写真について職業的にものを言う立場の人々の一部の行状には目に余るものがある。20年前に植島啓司アメリカから輸入紹介した少なからずいかがわしい深読み手法とどこが違うのか判別がつけがたいような切り口を、いまだにやっているというのはいったいどういう料簡か。居酒屋談義のネタならば結構だが、アカデミズムがらみでこれだとすれば首をひねらざるをえない。かねてよりここでは新しければいいという風潮を疑問視してはいるけれども、アカデミシャンとしては、先行研究といかに異なる成果を提出しているかが生命線であって、どれだけ新しいかは特許出願なみに仔細に腑分けして明示されるべきもののはず。アートの新しさとは話が違う。20年前とは文脈が異なるからおのずと別物になるということかもしれないが、文脈は作るとか言っていながら芸大というとっくにできあがっている文脈に乗っかっているにすぎない教授先生なみのやる気レスさだ。
それとはちょっと違うが、メディアリテラシーがどうとか仰せの方々のなかには、それよりまず日本語のリテラシーを鍛え直したほうがいいんじゃないかと思われる例が散見される。こんなだらけた日本語で書きなぐっても説得力ないわな。