朝から巻層雲。Metroの30日パスは今日までだと思っていたが昨日で終わっていた。近隣をぶらぶら。5 Aveを南下し116 Stまで出て、ついた翌日に行ったTargetへ。家電量販店BestBuyにあるデモ用パソコンの中にネットにつながっているのが数台あり、ちょっとしたメールチェックくらいならできる。でもこないだLexisington Ave/86 StのBestBuyでメール見てたら注意された。長すぎるとまずい。東京近辺の量販店ではネットにつながっているデモ機を置かなくなった。いろいろ理由はあるだろうが、多店の価格を調べられてしまうから、というのもあるだろう。ネットショップの値段を知りたくなることはよくある。ここのBestBuyは寛容だが、さすがにUSB装置を挿したり買い物するほど図太くない。Lexington Aveに出て北上すると、The BronxにかかるWillis Avenue Bridgeがある。トラス橋。歩いて渡れるので渡ってみる。本来ならBrooklyn橋を渡りたいところだが、誰でも渡ってるしもう日もないので今回は見送り。橋は工事中で、近くでトラスの橋脚を組み立てている。入れ替えるらしい。見ればこの橋は橋梁も石造りでだいぶ老朽化している様子。渡ってBruckner Blvdを登りLexington Aveに渡る橋からManhattanに戻り、131 Stを通って12時前に居室へ。退去手続きをと待っていたらにわかに晴れてくる。
12時40分頃出発。8ドルで4回分乗れるMetrocardを買って、アメリカ自然史博物館も考えたが14 StからGreenwich Villageへ。でも降りたら雲。めげずにGreenwich StからWashington Stに入り、しばらく下ってWest Stへ。東に雲は残っているがこの際撮影。ここを3回ほど行ったり来たりしながら9枚撮りきる。風が強く看板が揺れるなかたまには押さえたりしつつ、だんだん雲は消えてゆき後ろ髪引かれるが、16時に光が衰えフィルムも使いきったので、かなり晴れてはいるが撤退。
NY市立図書館のユダヤ教キリスト教イスラム教の展示。荷物検査でごつい黒人にその三脚は持ち込めないと言われる。しまった雲台などをはずして小さくして抜けるはずだったのが忘れていた。あわててその場で雲台をはずして小さくし、雲台をバッグにつっこんで見せたらOKという。ありがたしと展示に向かうと寄付箱。1ドル札をつっこみ中に入ったら写本ばかり。しまった……ここは図書館だった。イコンを掲げた地下鉄車内広告にだまされた。ざっとまわってすぐ出る。悪いけど書物に興味はない。でも行かなきゃ後悔したから、実際に見ておいてよかった。
歩いてMoMAの無料日2回目。GuggenheimやWhitneyと違ってチケットはすぐもらえるのだが、荷物を預けるのに並ばされる。20分くらい待ってギャラリーに。5回のコレクションを確認し、前回ざっと飛ばしただけの抽象表現主義をもうちょっと見て、中庭の彫刻が見たかったのだが降りたら真っ暗。地下のシアターやらをかすめ他の特別展をちら見して荷物をひきとり、43 Stまで歩いてICPへ。ここも金曜夜は任意料金。1ドル払って中へ。メキシコの報道写真家の写真1点とそのコマを含む35mmフィルムのコンタクトシートが展示してある。でもコンタクトじゃない。実物より大きい。そういえばかつて石元泰博がアサヒカメラのコンタクトシートを載せる連載記事に登場したとき、35mmフィルムのスリーヴを8x10引き伸ばし機で拡大して提供した、ということがあったが、これはよく見たらインクジェット。ICPでもそうか。まあ実物より大きいほうが見やすいけれど。ルーペが置いてあって自由に使えというのだが、フレネルレンズで見づらいし倍率も低いしで役に立たない。写真としてはありふれたモノクロの報道写真で特にとうどいうことはないが、前後のコマを追ってちゃんと見ればおもしろいはず。でもくたくたに疲れきっていて、しかもその階でかかってる音楽がやかましくて見る気が起こらない。地下はキューバ革命前後の写真。第二次大戦後からはじまり、中心はやっぱりチェ・ゲバラ。脇役がカストロ。だんだん見る気が出てくる。報道写真の全盛期、報道写真がモノクロであって当然の時代。こういうのを見るとほっとする。戦地なので35mmが主体。チェ・ゲバラはやっぱりさまになるのだが、コンタクトが展示されているのは帽子をかぶった正面やや下からの有名な写真と、暗殺され遺体が届くときのもののみ。コンタクトが残っていないのだろうか。そうではなかろう。毅然とした面構えの絵になるコマだけが伝えられて、英雄らしからぬコマ、神格化の妨げになるコマは隠されているんじゃなかろうか。そうしたコマを見せないためにコンタクトも出さないんじゃないか。根拠はないのだが、あまりに「かっこいい」写真ばかりなのでついそう思ってしまうのだ。人間、もっと間の抜けた顔や情けない顔もする。一瞬であっても写真にはしばしば写るし、あれだけの英雄ならしょっちゅう写真を撮られていただろうから、そうした写真がないはずはない。それがないのはなんらかの理由があると勘ぐってしまう。
2回まわり、1階も引き伸ばされたプリントだけざっと見なおして帰る。