昼頃曇だったが午後には快晴。出かけるか迷うが、どのみちまだテストなんだし近所でやることに。接着剤を一晩乾かした4号器を完成させる。2006年8月期限切れのTMXの開封済のがあるはずなのだが見つからない。よくよく探したら雅の箱に入っていた。でも冷蔵から常温に戻さなければならないし、もっと古い1999年1月期限のTMYがあったのでこれにする。室温ですぐ使える。装填し、15時半頃、裏の駐車場にて。日なたはEV15.0、日陰はEV10.6。縦1横4、約20s。
戻って2007-08-06に希釈したT-MAX RS Developer、水、いつのかわからないスーパーフジフィックスをKodakのハードラバータンクに入れて並べる。フィルムも薬品もとっくに期限が切れたジャンク。テストで湯水のように使うにはちょうどいい。ただ薬品に能力が残っているのかわからないし、だいたいほんとに中身が現像液や定着液なのかも定かでないので、器のテストの前に薬品のテスト。シートフィルムホルダに装填してから引きぶたを半分開けて露光したフィルムを処理してみる。今日は晴れてるので夕方でも暑い。液温26℃。フィルムをフレームつきのハンガーに装填し、攪拌は30秒に1回引き上げて液切り。長めに8m。結果、とにかくきっちり濃度は出ている。ピンクステインも抜けて、定着液もまだへたってはいない。
そこで5枚をハンガーに入れ現像。5.5m。全部ケラレている。がっかり。日曜の桜木町も無駄だったということか。
内部を改造。4号器は弥縫策では解決できそうもないので引っぺがして全面的につくりなおし。他は原形を生かしたまま手を加え、より安全なようにキャップ位置を揃えることに。さらにテスト露光。もう外は暗いので室内で。ところがEV6程度。室内とはこんなに暗かったのか。考えてみると、このところ室内で定常光のみで撮影した記憶がない。2004年の個展に出したうち白バックの一部はここで撮影したが、ブレーカが落ちる限界までフラッドランプを焚いた。あとフラッシュなしの室内手持ち撮影なんて20代の頃対談とか結婚式の撮影でやっていた程度。戸外より8段も暗いとは。いやあたりまえなんだがほとんど撮影経験がないので実感としてわきまえていなかった。無知を恥じねば。
単純に考えて同じ露光量を与えようとすると85分、相反則不軌も考慮するとそれでも足りないがまったく現実的ではない。白い壁に向けて15分とする。長い。忘れてしまう。4号器はすぐにはつくりなおせないので4器。今度は去年買った、フレームのない「sheet film developing hanger No. 6」でやってみる。ところがタンクになかなか入らずやりづらい。No. 4aのほうが、フレームでフィルムが保護されて安心なのと、重みでフィルムが確実に下を向くので、全暗中で難なくタンクに投入できる。No. 6は重心が下になく、軸が丸棒だということもあり、フィルムがまっすぐ下を向いてくれないために命中させにくいのだ。Kodakはなんでこんなものをつくったのだろう。乾燥には使えるし、何か使う機会があるかもしれないのでしばらくは処分しないが。しかも、No. 4aよりフィルムの位置が高く、タンクの液面が低いためにフィルムの上部が現像されていなかった。どうやらフィルムを縦置きで使うものらしい。なんたる。だがだいたいのところはわかった。まだ1号器と3号器でケラレがある。縦位置は未現像部分がかかってよくわからない。これだけやってまだ駄目なのか。1号器は、開けてみたら改修時の仮留めテープがついたままだった。それじゃケラレるだろう。しかし3号器は、ケラレはわずかなのだが原因箇所がわからない。これはいちばんよくできているくらいなのに。しょうがないので中腹の少し浮いた部分を抑えこんで先を削ってみる。これでも駄目ならもう打つ手がない。
そして装填。露光15mの27℃5m現像ではやや薄かったので、今度は2段増感。こうして書きながら露光中。すべて15mのつもりだが1号器などは何分からはじめたのかわからなくなりだいぶいい加減。今度は乾板も現像できる枠つきのNo. 4aで27℃7m。ところが1号器と3号器でなおもケラレ。これだけやっても駄目か。使えるのは1器のみ。あとはやりなおしか。しかし試しにやってみる限りではぶつかりそうには見えない。とにかく削りこむしかないか。ふと、フィルムの入れかたで回避できるのではないかと思いつく。不安定で、移動後や気象条件でどう転ぶかわからないけれど、とにかくやってみるか。今日一日でだいぶ進展した。進展したとはいえないかもしれないが、新宿通いよりも格段に効率よくテストを回すことができ、問題の所在だけははっきりした。現像ハンガーとタンクの出費も回収できた。
フィルムも薬品も、このままなら捨ててしまうようなガラクタだが、無駄にせずにすんだ。しかもフィルムはもらいもの。もっともっとたいせつなものをさんざん無駄にしてきたし、こんなどうでもいいジャンクを後生大事に使うくらいなら、もっと稀少なものをだいじにしたほうがいいに決まっている。だが、無駄になったかそうでないか、有意義だったかそうでないかはそれに対する評価次第なのであって、この場合当人が有意義だったと思えればそうなるのである。だから、これらを有効活用したことでより大きなものも有意義に使えたのだ、と思うことにしよう。