写真とは選択である、という常套句がある。
写真をやっていると実に多くの判断をそのつど行っている。それを選択と捉えることも可能であり、そう見るのなら、いくつかの選択肢の中からいずれかを選ぶという局面は確かに多い。けれどもそれは人の生全部がつねにそうなのであって、写真をやっている者だけがことさらに選択を迫られるというわけではない。写真での選択とはそれ以外の実人生における選択とは異なる特権的な選択である、と主張したいのなら、それを示す合理的かつ説得的な根拠を教えてほしいものだ。たくさん撮影したコマの中からどれをセレクトするかが写真の勘所だとかいうような決まり文句は、伊藤義彦のハーフサイズカメラのコンタクトシートによるシリーズで20年も前に葬り去られている。いまだに写真は選択だと唱えてはばからない人々は、写真以外には何一つとしてやったことがないのだろうか。