朝から特快晴。この宿でのこの旅最後の食事をたらふく食べて出動。National Building Museumへ。9時、ほぼ南東からの光、南東の角、東の壁面、南面、南の入口で10枚撮りきる。特に何も言われず。警備員もいない様子。9時50分に終了。戻って荷造りし11時前にチェックアウト。出たらちょうどバスが走り出すところ。でもどのみち歩いたろう。たったの3ブロック半である。11時半前、新しい投宿先にチェックイン。空気が悪い。ロッカーが小さい。朝食もつかない。全体によどんだ様子。街の中心からは離れる。パソコンをただで使えるのはいい。
フィルムをとりだして5器だけ装填し、Du Pont Circleへ。ギャラリー街だという。ほとんど情報がないのだが、行けばなんとかなるさと思い行ってみたら数件並んでいるのが見つかる。そこでDCのアート情報誌ももらう。雲が広がってきたのでギャラリーめぐりに専念することにする。
ところが、ここも相当にお粗末。Pillips Collectionの近くの大使館密集地でたぶん高級住宅地。Du Pont Circle近辺はビジネス街ということになっている。それほどのものとは思えないが。NYのようにアートワールドに属する関係者やらコレクターやらが見に来るのではなく、現代美術のしきたりに染まってなどいないそのへんの在住者や通勤者が顧客だろうから、目に心地いい、趣味のいいものを売る必要があるのはわかる。値段も500ドルとか700ドルくらいと手頃。一般人が買える値段である。サイズも小さめ。フレーム屋がギャラリーを兼ねているところもある。家に飾る装飾品と見なされているわけだ。対応もたいへんフレンドリーで、Chelseaあたりのとりすました態度とはまったく違うのも、地味な小売りが主体だからだろう。それにしても……。「自分の問題意識で制作する」といった態度が行き着くのもあんなあたりじゃなかろうか。ギャラリー側も制作者も、これほどあるMuseum of Artを見ていないのだろうか。見ても、見えていないのだろう。内容ばかりの問題ではない。三脚を持っていったのでこちらが写真をやっていると思ったあるギャラリーの女性はいろいろ写真を見せてくれるのだが、写真を袋から素手で出してひらひら扱い、しかも床に並べている。むろん土足で歩く床にだ。それ売りもんじゃないのかよ。貸しもやっているらしい。そこはひどいほうでもうちょっとましなギャラリーもあるのだが、7件見て、矜恃とかそういうものがどうにも感じられない。一言でいえば、安易、か。
その先にTextile Museum。中央アジア、特にウズベキスタンの絹の手染め衣装。赤を効果的に使った反復柄なのだが、ギザギザしててテトリスなど初期のテレビゲームのよう。さらに先では大使館らしき建物の前でデモをやっていたが遠いので行かず。
雲だらけなので今日は断念し、いったん宿に戻って荷物を置き、遅い昼食後にまたそこらへんに行く。National Museum of Jewish Military Historyがあるというので。DCは、この国では珍しく道路の案内表示が多くて親切。お国がかりで観光客を呼び込んでいるからだろう。
迷って行ってみると、予想通りどう見ても国立施設ではない。入口にIDを見せろとあるので黒人の受付にパスポートのコピーを見せると、ろくに見もせず恐縮したように入れてくれた。入場無料。
展示は従軍したユダヤアメリカ人女性たちの記録、ユダヤアメリカ人の近年の戦死者、ユダヤ系の将軍などなど。社会的に広く求められる情報とはいいがたい。切手収集と同じだ。公益性は薄い。明らかに国立ではない。
国の予算がつくわけでもないのに、なぜ無料なのか。それは、ここが鑑賞・娯楽・教養のためではなく、伝達のためのミュージアムだからだろう。事実や主張の伝達手段としてのミュージアム。その目的を果たすためには来てもらって見せねばならない。つまり、できるだけ多くにひとに伝達するために無料なのである。おそらく国の施設ではないのに採算度外視で運営されているのはそのためである。ミュージアムにもいろんな使い道があるものだ。
とはいえ受付の2人はアフリカ系。運営費は抑えたいようだ。
伝達すべきことのあるひとがいるから資金も調達できる。1896年に設立されたユダヤ人退役軍人会は、アメリカでもっとも古い退役軍人組織とのこと。
そしてこの地はそういった声に耳を傾ける用意のあるひとが全世界から集まってくる場所でもある。
そのように、伝達を意図して設立されたDCのミュージアムは、US Holocaust Memorial Museum、American Indian Museum、Anacostia Community Museumあたりか。いずれも多くのひとが関わった歴史を背景としている。
ここはミュージアムがそのように機能でき、またそのようなミュージアムが存続できる稀有な場所なのだ。
そのように伝達されようとしている情報の価値とか公共性なんてものは、実のところミュージアムだからといって保証されない。そこに示されているのが、あたかも万人にとっての価値があり、恒久的に保存されるにふさわしい内容であるかのように演出するために、Nationalという看板とMuseumの体裁が用いられているからである。
ついでに、やはり古い町で繁華街でもあるらしいGeorge Townに足を伸ばすことにする。ここには地下鉄が通じていない。バスで行くしかないという。足があるだろ足が。もう5時過ぎで暗い。そこまでの地図もない。大使館が並んでいてその方角に進めず、川の公園を渡れず、危険なので帰ろうかとも思ったが、歩いているうちに着くもの。
由緒ある家らしいDumbarton HouseのMuseumは聖誕祭用品売場。
Q Stあたりのギャラリー数件はさらに劣る。周囲が吉祥寺のような多幸症的商店街なのもあってもう度しがたい。6時前で閉まっているところもあるが外から見るだけで充分。営業してても入る気がしない。ガラスを扱っているところだけはまあ見られた。M Stの1件だけは、黒人によくいる妙に迫力のある知的な初老の男性がやっていてましなほうだったけれど。合わせて9件。
あるひとに、アメリカはアマチュアの層が厚くて水準も高い、日本なんかとは比較にならない、などと脅されたのだが、ここやAlexandriaを見る限りではまったくそんなことはないと思った。ほとんどはクズ。それとも実力のある大勢のアマチュアはギャラリーになんて出さないのだろうか。あるいはDCだけがレヴェルが低いのだろうか。
the Cathedral of St. Matthew the Apostle。ステンドグラスはなく、壁画とモザイク画と天井画。赤花崗岩。大オルガン。ヒスパニック系らしい。
P Stで見つけたスーパーマーケットWhole Foods Marketがいい。インドカレーはレトルト2つと缶とソースだけのいくつかとたくさんのブランドを置いてある。タイ料理の調味料も豊富。日本のカルディコーヒーファームをしのぐ品ぞろえ。これだけのインドカレーは日本には入ってきてないと思う。サラダなど総菜やパイとか調理済みの食品もおいしそうで、あれはごちそうの部類。Du Pont Circleの住民に合せてあるのだろう。客も白人高所得層ばかり。すばらしいのは、穀物やナッツなどを量り売りで買えること。米はカリフォルニアの長粒種のバスマティの白米とブラウン米、それにジャポニカ種とも違う妙に太った米が置いてある。もうこちらでは米はあきらめていたが、ここなら炊く分ずつ買える。1/4パウンドずつ買う。もっと早くここを見つけていれば。14 Stのオーガニックの店よりずっといい。
心配だった鍋のふたもあり、でかすぎる鍋だが炊けた。カレーは期待ほどではなかったけれどまずまず。
宿にあるパソコン、無料で使えるのはいいのだが、MS Wordが入っていなくてpomeraのファイルが開けない。3台もあるのに全滅。Open Officeを入れようとダウンロードしたが、インストールプロテクトがかかっているらしくプログラムが起動しない。ランゲージパックはインストールされていて日本語のIMEは使えるようにできたので、メールの返事くらいは書けるが、日誌をこれで書く気はしない。無料じゃ文句は言えないか。宿の入口にThere will be a $500 Charge for Whiningとある。文句言う奴は罰金500ドル。