朝快晴だが8時には曇る。MoMAもやっておくかと出かけるが、53 Stの南側でもEV9.6/ISO160という室内並の暗さで、1枚だけ10mでやってはみるがだめなのはわかりきっている。ときどき陽が射すのだが、日照が一定しないので露出を決められない。10時半の開館前にあきらめる。54 St側はどうにもならない。中央郵便局に行ったついでにまたB&Hに寄り、Ektar100とPortra160VCを2箱ずつ買ってしまう。101ドル。それぞれ計5箱、400NCと合わせて11箱。それ以外に開封済みの箱に何枚か残っている。これだけあればさすがに足りるだろう。
戻って機材を置き、食事して13時半にBrooklyn Museumへ。しまった水曜は18時まで、木金は22時までだった。明日のほうがゆっくり見られる。でもBrooklynまで1時間近くかけて見ていくことにする。Metじゃあるまいし、4時間半あれば見られるだろう。
意外に客はいる。日本の地方美術館のように閑散としてはいない。上から。アメリカ近代美術。LACMAにもたくさんあったし、Metにもちょっとあったが、どうにもつまらない。日本明治期の洋画も、ほとんどはこういうことなのだろう。Visible Storage Study Centerというのが奥にあり、収蔵庫が一般公開されているのはおもしろかった。見せるための収蔵庫。ほんとの収蔵庫は別にあるのだろうか。おおむね大戦前のアメリカ美術だけとはいえ、あれじゃ少なすぎると思う。
Fred Tomaselliはおもしろい。印刷された写真のコラージュなんだがディテールがかなりキテる。これは実物見ないとわからない。
近世近代ヨーロッパ絵画もあるにはあって、広い展示室1フロアに人物や風景や風景画などで分けてずらっとならべてあるが、どこかおざなり。このあたりのコレクションはこれというものに乏しいのではないか。いい寄贈品はMetやBostonやChicagoが優先的にもっていくだろうし、また寄贈者もそういうところに持っててもらいたいだろう。
中国、日本、インドもどこか通り一遍に見える。でもエジプトは充実してるし映像資料がいくつもあって、力を入れているのはすぐわかる。きっと担当者が強くて意欲もあるのだろう。紀元前1500年のアカシアの小物とか木のいすなんてよく残っていたものだ。
そして、どうしてここがBrooklyn Museumであって、Brooklyn Museum of Artではないのか、こんなに近代美術や現代美術をたくさん展示しているのに、ということを理解した。ミイラがあるのだ。Metroporitan Museum of Artにミイラはない。収蔵はされているのかもしれないが、陳列されてはいなかった。ミイラは、アートではないからだ。おそらく。Museumとは博物的価値のある品物を陳列する場所であって、美術品としての価値があるかどうかは問われない。しかしMuseum of Artで展示される以上は美術品として認められたということになるだろう。ならば支配者の顔が刻印されたコインがMuseum of Artに展示されているのは美術品と見なされているということなのだろうか。いやあれは参考出品であって主たる展示品ではない、という理屈になるのだろうか。なぜミイラを展示するのかということを長々と説明したパネルがあった。そりゃあ死体なんだから不快に感じるひともいるだろう。たぶん最初に東博のアジア館でミイラ、それも確かむき出しのを見たときにはちょっとしたショックを受けた。美術品としての文脈づけがされていればそれはアートとして通用するが、ミイラは、美術家なり誰かが素材として使って文脈にひとひねり加えるならともかく、そのままでは美術でございとはいえないだろう。まあある県立美術館ではミイラを展示するらしいが、アニメの展示もするくらいだから日本ではそのへんは問わないのかもしれない。
それから、3階では現代美術のすぐ先から唐突に古いアメリカの民家の部屋の再現が延々と続いている。最初意味がわからず現代美術なのかと思ったが、これも古い生活様式を保存するという博物館としての使命を果たしているのだろう。古いといっても18世紀程度。歴史が浅い国だけに、古いものをだいじに残そうとするのかもしれない。それは建築物についても同じ。
1階にアフリカ美術があるのは、アフリカ系アメリカ人が多いBrooklynの土地柄を意識してだろうか。でも最近Manhattanの家賃が上がるのに伴ってBrooklynも高くなっちゃったらしい。それにヒスパニックとかのほうが目立つ気もする。黒人の客は少しいた。
2回まわって18時前に追い出された。Metみたいに客が多くないので、閉館5分前でも追い立てられはしない。4時間半たっぷり見た。見つくした。おなかいっぱい。ここはもういいかな。