積雲がちの晴。8時半頃出かけてしばらく歩いたら雲が減ってきて、手ぶらでは行けないと戻って写真器と三脚を持って出る用意。しかし8器には24日に撮影したネガが入ったまま。しかもまた雲が広がってきて、近いんだからまた晴れたら戻ればいいやと身軽で出かける。こんなに近いなんて。HiltonとかGrand Hyattなんかとほとんど離れていない場所なのである。主要施設には歩いて行けるので交通費がほとんどかからないし、朝食もつくし、鍵を買えばほかのホステルでは1日何ドルかかかるロッカーがあとは無料で使える。これだけで10ドルくらいは節約できてると考えると、実質的には高くないと思えてきた。しかも移動の時間も節約できて、これは意外に大きい。ただ、ここは1年間に14日までしか滞在できない。飲酒不可もそうだが、どうやらD.C.の条例みたいなものらしい。
National Museum of Natural Historyへ。恐竜化石はNYのほうがずっと充実している。まああそこは恐竜が売りだからであって、こちらが化石を持ってないわけではなかろう。そのフロアにFossil Cafeというのがあって、どこがFossilなんだとメニューを見ると、それっぽいのはFossil Soup Comboだけ。中身はChickin Noodle Soup。店員が話しかけてきたので聞くと、ただの名前ということらしい。まあ、鳥類は恐竜類の子孫だということなんだろう。FossiLabがあって、化石を削り出す過程を見せてくれるらしいがスタッフはいない。道具はずいぶん簡素。パソコンすらないのは嘘くさい。単なるデモ用の部屋なんだろう。
奥には現生の飛べない鳥たちの骨格。ああ、NYで食べたターキーの首もこんな骨だった。骨格。生き物を建築として見せるしかけ。魚や小動物の骨格が繊細で見飽きない。
原人と人類の骨格については力が入っている。その最後に、大型犬と抱き合う大柄な人間の骨格がある。グローヴァー・クランツ博士というどこぞの大学教授が、死後にみずからの遺体が研究に活用され、その役割を果たしたあとは骨格となって展示されることを望んだのだという。死んでなお教え続けようとした人物。いかにもこの国らしいが泣かせる。
昆虫動物園が充実。昆虫も人気者。何しろ恐竜と違って動く。宝石は混んでて見る気がしない。広いがざっと見て終わり。無料だと元を取ろうという気が起こらず気が抜けてしまうのが、経済観念を武器にする態度の限界か。
またChina Townで昼食とって、この調子では航空宇宙博物館も混んでると考え、すいてそうなNational Museum of American Historyへ。いかにも勉強っぽいから誰も行かないだろうとの予想は甘く、やっぱり混んでいた。ただし子連れは少なく、若い大人が多い。この国の教育で国民すべての共通理解となった事柄に訴えるから、誰でも興味を持って見られる。学んできた歴史を実物で追体験させ、ナショナリティアイデンティティを確認させるための施設か。間違いなく大多数のアメリカ人は美術よりも自国の歴史の知識のほうが多いはずで、たいていの人間は美術館よりも興味を持てるのに違いない。当然ながら外国人は少なそう。アジア人は見た記憶がない。アジア系アメリカ人にもどうでもいいだろう。歴代大統領やらアメリカの交通や科学技術の発展史やら、いかにこの国がすばらしいかのプロパガンダそのものだから。歴代大統領夫人のドレスにはひとだかり。この施設とこの場所らしいのは開国以来の戦争史。自国がいかに正義の戦争を行ってきたか/いるかを喧伝しているのは読まずともわかるが、やはり南北戦争は鬼門らしく少ない。全フロアを一通り見たが、文字通り通っただけ。まあ外国人が見ても鼻白むだけ。子供が「Exhibit, exhibit, and exhibit」とうんざりしていたが、まったく同感。ちゅうかそれは俺か。
Corcoran Galleryは10ドルもとるのでパス。National Museum of Women in the Artも。Smithonian財団のミュージアムより見劣りするに決まってるのに、このDCで入館料を払わせるとはまったくたいした度胸である。Smithonian財団以外で行く気がするのはPhillips Collectionだけ。
で、SmithonianのRenwick Gallery。American Craftとのバナーが下がっているので、地味な茶碗や古い調度や装飾品かと期待せずに入ったのだが、これがよかった。1階は特別展で、戦時中拘留された日本人の「Art of Gaman」。これはさほどのものではなかったが、ここも意外に客が多い。しかもNational Museum of American Historyとはまったく客層が異なり、高年齢で、教育程度もずっと高そう。もうひとつの特別展は、現代アメリカの旋盤加工による木材工芸品を60点寄付した人物のコレクションの展示。これがいい。現代の木工なんて投機目的とは思えず、心底好きで集めていたのだろう。流行や金稼ぎとはまったく無縁に、身銭を切って買っていたひとのコレクションはみなすばらしい。いやでも目が肥えるからだろう。このコレクターは、この展示の初日のちょうど1カ月後になくなったという。制作者たちへのインタヴューを見ると、この特殊なジャンルに対する理解者で支援者だったらしい。80代を越えていたし、自分が手塩にかけて育ててきたコレクションの晴れ舞台を見届けて、満足していったのではなかろうか。
2階は常設で、ほとんど現代美術に近いものもある。いずれも機能性や実用性はあまり感じられず、明らかに鑑賞用途である。1階は、実用品としての器などの形式を借りながら鑑賞対象としてつくられているものが多いが、2階は実用品との結びつきなどほとんどない、いわば生来の美術品に見える。伝統的工芸品もない。工業製品に近いものもあるかもしれないが、手製の1点ものと思われるのも多い。再現的絵画もあるが、これはよくわからない。
そうすると、工芸とは何かという話に当然なってくる。美術とどこが違うのか。あるいは美術のサブジャンルだとするなら何が加わっているのか。
展示を見て推測するに、この美術館の考えかたは、確かな技術に裏づけられ、制作者みずからが加工したものを工芸と見ているのではないか。そうであれば美術と工芸は交差しうる。ここにあるのは、絵画は別としていずれも仕上げがよく、材料の特性が活かされていて、素材を熟知した上で加工されているのがうかがわれる。見た目がきれいで、知的で洗練されている。だから人気があるのだろう。部屋に置いておきたいと誰もが思うようなものが工芸、ということだろうか。技術的水準と工芸的完成度が高いものを自分が好むのもよくわかった。
17時半だったかに閉館で出され、またも19時までやっているAmerican Art Museumへ。すぐに閉館。この調子で隙間の時間に見れば充分な美術館と判断。同じSmithonianでもいろいろあるものだ。
昨日CVSで買ったパスタが明らかに減っている。1食分しかない。キッチンで調理しているのはほとんど女性。彼女らの誰かに食べられたんだろう。名前も書かずに棚に置いといたせいかもしれないが、トマトソースも少なくて、冷蔵庫の奥にある他人の食べ物まで食べるもんかいね。まあ荷物を持ってかれるよりはよっぽどましだけれど。