箱に入れたまま放置していた若松城とか数年前の正体不明のネガ、あと2日の仙台のネガの計6枚。1枚は現像液に入れ忘れて30sくらいたってからあわてて追加。そろそろ持ち前の適当処理が出はじめた。仕上がりを目視する限り現像自体は問題なさそうだが、総じてやや濃いかもしれない。
2回目は大手町の5番と今日の5枚。撮影したネガをその日現像するというのは理想だが、いつもそうするのはなかなか難しい。でも、モノクロの頃にはまず無理だったが、今なら2日に1日くらいはできそうな気がする。今のほうがおもしろいからか。おもしろいというより、かつてやっていたのが集中と緊張を強いる撮影で、そのプレッシャーが後工程にも波及していたからというのと、モノクロ写真がまといがちな文学性を鬱陶しく感じていたことによるのだろう。それは提示される内容だけでなく、作業全体がそうなりがちなのであり、歴史席経緯もあろうが、秘術的要素が残っているからかもしれない。どこか息が詰まる気がしていたし、今もそうとらえている。むろんひとによってまったく違うだろうが、カラー写真の工程が標準化され工業的であるのに対して、昔小林のりおが「モノクロの手工芸的な世界が嫌になっ」たと語っていたことからしても、ある程度は誰にとっても共通する部分があるように思う。
まだネガは残っているが、明日も早いので補充して終わり、と思ったら雨が降っている。明日は遅い。