午後より曇。小田原。初。
ここに新幹線を止める必要があるのだろうか。大宮や赤羽や川崎はもちろん藤沢大船より小規模に見える。観光地であるためか、かつて境界であった名残か。横浜駅を通らないからここで止める意味もあるのだろう。さすがにここまでくると物価は安いが、魚市場には三陸沖のイルカなども。居酒屋ランチは地元産を謳っていて品数多いけど刺身はぱっとしない。
海岸に出て西へ。途中小水門?で6枚ほど。小田原港では、3メートル以上のコンクリ壁をほつれたロープをたよりによじ上れば突端に行けたが、そこまでするほどにも見えず断念。根府川まで海沿いの車道をてくてくと。暗くなると怖い。
これまでの経緯では、内容の移行が形式の変更にほぼ連動してきた、つまりシリーズを改めるごとに別のフォーマットないしレンズへ乗り換えるという経過を辿ってきたのだが、そのたびに必ずある程度の助走期間を必要としてきた。135とMakro-Planarでも都内をまわっていた初期はほとんど成果がなかったし、東京湾全体が準備段階だったと考えることもできるかもしれない。6x7でもビューカメラの操作に習熟し場所を確保するまで相応の時間がかかったし、6x8/4x5も光を読めるようになるまでずいぶん訓練を要した。6x12に至ってはエボニーで撮影した4カ月分のネガはまったくの無駄、ジナーにしてからもピントと露出が合わせられるまでに1カ月以上かかった。135のDistagon15mmでは結果として出品したとはいえ初回は満足すべき結果とはいいがたく、3回の撮影を経ても技術的不備は残っている。
しかしながら今回は、もはや発展途上段階とは考えにくい時期にさしかかっている。この障壁を克服しさえすれば収穫が見込める、といったものではなく、いまだ確たる手応えもなく可能性の所在をあてどなく探している状態である。できることがあるのかどうかも定かでない、というのはすでに敗色濃くなっているというべきなのかもしれない。135で可能なことは人像で尽きていたのだろうか。場所を変えれば、という期待もあるが、もう限界かとの思いがよぎる。機材への依存度が強いばかりに、ビル・ブラントが半世紀前にやっていてその後のだれしも思いつく程度の手法の延長とならざるをえないのか。
他人のやっていることは気にしないという態度は継続中。絵画では初期条件として独自性が確保されていれば、それ以降孤立系に閉じこもっていてもオリジナリティを維持することが可能であろう。それだけ技法や様式に幅がある。しかし写真をやっていると、ほっとけば他人と似てしまうのである。撮影対象は有限で、様式による見た目のちがいは絵画ほどではなく、新しい様式がそうそうあみだされるものでもない。写真とは一般に再現性に立脚しており、対象がなくてはどうにもならないというところからして対象に依存しているメディウムである。ゆえに人と同じ行動範囲で同様の対象を相手にするならば、撮影結果は程度の差はあれ似通ってくる。他人のアウトプットをたえず参照し、意識的にオリジナルであろうとしない限り、いずれは他人の轍を意図せずともなぞってしまうものなのである。絵画ほどの絶対性はなく、相対的な比較においてこそ意味を持つといえる。
そして、手持ちの駒を使い果たした時点で写真家のオリジナリティは失われる。あとは権威で押さえつけるか自己模倣か廃業しかない。絵画家にくらべて写真家の正味の現役期間が総じてはるかに短いのは、アイディアの新奇さが写真家の作家性を保証しているからであり、アイディアの枯渇とは、その人のみがなしうることの消滅を意味するからである。
いまさらオリジナリティを最優先するつもりはない。このように突き動かす動因とは、四半世紀来の顔なじみである徒労感、反復の空しさのほうである。ありふれたもの、すでになされたもの、見慣れたものをわざわざ繰り返すわけにはいかない。うまい写真や売れ線の写真といったものを産出し続ける模倣、そして個別性の馴致に与するわけにはいかないのだ。