曇。路面は濡れている。無料の朝食は今までのホステルではいちばんまし。場所も近隣ホステルの中では中心部に近く徒歩でたいていの場所に行ける。それでも、10人部屋が3日で100ドル超はどうにも高い。いびきがうるさいし、誰かが帰ってきたり出かけるたびに起こされる。
旅先での出費は一般に食費、交通費、宿泊費の3つ。
食費は工夫次第でいくらでも下げられる。いくらでも。LAのコリアタウンのスーパーマーケットでは試食を食べたし、Harlemの確かバプティスト系の教会の前を19日の金曜日の朝に通ったら、炊き出しをもらおうという長い行列ができていた。ホームレスには見えないひとが多く、主婦然としたおばちゃんもいて、みなでかいカートを引いたりしていた。せっかくだから加わればよかった。住まいの近くの教会でも毎週やってるようだった。
交通費は、限界はあるけれどある程度までは削れる。乗り放題券を有効に使う、自転車、とにかく歩く、長距離はGreyhoundをネット購入。Greyhoundのネットのチケットなんていい加減なもんで、西側は知らないが北東部ではバーコードのスキャンもせず、運転手がただ見てあのゲートに行けと指示するだけ。プリントアウトのチケットは渡しちゃうので、別のゲートに行っても乗れそうだし、チケットの偽造もたぶん楽なもの。たかが12ドルのためにする気はないしすすめもしないけど。
しかし宿泊費はそうそう下げられない。探せば安いところもなくはないが、住居費を抑えるということはさまざまなリスクの増大に直結するから。今もホステルに置いてきた荷物が心配。部屋にロッカーはあるけど鍵は自前でつけなきゃならない。しかも全部の荷物はとても入らない。地下のコインロッカーは24時間で4ドル。ホステルのドミトリーはできれば避けたほうがいい。
さて例によって近所の探索もかねて歩く。Thanks Giving Dayは金曜日だと思っていたら今日だったらしく街中は閑散。昨晩人通りが少なかったのはそのせいかもしれない。ホステルが混んでるのも。
南へ。当然Smithsonianに行くわけだが、月並みながらやっぱりNational Gallery of Art。祝日で休みかと思ったら開いている。ありがたい。なんだかアメリカ美術館めぐり紀行と化しているな。西館1階にはずらっと彫刻。すいている。あんまりがらがらだと監視員と妙な緊張関係になるような、まあ気のせいなんだろうけど、じろじろ見られてるみたいだし、とにかくこっちは気づまりにさせられてしまう。でもそこまではいかずほどほどのすき具合でたいへんよろしい。これが無料とは涙が出る。
と思ったらすいてるのは彫刻だけで、近代絵画はそこそこのひと。彫刻って人気ないんだな。ブロンズとかどうしても色が地味だし。
とにかく、今日一日で全部きっちり見て目に焼きつけなければならない、と思わないですむのがいい。また来てちょっとずつ見ればいいし、何度でも見直せる、と考えるとゆったり見られる。もっとも、その分見る際の集中度は下がるので、必ずしもいいとはいいきれないけれど。
特別展はラファエル前派のレンズと称する19世紀イギリス写真と絵画。ロジャー・フェントンのアルビュメン・プリントはいいとして、ドジソンとかの少女のアルビュメン・プリントはまったく理解できん。こういうのの愛好者も含めて。
いたるところ大理石がふんだんに使われている。中央ホールはただもう広くて威圧的。ショップまでだだっ広い。これまでアメリカで見てきたミュージアムの中で、建物は一番豪壮だと思う。のみならず、これまでとは何かが違う。なんだろう。こう、惜しげもなくつぎこんであるといった様子だろうか。Frick Collectionだって金に糸目をつけなかったにせよ、いやもう規模がまるで違う。金だけでなく人的資源や権威やあらゆるものが総動員されている勢いとでもいうか。国家の中枢である連邦議会議事堂の隣の敷地に置かれているだけあって、国の顔として、ある種の威信がかかっているということだろうか。ほかの施設も含めて見ていてわかった。ここで示されているのは国力なのだ。経済力というだけでなく、国全体のあらゆる意味での豊かさを内外に見せるという機能を果たしているのだ。
中世ルネサンスは圧倒される充実ぶり。近世近代がかすんで見えるほど。でもレオナルド以外は人気がないようでじっくり見られてうれしい。
ここには中国人が来ているが、無料なのと、首都で国の中心ということで観光に来て、Museumが多いから見ているといったところだろうか。家族連れが多い。ここは写真撮影はもちろん、なんとフラッシュも使用可なのだが、中国人が子供にばしばし焚かせててたいへん迷惑。いい加減にしてくれ。かつて日本人もノーキョーツアーでやってきてあの調子だったのだろう。
そしてこの街にも中心部近くにChinatown。街中でやっている店はSubwayくらい、CVS Pharmacyも休んでいるくらいだが、Chinatownは当然のように営業している。安い店に入ったらひどくまずい。日本人の口に合わないとかではなく、とにかく程度が低い。東京で同じくらいの金を払う店と比較しても。しかも春巻つきとメニューに書いてあるのに出さず、14時頃入ったのに夜の料金を請求される。祝日だからというのだが、そんなことどこにも書いてない。サービス料まで乗っけられてる。おまけにスチールワイヤーが料理に入っていた。強く抗議して11ドルとかいうのを7ドルだけ置いて帰ってくるが、あれでも払いすぎた。どこでもそうなのかは知らないが、中華街などと群れてる連中は、数を頼りにしてるのか強気で出てくる。街全体に守られてるという意識があって、客はいくらでも来ると思ってるのか。でも街中で一匹狼でやってる店はちゃんと筋の通った商売をする。でないと客に見放されるとわかっているのだろう。
戻って東館へ。西館が西洋美術で固めてあるから東はアジア美術かと思ったら見事にはずれ。現代と特別展。欧米以外はかけらもなし。申し訳みたいに世界各地の「美術」を並べてあるよりはっきりしてていい。Smithonianの他の施設に任せているのだろうが。欧米のルネサンス以降に絞ってある分、メトロポリタンより展示面積は狭いだろうが、より充実してるように思われる。
東館の建物は、2階の2フロアが分断されていて、いちいち下に降りなければ他方のフロアに移動できない。他にもあちこちわかりづらいし、美術館の機能上は失敗していると素人目にも明らか。ある日本の美術館の学芸員も、設計者は見た目しか考えていなくてメンテがやりづらいし使いづらい、改修にも無駄に費用がかかる、とこぼしていたけれど。
でも展示は楽しめる。特別展が2つ。どちらも大型企画ではないが、コレクションをベースに、欠けている部分を他館のコレクションで的確に補い、見事にまとめあげている。
アルチンボルドの実物を見たのははじめてかもしれない。16世紀前後の美術をこのところずいぶん大量に見てきているので、このイタリア人の異才ぶりがよくわかる。
ムンク木版画リトグラフは、刷色違いとか手彩色を加えてあったりでいくつものヴァリアントがあって、コレクションと他館からの貸し出し品でそれを比較できる。どれも有名な版画。なるほどこれは気がつかなかった。おおむね制作年代順に並べてあるが、次第にできあがっていくように見えるのがすごい。何年もかけて完成させていくムンクの制作方法がよくわかる。だが、最初の単色刷がいちばん有名で効果が上がって見えるものもある。版ごとつくりかえているものもある。研究者好みだがわれわれにもわかりやすい展示。
20世紀以降のコレクションは、容積のわりには壁面長が短くて展示点数は少ない。それでも、途中食事で外には出たものの1日いて見きれなかった。17時前に閉館をていねいに告げられるが、これまでとは違って、粘ってまで見ようという気は起こらずすんなり出る。もともとまた来るつもりだったから。
どこの店も休みで、今夜の食事をどうすればいいか困る。NYに忘れてきた歯ブラシの代わりも、部屋のロッカーにかける南京錠も買えない。ホステルの滞在を3日延長してしまう。今のところ荷物は無傷の様子。
Chainatownならどこか開いてるだろうと行く途中で、National American Art MuseumとNational Portrait Galleryが19時まで開館とのことなので、30分だけだが入ってみる。何しろ無料。ノーマン・ロックウェル展。Brooklyn Museumでも準備中だった。きっとあちこちでしょっちゅうやってるのだろう。こちらはジョージ・ルーカススティーヴン・スピルバーグのコレクションとか。いかにもこのひとたちらしい。こういう「古きよきアメリカ」の典型的白人家族像を好むのも、アカデミックな美術史がお墨付きを与えたハイアートでなく、大衆的人気のあった商業的美術をコレクションするというのも。
見る限りでは黒人は出てこない。それだけで、欺瞞、とまではいわないにしても、隠蔽されたものを感じる。
そうはいっても、とびぬけた才能であったのは間違いない。小憎らしいほど機知に富み、はっとさせる表情を覚えていて再現できる観察眼を持ち、万人に好まれる勘所を押さえるセンスを備え、そして何よりも、アメリカの絶頂期に仕事するという幸運に恵まれた人物。National Portrait Galleryではエルヴィス・プレスリーをやっていたが、個人としての知名度はとても及ばないにしても、作風は同じくらいに普及し、あの時代のアメリカの象徴なのだろうと思う。
ざっと回って3回に上がる階段をやっと見つけたらひとが大勢降りてきて閉館。Chinatownの個人営業商店で、中華の調味料かインスタントラーメンしかないのでスナック菓子と水を買って帰る。このホステルは飲酒禁止。しばらく酒を抜けていいことである。2段ベッドの高さがLas Vegasより高くて、下に寝るひとは楽だろうが上段は天井につかえてきつい。それに乗降時に重心移動に耐えられずベッド全体がひっくり返りそうで怖い。体重100kgで1段目が空ならたぶん倒れる。
早く寝すぎて中途半端な時間に眠れなくなってしまった。それにしてもこの10人部屋での挨拶のなさはなんなのだろう。一つ屋根の下で寝泊まりしているというのに、おたがい「Hi」のひとこともない。あれほど挨拶を重視、というより強制し、美術館のチケット売場でもクロークでも、用件の前にまず挨拶から入るし、監視員からも街ゆくひとからも「How do you do」と声をかけられ、とっさに適切な応答を返せずもごもごしてしまいあとから後悔に駆られたりさせられるような文化だというのに。
ここでも、エレヴェータで乗りあわせると「Hi」なのに部屋の中ではいないかの如し。彼らはアメリカ人ではないからアメリカ人の流儀には従わないのだろうか。9人もいてアメリカ人がいないとは思えないのだが。NYのホステルでも、1対1なのに挨拶なしだった。ふだん挨拶なんてろくすっぽしない日本人だが、日本人同士で同じ状況だったら一言二言は交わさないと気詰まりで息苦しくなる。
彼らは同居人を信用していないのではなかろうか。部屋にロッカーがあって鍵がかけられるようになっているのもそれを助長しているのではないか。寝ている最中に何をされるかわからないし、妙に深入りしたくないので余計な会話は交わさないということか。道で交わしたりする挨拶はうわべだけのやりとりであって、内心では他人に心を許してなどいない、ということなんだろうか。この国はいまだにわからない。