こちらに来てから3週間が過ぎた。朝から雨。
包帯が切れたので、負傷以降はじめて包帯を換えずに前日のまま。もう包帯なしでもよさそうだし、そのほうが通気性も向上して傷の治りも早くなるらしいが、ぶつかったりするのが不安でまだはずせない。
手ぶらで出発。ひさびさに身軽。充電器、車のシガーソケットにつなぐとインジケーターが点灯はするのだが、カメラに入れてもうんともすんとも言わない。
昼頃になっても晴れる気配がないので、本日も撮影はあきらめ、pomeraとUSBケーブルと財布とMetroの路線図だけ持っていく。今こうして車内でキーを叩いているpomeraは、眼鏡やサンダルといった装身具を除けば、今回の滞在でいちばんよく使っている道具である。不本意ではあるけれど。
North Hollywood駅でRed LineからOrange Lineへの乗り換え時に強い雨が降りだす。足が濡れることを考えると、やはり包帯を巻いたままでよかったかもしれない。包帯が汚れたら捨てればいい。Van Nuys/Bessemerで軒先に雨宿りしてMetro Rapid761に乗り、Van Nuys BlからSepulveda Bl、405 San Diego Freewayを長々と南下。The Getty Centerへ。バス停で降りたのは1人だけ。でも3両編成だったかのトラム、たぶんケーブルカー、はそこそこの乗車率。まあ北側からバスで来る奴はあんまりいないかも。トラムが山を登っていくと気分が高揚する。コレクションの展示のために山を開いて美術館を建て、ケーブルカーまで通しちゃうなんてどれほどの金持ちなんだ。
着いてみるとただただ広い。LAを見晴らし、遠く海まで望む山の上に白亜の建物がいくつも広がっている。当然ながら展示も広い。今まで見た美術館でもそうだったが、特に近世の泰西名画や家具類で、似たような展示がいくつも続いていて、その展示室を見たのかどうかがわからなくなってしまう。パヴィリオンが4つに分かれていて2階もあり、途中でつながっていたりで混乱する。West Pavillionから見たが、18世紀以降なので、順路が逆だったらしい。とはいえ近代はセザンヌ止まり。あとは飛んでなぜか写真が1フロアを占有している。なぜか、というより、再現的な画像のみということだろう。それも見識か。
彫刻もマイヨールまで。マグリットもあったがこれも再現的だし、知らない作家の獣骨を模したものや埼玉近美の地下にあるブロンズの司教像と同じのもあったがこれもまあそう。そうでないのはムアとジャコメッティくらいだが、いずれも人体ではあろう。
写真は常設ではなくいつも展示替えするらしく、「Still Life」と題した静物写真の特集展示と、60年代以降のドキュメンタリー写真の集合展。いずれもここのコレクションが主体で、上製クロス装の浩翰な図録が用意されている。
「Still Life」のほうは一部屋だけで展示数も少ないのに、図録のほうは収録図版多数、展示されていない写真まで収録されていて、5カ月くらいの期間中に展示替えをやるのかもしれない。図録には、これも収蔵品のセザンヌ静物画があった。ケルテスが出ているが、当然予想されるエドワード・ウェストンがない。図録に1点のみ。コレクションから抜き出すための趣旨としては、よくある切り口である。
ドキュメンタリーのほうも、展示を見る限りでは特に斬新な切り口とは思えず、日本でよくあるようなのと大差なかった。報道写真を60年代以降でひとくくりって大雑把すぎじゃないですか。解説を読めば腑に落ちる可能性もないとはいいきれないけれど。でも個々の玉は日本で見られるような同種展示よりずっとよかった。このジャンルではアメリカのほうが強いということだろうか。ただ、アメリカ人だけでなくジャマイカ人やニカラグア人だったかもあったが。とにかく、日本のメーカー系ギャラリーによくあるような、やたらキャプションが長くて言語情報に頼っているようなものはない。ヴィジュアルが強いのである。コレクションの強みだろうか。単純に目が利くのだろうか。
でも、ヴェトナム戦争時代と現在との力の差をどうしても感じざるをえない。このジャンルは60年代が最盛期だった、と示すための展示なのだろうか。現代の悲惨な戦傷兵の画像もあるけれど、その悲惨さもいまや見慣れたもの。いまだに報道写真全盛期のモノクロドキュメンタリーという様式を墨守し、かつてのこのジャンルの成果に追従しているとしか見えない連中が痛々しく見えてしまうだけである。
この2つの展示を通して、日本人写真家の写真は1点もなかった。ユージン=スミスのMinamataは多数あったが。こちらでの日本人の写真の認知度はその程度なのだろうか。そういえばNorton Simonには広重がたくさんあったし、LACMAにはプライスコレクションの日本館があるが、ここには日本の版画もなかった。気がついた限りでは、日本の美術品は有田焼など陶磁器が2点あっただけ。中国製も同様。アジアの美術品はほとんどない。Gettyさんの趣味なのかもしれない。
収蔵品の大半は17、18世紀のヨーロッパ。でもルネサンス以前は少ない。アメリカ美術も写真以外にはない。ロココの家具や大理石の彫刻などがたいへん多い。時代としてもっとも古いのは写本の展示。照明が落とされて並べてある。ステンドグラスが並べてあるのは珍しいと思ったが、あれも東博中央アジアの石のレリーフ像のように教会からひっぺがしてきたのだろうか。あとは16世紀頃の版画の特集展示。閉館の17時半まで粘って、たぶん開催中の展示は全部見たと思う。日本とはスケールの違う、途方もない金遣いを見せつけられてしまった。しかもすごいのは、これだけ金をつぎこんであって、監視員も、やる気なさそうな奴が多いとはいえ大勢いて、それ以外の係員も多くて、しかも入場料をとらないこと。慈善なのか自慢なのか。SimonやLACMAより来客が多かったのも無料だからかもしれない。それだけではない。ここLA館よりも、MalibuにあるThe Getty Villaのほうがさらに広いらしい。いったいどれほど金がありあまってるのだろう。そっちも行きたいが遠すぎて無理かも。
閉館後はみな車で帰っていく。向かいのバス停で待っているのも2人くらい。しばらく待ったら行きとは逆の761が来て帰路へ。帰りにもぽつりぽつりと。