レンズつきフィルム続き

近所の55stationに昨日撮影したのを持っていったら、フィルム現像代は630円均一と安いのだが、プリント代が37円からと思ったより高くて、フレーミングが思い通りでなかったり露出が合わず補正する必要を考えると、最初から自分で焼くか、フィルムスキャンしたほうがいいかもと思い帰ってくる。イエローカメラのほうがたぶん安いと思うのだが、近所のはたたんでしまった。ミニラボ業界も淘汰整理されてきて、一時期のような行きすぎた価格競争は是正されたということだろうか。
昨日の付記。手元にカメラなどがない条件下で写真撮影手段を調達するには、レンズつきフィルムが今なお最も安くどこでも入手しやすいと述べたが、それというのも、135フィルム規格とネガフィルム現像処理規格の普及、世界中のラボの展開、そしてレンズつきフィルム本体を回収再利用する循環システムなどからなる産業インフラが確立されているからである。レンズつきフィルムは、系列ラボへ現像処理に出されれば、本体は再利用される。いわばある種のレンタル、あるいはカメラのデポジットシステムを構築することで販売価格を抑えている。これがすごい。ただ、全数が回収されるわけでもなかろうし、再利用できない個体も多いだろうから、純然たるレンタルとは違って回収の歩留まりが低いので、本体の製造原価は極力抑えなければならない。いかにしてそれを実現したのかというと、安さの最大の理由は、フィルムという結像再現媒体のコストの低さと性能ではないか。カラーネガフィルムが、ただ単に安いだけでなく、きわめて広い露光輝度域を有しており、それによって単一シャッター速度かつ絞り固定というきわめて単純な機構のみで、幅広い明るさに対応できるからこそ、こみいった露出計測・調整機能を必要とせず、安価なしかけで撮影が可能となるのである。
デジタルカメラの製品としての最大の問題は、レンズつきフィルムのような簡素なつくりでは成立しないという点である。デジタルカメラの枢要は高価な撮像素子だが、付帯する画像処理・作動制御回路やメモリやそれらを駆動するための電源まわりも原価がかさむ。たとえ量産効果でこれらの製造単価を下げて、しかもリサイクル体制を実現したところで、実売500円以下のデジタルカメラを商品化するのは無理だろう。プラザクリエイトエコデジモードとかいう、携帯電話のディスプレイを再利用した使い切りデジタルカメラを一時期販売していたが、これも1,980円。プラザクリエイト系列店でしか処理できないのはともかく、カメラ自体の販売も系列店のしかもごく一部に限定されていたのは致命的。カメラが必要なのに手元にないという局面で、全国どこででも手近で調達できるのがレンズつきフィルムのよさであって、こんなデータ読み出しの汎用性すらないものをわざわざ55stationまで買いに行くくらいなら、もうちょっと出してそこらでまともなデジタルカメラの型落ちを安売りで買うか、誰でも家に1つ2つは所有している自前のカメラを最初から持っていくだろう。これが発表されたのは去年の今頃だが、今では影もかたちも見あたらず、どうやら完全撤退したようだ。さもありなん。
付言すれば、フィルムの可塑性もレンズつきフィルムのコストダウンに寄与している。外側から見るだけではよくわからないが、レンズつきフィルムのレンズは原価を抑えるためかなり簡略化されているそうで、構成レンズの枚数が少ないから収差補正で贅沢できない。そのため、湾曲収差を犠牲にして他の諸収差を改善してあるらしい。湾曲収差が残存しているとは、ピント位置が平面ではなくゆがんでいるということである。画面中央にのみピントが合い、周辺部はピントがずれてぼけてしまう。すばらしいのは、フィルムゲートを細工してフィルムのほうをたわませることによって、このピント位置のゆがみに合わせるという意表を突く工夫が施されていることだ。こんな芸当、デジタルカメラではまずできない。
写ルンです」。ファインダーはスヌケではなかった。ちゃんとレンズが入っている。2群構成と思われる。逆ガリレオ式だろう。たいへん明るい。
見れば見るほどよくできている。フラッシュつきでこの値段。ドンキなら300円台らしい。北関東僻地のホームセンターでも各種レンズつきフィルムが出入り口の裏のいちばんいい売り場にたくさん並んでいた。まだまだ需要があるのだろう。これは写真技術の到達点と呼んでなんらさしつかえないと断言できる。レンズつきフィルムを嗤うことはなんぴとたりともできない。なんぴとたりとも、だ。むろんこのカメラに苦手な局面はあるけれど、苦手な局面のないカメラなどどこにもない。たいていのデジタルカメラは極寒地では使いものにならないだろう。万能のカメラなどない。レンズつきフィルムに典型的な写真内容というものはあるかもしれないが、それはレンズつきフィルムの限界とは関わりない。これを写真撮影のデバイスととらえるなら、できるかもしれないことの可能性は限りない。これをみずから買って使って結果を確認するであろう機会に恵まれたのはよかった。
「ビジネス」から離れてものをこしらえるといっても、ビジネス的価値基準には与さないということであって、写真をやっている限り産業的・商業的・経済的条件に捲き込まれざるをえないのはこれまで幾度となく述べてきたとおり。