また晴れちゃったらどうしようと昨夜案じていたのだが、予報通りきっちり曇って惑わず暗室作業に専念できるというもの。前回のプリントのシアンカブリがずっと気になっていて、別の箱の印画紙が同じ結果になったのがひっかかり、もしや全部の箱が駄目になっているのでは、大量に買い付けた印画紙が一夏越えてやられちゃったんじゃなかろうか、それともこの部屋で謎の赤外線でも発生していて箱を透過してみな感光したか、などと心配していた。青カブリが出たという報告もあり、使っているプロセッサも同機種なので嫌な予感。mkbさんとはすまいがたいへん近いようで、このあたりで何やら特殊現象でも起こったのか。まさか。
プロセッサにまず水を注入し、表示が35℃になるまで待ってから、第2槽の液温を温度計で計ってみる。漂白定着の液温に問題があるとカブリの原因になるようなので。CP31では液温表示が出るのは第1槽のみなので他は外部の温度計をつっこむしかない。すると第2槽も第3槽も34℃程度。取説によると出荷時は「約33℃」とのこと。液温計のほうが狂っている可能性もあるのでまったく問題なし。ここの設定はいじっていないから、おそらく工場出荷時のままなのだろう。
今年5月30日に開封した発色現像液を希釈。
BAP-1R165ml、スタータ45ml、水1,590mlで1.8l
漂白定着液は未開封のもの。ロットごとにA液とB液の配分が微妙に違い、それぞれの量が違うらしいので、正確を期すなら、小分けにするにはボトル内の全量を計っておく必要がある。今回は2008-09-18に計った時と同じ箱に入っていたので同じ比率であると見なす。当時はA液の総量が1,440ml程度、B液の総量は2l程度だったのでそこから計算。
A液260ml、B液360ml、水1,180mlで1.8l
これまではKodakの30℃の温湯で希釈するとの指示に従って給湯器のお湯を使っていたのだが、モノクロでやっていたのと同様、浄水器の水を使うことにする。といってもBritaだが。常温のままだけれど、室温現像を何回かやったり常温の使用液をプロセッサに入れたりして問題ないのが確認できたのでなんら抵抗はない。漂白定着液の飛沫が発色現像槽に飛ばないよう細心の注意を払ってプロセッサに投入し、内蔵ヒータで温める。20℃からだと30分程度かかる。これが、卓上機使用の場合に温湯での希釈が推奨される理由だろうか。以前冬の水道水をそのまま投入した時は1時間経っても22℃くらいだった。温度維持が目的のヒータなので短時間で温まるようにはできていない。で待ってる間こうしてだらだら書いている。
結果。だいぶ改善した。以前同じオリエンタルのRA-4互換薬品で処理した同じマット紙とくらべるとベースにうっすら青が乗って見えるので完全解決したわけではないが、展示用途でもないのでどうにか許容範囲内。やはり漂白定着液の劣化が原因だったようだ。色は発色現像段階で出尽くし、漂白定着では銀を再ハロゲン化し除去するだけなので、漂白定着の不具合では銀が残って色がくすむことはあっても、色がつくことはないと考えられるのだが、漂白定着液の疲労がカプラに影響することもあるのだろうか。それとも銀残りがシアンに見えるのだろうか。あるいは、未露光のカラー印画紙はシアンブルーに見えるが、この成分を除去しきれないのだろうか。まだかすかに残っているので原因を究明する必要がある。発色現像液の開封から半年経っているせいか、印画紙の変質か。蓄光テープによるカブリならマゼンタになるはず。現像液の劣化ならいいのだが。いや、それより基準にしている以前の紙のほうが赤カブリしているという可能性はないか。けっこう微妙でなんともいえない。
まずは2009-10-08の東京タワーから、これまでのネガを焼く。2009-10-21以降のネガはクリエイトに預けっぱなし。引取に行く時間がない。内面反射防止工作を施していない器で露光したネガはフレアで濁っている。悪条件だがどうしても撮影したいというのでなければ、この器は使わないほうがいい。対策のあるものはずっと色の分離がよい。「色の分離」とはまさしくこのことであろうというような差。シャドウもよく出ている。軟調の160NSだがかえってよかったかもしれない。現行器、というよりすでに過去の道具なのだが、2006年と2008年の個展で使った器は、建築物ということで硬調のPro160NCだったが、かなりシャドウがつぶれており、NSにしたほうがよかったかもしれない。もっともあれは露出が今より長かったので、長時間露光適性があるNCにしたということもあるのだが。
ところで高田馬場の貸し暗室は4年前に1度下見に行っただけなので実際のところは知らないが、各個室に備えつけの大四切プロセッサで処理する分には快適だろうと思う。だが、大全紙プロセッサは1台しかなく共用で、その部屋の前に列ができていてこれは効率が悪いと感じた。複数の作業者に対しプロセッサが1台だけという環境は9年前狛江その後東新宿でさんざん経験したが、露光後に暗室内で印画紙を遮光箱に入れてからカーテンないしドアを開けて個室を出て、プロセッサが置かれた共用暗室に入ってカーテンを閉め、箱から印画紙をとりだしプロセッサに投入、プロセッサに印画紙全体が吸い込まれるまで待っている、という一連の動作に要する時間が無駄そのもの。その過程で印画紙に傷がつくこともあるし、かぶらせる原因にもなる。使用中で待たされることもしばしば。しかも東新宿のほうはノーリツの業務機で同時処理が可能だが、当時馬場の大全紙機は1回に1枚しか処理できず、印画紙が排出されるまで5分とか暗室内でずっと待っていなければならないしくみだった記憶がある。とにかく混んでるし大型プロセッサ前の長蛇の列にげんなり。4x5の伸ばし機は1台だけで、かなり古いうえにネガキャリア装填部に汎用性がなく、1つしかないガラスキャリアは傷だらけ、こりゃ駄目だと思って2度と行っていない。
共同暗室の煩雑さは、たぶん50回ほどにはなる暗室借りで充分思い知った。貸し暗室に多いファッション系写真業者なら「メンテの面倒を逃れて貸暗室に乗り換える」のも理解できるが、鑑賞対象写真をやっていて、自家暗室の居心地・使い勝手・自由度に慣れた人間が貸し暗室に戻るものだろうか。それは、薬品の面倒を見たり自前の機材を調整するのを楽しいと思えるか億劫に感じるかの差かもしれない。もっぱらモノクロだった頃には暗室作業が負担だったが、カラーの暗室作業をやるようになって好きになった。今ではカラーネガフィルムの現像さえ自前でやろうという勢い。機材や暗室の管理にまつわるあれこれそのものがおもしろい。mkbさんなり特定の誰かがそうだというのではなく、一般的な話として、あるいはむしろ自分の問題として、そういう雑多事を楽しめないようでは、金にならない暗室作業を長期にわたって続けていくのは難しいのではないだろうか。実際モノクロのほうは、テストには使うけどすっかり遠ざかってしまった。メディウムを運用するにあたってのこまごました準備や後始末を好きになれるかどうかは、そのメディウムへの適性を示すのではないか。暗室が向かないなら無理せず外注なりに切りかえたほうがいい。そして、暗室に関わる諸々が苦になってきたらもう潮時だろう。あと何年できるのか。細江英公によると、ブレット・ウェストンは80歳の誕生日に生涯のネガをすべて焼き払ったのだという。
かつて貸し暗室関連で働いていたO氏が、暗室なんてちょっと初期投資すれば自前でつくれるのに、どうして高い金払って借りるのかわからない、と語っていたが、今となってはまったくそう思う。他人は違うかもしれないが、自家暗室でやれば、カラーのバット現像でさえ、貸し暗室よりずっと気楽である。
それはそうと、ファッション関連の広告写真で今なおフィルム撮影が行われている理由は、デジタルでは質感が出ない、ということらしいのだが、それはベイヤ配列型受光素子の構造的問題であるモアレ発生を抑えるためのローパスフィルタが、衣料繊維の再現を損ねるからだろう。アナログTVで出演者が格子柄の服を着ているとシマシマウネウネが出るのと似たような理屈でモアレが起こり、その解消のためのフィルタが織物のもっと細かい幾何学的パターンに悪さをする。それは確かに致命的だが、だったら非ベイヤ配列の受光素子を搭載した機種を使えばよさそうなもの。別にデジタルの肩を持つわけじゃないけど。Sigmaデジタルカメラに使われているFoveon製CMOSはローパスフィルタがない。富士フイルムのスーパーCCDハニカムは六角形ではなくなりハニカムとの呼称が看板に偽りありで、ローパスフィルタがあるようだしこれはわからない。でもファッションのひとはSigmaなんてまず使いそうもない。
プロセッサの処理待ち時間はたいへんくつろげる。なんたって自分の部屋。こんなふうにネットやったりmp4録りしたラジオを大音量でかけたりなんてレンタル暗室ではそうそうできない。新宿御苑のカラーの個室なら広いので、ノートパソコンの各発光部をつぶして露光のつどスリープさせればやってやれなくもなかろうが、あそこもなあ。レンタルは時間に追われる気分になるのが最大の難点かもしれない。貧乏根性のせいだといわれればそれまでだが、時間の制約があり、時間をかけるほど費用がかさんでいくとなると、納得いくまでとことん追いこんでやろうという意欲がどうしても阻害されてしまう。
そしてサンマとカツオの刺身でビールを飲みながらプリント。こうなっちゃうと自家暗室の長所とも短所とも判断できない。作業の合間に食事して、ビールもついでに飲んでいる、ともいえるが。ただ展示用のプリントでは飲みながら作業したことはない。いつもそんな余裕はない。いや、たまにはあったかも。
プロセッサの回転部がかたかた鳴って、これは特に異常ではないらしいのだが、現在の搬送速度の設定だとこの音の間隔がほぼ1秒だった。メトロノームがわりになる。
これほど無茶苦茶な写真だと、もう多少のホコリはどうでもよくなってくる。いや、これはビール飲む前から。プリント時にネガについた白いホコリ痕は展示プリントの際にはもうちょっと騒ぐだろうが、撮影時点でついた黒いホコリ痕はこうなると気にするだけ野暮。さらに進んでホコリの場所が気になってくる。かえって泥沼かも。
いやそうではなく、ホコリを理由に同じ場所で撮影し直す、ということが、もう無意味なんだと思えてくる。それは、建築を対象としているというより、画角の広さからその場所全体が写っているということもあろうか。一周してまっとうな写真に近づいたのだろうか。
画角が現行器よりさらに広いので、画面内無雲に執着するならさらに難度が高くなる。考えてみれば屋外建築物を対象にしだした2005年個展の6x12から特快晴志向だが、どんどん画角が広くなって困難になっているのだった。今回も雲排除でいくのか。どうやら結局そこに落ち着きそうな気配。またたいへんだ……
適正露出なる通念を粉砕する「適当露出」概念を打ち出し、ズボラ写真路線をひた走っているつもりだったのだが、現像待ちの間にあらためて冷静に考えてみると、いかにもな「コダワリのひと」みたいじゃないか。たまらんなあ。「コダワリ」とか昔っから嫌いなんだよいかにも偏屈そうで。こういう言いぐさ自体が偏屈ですよねすみません。適当露出に関しては、現行器以降ネガ内の露光条件の差が大きすぎて、画面全体に対する適正露出というものがなりたたないので、まあいい加減でも充分というのもあるし、露光が長いと多少の差は結果にほとんど影響しないということもある。プリントに関しても、神経症的に条件を一定に保とうとしてもさほど意味がなく、仕上がりにさほど影響しない範囲でルーズに運用するほうが諸コストを削減できて現実的なのではないか、ということだ。だが全部が投げやりならやらないほうがいい。そりゃ執着するところだってある。
はじめるまでは面倒に感じるが動き出すとたいへん愉しい。それは、何よりも内容が意にかなっていることのしるし。これはやるべきだ。この5年来のとりくみの極点がこれだ。
使用液は廃液タンクに投棄せず、大五郎ボトルに一時保管。排出後の定着槽には白い粉が沈殿している。新液を使って1日でもこんなになるんだったっけ。1日で液を排出したことがなかったかもしれない。オリエンタル製互換薬品の特性だろうか。これまで漂白定着液の開封後の未希釈液は使いきれずに腐らせてしまうことばかりだったが、今後はそうならないよう水で埋めて空気を追い出すつもり。希釈率の計算が面倒だが、ボトルを入れ替えたりビー玉入れるより管理すべきモノが単純になるほうがいい。寝ていたら蚊に刺されてかゆくて起きてしまった。2カ所も刺されてかゆいしぷーんと飛んでるので間違いなく蚊。11月だというのに。10月にもときどきやられた。油断していて蚊取り線香も使いきってしまい、侵入されると無防備。目が冴えちゃって眠れない。