これまでここは「撮影日誌」として、撮影を行った日かプリントを行った日にのみ書くことにしていた。そもそもこれをつける目的は、写真撮影時のデータと経緯の覚書であった。ただのメモだったのだ。写真の実践が最優先なのであって、現場に出ることよりも機材の能書きが多いようでは当初の目的にそぐわないし、まして日誌をつける時間がかさんで撮影に行く時間が削られてしまったり、写真をめぐる雑感を書きつけたことによりあたかも立派に一仕事したかのごとくに思いこみ、それだけでこと足れりとしてしまうようでは本末転倒である。だから、余計なことをだらだら書きつけて「ただの撮影日誌」を逸脱することのないよう、撮影した日にしか書かないという制約を設けたのであった。しかし、撮影当日は疲れきってそのまま寝てしまうことが多く、時間がないのに天気がいいからと無理して撮影に出たときには数日経ってからやっと書いていたりということもしばしばあり、撮影した日に書くという原則はとっくに崩れていた。そしてまた、日頃考えてきたことを撮影した日のメモに便乗させるというのにも無理が出てきて、撮影かプリントをした日のみに縛る理由が薄れてきた。せいぜい、この記述が「撮影日誌であるという看板」を維持するという体裁の問題程度にすぎない。合理的に考えれば、そこに執着しても生産的な意味はありそうもない。書きたいことは率直に気がねなく書きたいときに書いたほうがいい。
そこで今後は書きとめる必要があれば随時アップすることにする。機材を背負ってただただ歩き続ける屋外のさまざまな場所がそのつどの身の置き所なのだが、ここもささやかながら自分の帰属する場所である。しかも、ともかく社会に対して開かれている場所でもある。こんな勝手な記述に関心を持ってくださるごく少数のかたのためにも、また機材や技術用語で検索して来ていただいた訪問者の便のうえでも、「ただの撮影日誌」で押し通そうとする素っ気なさをすこしばかり捨てて、読みやすさにもわずかながら配慮しようと思う。そして、いずれ来たるべき写真へと続く撮影行為の一端として、写真へと結実するようななんらかの総体を垣間見せるある種のサブテキストとして読んでいだけるとうれしい。だから、写真がらみのことがらに絞るという姿勢には変わりはない。美術といえども、写真とのつながりを持つことによってしかここでの興味の対象とはならない。しかもその「写真」とは、たとえ「写真一般」とされている場合であっても、最終的には「自分の写真」以外の何ものでもない。