セコイからこそ廃液は業者に回収してもらう

写真廃液を貯蔵しているポリタンクの残量は着々と減っている。別に何をするでもなく単にほっぽって自然蒸発にまかせているだけだが。こないだの台風の時にはさすがに外側のキャップは閉めたが、部屋に近いほうは開けっ放しだったかも。近いうちカラーネガフィルム現像も自前でやるつもりで、使い切りではなく補充で回していくだろうけど、それでも当然使用可能期間には限度があり、廃液はどんどん増えるだろう。
ここをご覧の皆様方は先刻ご承知の通りたいへん金勘定にうるさい人間であるからして、こんなものに処理費用をかけるはずはなく、下水に垂れ流してあたりまえ、かというと、それは違う。ならば今どきふうのエコか? まあ否定はしないけどロハスとか流行りもんは虫が好かん。われらが経済観念を裏づけているのは合理性である。いかに合理的に無駄なく振る舞うか、そこにわれわれの行動規範の根幹がある。そこで、定着廃液、ここには大量の銀が含まれてるわけだ。銀ったら貴金属ですよ。しかもモノクロなら銀の一部は感材に残ってるからまだしも、カラーは全量定着液で除去されてるのである。そのうえ、このドロドロの地獄の釜の湯は2年にわたって凝縮されて、そこらのラボが出す定着液より銀濃度は格段に高い。これを下水に捨てるなんて、なんと無駄な。愚昧きわまりない。われわれのセコ根性に反する。われわれは倹約はするが吝嗇ではない、違った、吝嗇だが倹約なんぞしやしない。使うところには見境なく注ぎこむ。だから金払ってでも回収してもらうことで、合理性への執着が満たされるわけだ。発色現像液のほうはついで。目先の金銭への執着を上回る、はためからは時として理不尽なまでの合理性への執着に突き動かされるのがわれわれの使命である。