睡眠時間短く疲労大。AF機。セットアップと機能の把握で1時間つぶれる。3年も経てばみんな忘れる。何とこの機種は150mmが使えないという。4X5じゃないのかよ。やむなくComponon135mmに。シュナイダーは絞りが星形なのといまどき単層コートなので買ったもののまったく使ってない。いざ焼こうと思ったら、露光スイッチを押しても露光がすぐとまってしまうという現象が頻出。ポーズ状態で秒数は途中でホールドされているので再開すればトータル秒数は同じになるはずなのだが、ハロゲンランプのフェードインとフェードアウトがあり、数秒程度の短時間露光ではその影響が無視できないように思える。それはいい。実質たいした問題じゃない。せっかくここぞとスイッチ押したのに途中で切れるんじゃ気分悪いよ。しかし直らない。OMEGAのコントローラではなく途中にかましてある東京光音製だかのアラーム発信器の不調なのだが外しかたがわからないという。もうひたすら脱力。フィルター値が飛ぶのはOMEGAの仕様らしい。ここまで来ると自分がろくでもないクレーマーなんじゃないかとさいなまれだす始末。
昨日までの傾斜支柱タイプとはまったく色が違う。フィルター値で30程度G寄り。どっちかのダイクロフィルターが焼けているのだろう。一からやり直し。傾斜支柱タイプよりネガキャリア受け部分は広いのに散光板は4x5ぎりぎりでちょっとずれるとけられる。
AFのコントローラは秒数セットがテンキーボタン式なので暗闇で露光秒数を変えるのが厄介。ダイアル式のLUCKYデジタルタイマーのほうが楽に変えられてよかった。しかし文句ばかり言っててもしょうがないので、焼き込みのためテンキーに夜光テープを貼ってどうにか全暗でも秒数が変えられるようにする。フットスイッチもなく夜光テープも貼られてなかったということから察するに、ここの客はみな焼き込みというものをしていないのだろうか。コサイン4乗則から導かれる引き伸ばしレンズの周辺光量低下を補正するために周囲を1/3段程度焼き込むのは、プリント濃度を全面均一にするためには必須なんだがね。そういえば昨日隣で焼いていた、コマフォト表4のフジの広告に写真が使われているどっかの先生のプリントは四隅が薄かったな。
AF機の変倍は非常に楽。サイズ出しも効率高いし倍率が0.1%単位で数値設定できるので作業環境の復帰もほぼ完璧で容易。変倍に伴って露光秒数も自動で補正してくれる。これについてはすばらしい。レンズが135mmだとガラスの縁が150mmより広く出るんじゃないかと思っていたが、ガラスが下側なのでむしろ減った。しかも半絞りのクリックが切ってあるので中間絞りの設定が容易。今回のネガは左右を挟んでガラスの上に乗っかっているだけなので、焦点深度を稼ぐ必要がある。しかしf16はちょっと絞りすぎなのと濃いネガで秒数が長くなりすぎてかえって熱によるネガの変形が懸念されたのでf11でやってたのだが、f13が正確に出せる。こんなことならはじめから135mmにしとけばよかった。描写も問題なし。下辺焼き込みはベース露光の1/2。
ネガのホコリを綿棒でとろうとしたら、こすったところの光沢が変わっている。ネガが汚れているのか、綿棒に何かが含ませてあるのか。ネガは汚い。キズもある。コニカはもう駄目だろう。
疲れたし今回はこのまま川崎で行くような気がする。まだわからんが。
集中力が落ちているのがはっきりわかる。このへんが限界。どうにか浦和を仕上げる。9時間。20x24は使い切る。印画紙の8x10と20x24とで後者がややマゼンタよりなのにようやく気づく。昨日まで何やってたんだ。
でも、これでいい。妥協ではなく、うるさいこといっててもつまらない。細かいことはどうでもよくなってきた。ホコリは多いしあちこち瑕瑾だらけだが、そういったノイズ要素もふくめて銀塩引き伸ばしのメディウムを提示することに意味があるのだ。見た目の完璧さを要求するならデジタルでやったほうがてっとりばやい。いまあえて銀塩引き伸ばしを使うとき、そういったトリヴィアリズムとは別のものをこの方式が与えてくれるという期待、この方式そのものに対する信憑なくして他にどんな積極的意義があるというのだろう。画質の優位性を云々して銀塩選択の理由にしているようでは先が見えている。もったいつけるための演出道具として手焼きしているような連中は言うに及ばず。工芸的な仕上げのよさは商売上の要請なのであって、われわれが期すべきはそことは別のところにあるはずだ。
寛容さは必要だ。寛容からおよそ遠いところにいるし、そのことによって可能になっているものもあることは意識した上で、やはり寛容さは必要だ。WORKSにもだいぶ不満はあるが、次もまた使うだろう。しかし3年前の4時間分の回数券が期限切れだと宣告されたのはまだ根に持っているけれど。有効期限だなんて聞いた覚えがない。経済観念を行動の主軸に置く人間がそんなことを忘れるわけがないんだが。