れだった。時計もなくてそらで数える。職員がうろうろしていてつまみ出されるかもとびびっていたのでだいぶ短縮されたかも。とにかくいい加減このうえなし。
また日が翳ってきててくてく。飯倉交叉点から神谷町、霞ヶ関からさらに北上しようかとも思ったが日が出そうもないのであきらめて東に向かい新橋着。電車で新宿に出てクリエイト。ダークバッグを持ってくるつもりが忘れたので借してもらい、箱出しのための4x5の箱も借り、さっき撮影したネガをその箱につめてそのまま現像に出す。5月の品川のネガをやっと引き取ったがカブリはなかった。この面に関してはチューリヒ空港で開けられてはいなかったようだ。でも他のは開けられたかもしれないし逐一確認していくしかない。品川の4x5は未現像のがまだ1枚ホルダに残っているが、これは捨てだろうなあ。日光の残りのネガを2段増感で出そうと思ったら、ネガの増感は1段までだという。それじゃ意味がないので他を調べようと取り返す。
新宿ハンズで真鍮と塩ビとよくわからない緩衝材の板を購入。
Foxfireのカメラバッグ、フォトレック30を某所で見つけ購入。9k台。間仕切りが一個足りないがよしとする。フォトレック40ではでかすぎると前回の関西旅行で痛感して、内積30Lでやや小さめのこれを探していたのだが、これでもまだ大きい。厚さが25cm程度あるので、最近サイズの制限が厳しいというアメリカ国内線の機内持ち込み手荷物でははねられるかもしれないが、通常は大丈夫だろう。こないだのスイスインターナショナルエアラインズでももっとでかいバックパックを持ちこんでいるあちらのひとがいた。フォトレック40をスイスに持って行かなかったのもサイズが超過していると思ったからだが、たぶん平気だったのではないか。フォトレック40の不満は大きすぎることもあるが、二層式で上下の気室を一体化できないところ。フォトレック30は上下の割合が可変だし、インナーボックスを取り去ればつなぐこともできるからSinarF2も入れられる、と思ってわざわざ購入したのだが、あとからフォトレック40の上下を分ける壁がジッパーで開けられて、こちらも上下をつなぐことができるのに気づいた。まあいいか。荷物は少ないが今日使ってみた。フォトレック40同様たいへん背負いやすい。でもやや重い。フォトレック40は処分の予定。まだそんなにいたんでない。