渡米して2カ月が過ぎた。朝から鈍い曇天。ちょうどいいと北へ。鉄道はその名もMetro North。地下鉄1でめいっぱい北上してから乗っても往復で42ドル。30日パスの半分近くを1日で使っちゃうとは。NYでは30日パス以外のはじめての交通費。しかし高いだけのことはあっていすはゆったり、快適。地下鉄より発車・停車時もなめらか。揺れはあるが。ぼろぼろになり破けるまで使いこんできた地下鉄路線図「MTA New York City Subway」の裏側の、より遠くまで行く路線図「MTA Railroads」をようやく有効活用できる。NYCの外に出るのもNYC入り後初。
Hudson側沿いを北上。もっと天気がよかったらなかなかの景色だったかも。何しろHudson川は多摩川下流域の倍くらいの川幅をもつ広大な川である。この国の国土の広さを感じさせる。これだけ広い川を間近で、飛行機からではなくすぐ近くから見たのははじめてかもしれない。静かな流れ。紅葉もアメリカの田園地帯で見ると悪くない。
しかし線路が走っているのが川面ぎりぎり、1mも標高差がないのだが、増水して線路が冠水したらどうするんだろう。パンタグラフがなく、おそらく線路沿いに架線が敷設されているので、一時運休くらいじゃすまないと思うのだが。ここに限らず、Manhattan全体に堤防や増水対策の設備がない。これだけ川に囲まれているというのに、これでいいのだろうか。住居の入口が一段高くなっていて、階段で上がって1階に上がるのは増水対策なのかもしれないが、半地下にもたいてい部屋があるから、冠水したらただごとではなかろうに。日本みたいに毎年何回も台風が来るわけじゃないから増水もしないのだろうか。
1時間半ほど乗ってBeacon。駅に着くと案内板があるが、Dia:Beaconだけは両側の出口の両方向きに矢印がある。いったいどっちに行けばいいんだ。これもアートなのか。やる気なくす。だいたい今日曇っていて、他の美術館は月曜で休館なので来ただけで、全然期待していない。つまらないのを確認しにいくくらいの心境。交通費がかさむのはNY郊外の風景を見ることに対する出費とあきらめるつもり。降りるひとは結構多く、同じ道を歩いていくひと多数。まさかこんなに大勢が見に来たのだろうか、と思ったらその先こそがめざすDia:Beaconだった。
予想は裏切られた。まず空間がすばらしい。煉瓦づくりの古い建物だがとにかく広い。そして、天井にずらっと配された窓から自然光が降り注ぎ、空間をやわらかな光が満たす。晴天だったらもっと豊かな光であふれているかもしれない。閉館が冬季16時と早いのも、この照明条件を考慮してのことだろう。
ここに置くだけでかなりよく見えてしまうという面はある。狭い日本の貸画廊にぎゅうぎゅうづめで押し込まれたのと同じものをここに置けば、数段評価があがって見えるだろう。だがそれだけではない。
ものを部屋に並べればインスタレーションだと思っている程度のひとびとと違って、制作者、あるいは展示の構成者が空間というものに対して徹底して意識的なのだ。そして、もうここ以外で成立するとはとうてい思えないような展示が実現している。一般にインスタレーションというのは様式化してしまってお手軽でつまらないものばかりだと思うが、これだけやってあれば納得する。
そして、人間の精神的所産の極北と呼ぶに値するものをいくつか目のあたりにできる。どうにもおつむの足りなそうなそこらの「典型的な現代美術」とは違って、はりつめた知性を感じさせるものが多い。わりあい世代が上で、評価の定まったひとが多い、ということもあろう。古いと見なすひともいよう。
ジャッドもこれだけでかいのがこれだけの量あると説得力がある。でもウォーホルは広い場所にたくさんあっても別に圧倒もされない。ただ並んでいるな、というだけ。マルチプルってそういうものか。単につまらないだけだという気もするが。
ロバート・ライマンが多数。白だけじゃない。川村記念美術館で見たのよりおもしろいと思う。Chelseaのギャラリーで見たNYの給水塔もそうだったが、ベッヒャーはRC印画紙を使ってる様子。それともフェロタイプ乾燥だろうか。三日月折れが目立つ。室内はあまり見たことがなかったが、光が乏しく調子が眠すぎ。
しかし、いずれも弱い。こういう、空間がものをいう場所では、可搬型の平面はいかにも軽い。
ルウィットのウォールドローイングは可搬性がなく展示空間と一体であるだけに強い。壁面全体を巻き込んでしまう。それもきわめて明快な秩序によって。しかもここで展開されているのは秩序そのものなのである。ルウィット本人は没していて、実際には別人が彼の指示に従って描いている。筆触の価値やものとしての稀少性はまったくない。そのため幾多の壁画のように剥がしての保存もされないし、だからこそ一回性が際だつ。ライマンにもウォールペインティングはあったけれど、旧来型の絵画を単に壁面に描いただけに見えてしまう。
しかし見落としがないかと回る2回目はあまり高揚がない。やはりコンセプチュアルであって、1度見てしまうと既知のものとなって汲みつくされてしまい、それ以上の発見はないからだ。とはいいつつ今回も閉館までいてしまった。12時に入ったんだが。しかし16時前になると暗すぎる。鑑賞にさしつかえるほどに。特にライマンは見えない。2度見てもいいのは、やはりこういう旧来型の絵画だ。
そういえばやはり黒人と中国人はいない。
ここに一貫しているのは、透徹した秩序と凛とした調和だと思う。それはこの展示条件が準備している傾向でもあるだろう。そして自分が求めているのも秩序と調和だったのだと確認できた。
天井からの自然光と開けた空間が導く明晰さが魅力の多くを占めると思うので、光を遮断してなりたつ地下の展示は疑問。2階も天井が低く狭い壁の窓からの光で閉塞感があり、内容も情念系。それはそれでサイトスペシフィックな展示として考え抜かれているのかもしれない。
秩序と調和を美術に求めるひとなら、NYに行ったら50ドル払って1日かけても一度訪れる価値はあると思う。
帰り道、途中駅でホームの隣にGrand Central行きが止まっていて、どうやら急行との乗り継ぎらしいのだが、よくわからないしこのままでいいや、とそのまま乗ってたら、どんどん駅をとばしていく。乗ってるこっちのほうがその駅から急行になるのだった。すごい勢いで走っていき、とうとう行きで乗ったMarble Hillも通過してしまう。そこからの往復乗車券で乗ってるので、無**乗車状態。地下鉄との連絡駅でも止まらないんだから、Grand Centralまで止まらないかもしれない。止まらないので検札はこないが、降りるときどうする。Grand Centralの出札で切符の提示が必要かもしれない。急行だと知らなかったと正直に話して乗り越し分払えばいいさ、遠回りになっちゃうけど、と腹をくくったところで、Grand Centralの前の駅であるHarlem 125 Stで止まってくれた。降りてみたら改札などなし。こっちのほうが滞在先には近くて、3ブロックちょっとなので歩いても帰れる距離なのだが、行きでは、切符代を安くあげようと地下鉄で行けるもっと先の駅から乗ったのだった。結果として無**乗車してしまったが、バスもすぐつかまり、急行だったし地下鉄よりはるかに速いのでずっと早く帰れた。
車内検札は無**乗車対策としては最強で、Metro-North Railroadでは検札すると座席にマークするシステムであり、しかも何度も検札が来るのでまず逃れられない。だが検札が来なければ、駅は素通しなので楽なもの。とはいえこれは例外的なケースで、地下鉄でも中距離列車でも、NYのMTAでは基本的に無**乗車や不**乗車はまず無理と思ったほうがいい。まあ手はなくもな……
注意:Beaconから帰りの急行列車はMarble Hillには止まらない。Harlem 125 Stに止まる列車はあるがすべてがそうかはわからない。それからBeaconでも急行がびゅんびゅん通過していったので、急行は基本的にBeaconには止まらないと思ったほうがいい(なので帰り自分が乗っているのは急行ではないと思ってしまった)。行きでGrand Centralから急行に乗ったら、たぶんCroton-Harmonでの乗り換えとなる。しかしあの近隣では比較的乗降客の多いBeaconを通過して、その先の駅がどれほど大きいというのだろう。