鶏鳴時曇り空なので寝ていたら8時過ぎには晴れわたる。もっとも透明度は低い。迷って神田*明神へ。11時前着。門には前のビルの影。この時期だと南中時に日が当たるかどうかというところ。落葉しており春先よりは露出している。平日なのに人出は多い。拡声器で引率される地方の観光客の一群。まだ早かったか。12月だというのに。この分では他の有名どころも当分参拝客が絶えないかもしれない。
阿の狛犬へ。以前撮影の申告をしたからもうよかろう。明治天皇御来幸記念だかの石塔には木の影が落ちていてちょうどいい按配。春に来た時には同じくらいの時間帯で脇の木の影が狛犬から去るのをずっと待っていたのを思いおこすと、日の低さに驚く。今さら気づくようなことか。これまで幾公転分の日のめぐりを見てきたというのか。狛犬の右下から構えるとちょうど完全順光。オフセンター−ミディアム。もう少し早くてもよかったか。しかし見合わせる理由はない。平板といえば平板だが、画面上部で暗く落ちそうな鼻先にも光があたっている。春の撮影では眼窩が暗く落ちていたが、目の玉の半分くらいは日があたっていて悪そうな目つき。これも顔は顔なんだが、人の頭像のライトポジションやカメラポジションの方法体系はあてはめられないように思う。人の顔に対してクロス−ミディアムのプレーンライティングが推奨される最大の理由は、鼻に対する効果にあると思われる。鼻の影が光源の反対側にできることで立体感が強調され、鼻が高く、彫りが深く見える。ところが、犬の鼻は一般に斜め方向からの光で顔に影が落ちるような造作にはなっていない。だから人像に対する照明の定石を意識する必要はまったくない。実物の犬ならそんなことは元より思いつきもしないだろうが、動かない石像であり、しかもいくぶん擬人化されて人の顔も投影された像なのでそんなことを考慮する余地も出てくる。むろん通常のライトポジションが成立するような真っ当なカメラではないということもあるのだが。
11時過ぎから、ポラ切るとちょうどいい頃合なのでそのままカットフィルムの160VC、EV15.5、50s、わずかに右寄りかもしれないのでパンしてポラではやや上があいているがおさえでそのままQL160NC、45s、さらにポラでは少し上が切れているがカットフィルムで45s。ちらほら雲が出てくる。写ったかも。それ以外ここまでは順調だったのだが、最後にきっちり収めようとライズして行きすぎて戻したらやりすぎて、とやっていたら神官らしいメガネの老人に声をかけられる。「狛犬撮ってるの」「ええ狛犬とか」「珍しいでしょ」「大きいですね。そんなに古くはないですよね」「昭和9年だったか」うー時間ないのに。「レンズはどこ」「えーとレンズというか」「あ、これからつけるのね」難儀になってきた。にこやかだが「すみません」というと一瞬険しい顔つきになる。「お邪魔して」と続けるといいよいいよ、というが怪しんでもいるのだろう。やむなくピンホールであることを説明。ずっと立っているので撮ったポラも見せるとよくわからないという。ここが鼻で、と説明。あー日がどんどん動いていくというのに。気が散って集中できず。またも動かしすぎたりでてきめんに効率下がる。はやくどっかに行ってほしいのだが、よほど警戒しているのか暇なのか珍しいのか離れてくれない。まあ珍しくないわけがないが。何度もポラを見せて、どこを向いてるかわからないのでこうやって確認してるんです、といちいち解説。なんだかよくわからない、というのでカラーならもっとわかるかも、と極力感じよく説明して警戒を解くよう腑に落とさせるべく努める。それでも怪しい本性がにじみ出てきてしまうのだろうか。ただ、あれほど撮影内容を見せて狛犬を撮っているだけだと念押ししたうえで、冠布をかぶってほっといてもずっと去らなかったのをみると、警戒というよりむしろ単純に何をやっているのか興味があったのかもしれない。かえって、ていねいに説明したばかりにおもしろがらせてしまい、こちらの意に反してひきとめてしまったかと後で気づく。しかしながら、警戒と興味とはどこが違うのだろうと考えてみるとわからなくなる。警戒されているというのは、すなわち関心をもたれているということだ。関心の度合は何をもって測るか。当該の対象に対して払われる時間は尺度となりうるだろう。これ以上に多くの人に格差なく適用できる価値の物差しは思いあたらない。そうすると、今日、あの神官がこちらに投じたあの時間の内実は、はたして警戒だったのか、それとも興味だったのか。その見極めはつかない。というより、その区別を問うのは無意味なのではないか。理由はどうあれ、彼はあの箱に関心を持ち、彼の時間の一部分をともかくも投入したのである。さて、これまで、写真撮影時のふるまいでなく写真そのものに対して警戒されることはあったろうか。むしろそこでこそ警戒されるべきではないのか。この撮影日誌に対し警戒心から時間を費やしてくださるお方はいらっしゃるかもしれない。しかし展示に対してはどうか。もっとも展示を最上位に置く提示の価値序列の根拠も今さら薄弱きわまりない。なんにせよ、生ぬるい「好きか嫌いか」などという問題設定ではなく、その対象にどれだけの時間を注入したか、で評定されるのがもっとも適切な評価ではないのか。ワタクシ? ワタクシはといえば、絵画はともかく、他人の写真に対してはほぼまったく時間を費やしていない。まるで無「関心」。どうでもいい。ともあれそんなこんなでポラ13枚も使ってしまう。いくらたくさんあるとはいえ使いすぎ。しかも1枚はビューホールにしたまま開いてしまう。ようやくフレームが決まったことにはすでに南中し、頬にやや陰がさしてくる。チークシャドウというわけか。でもメスには見えんけど。眉の下にも陰が目立ってくる。明治天皇塔も日があたってきた。ごく薄い巻層雲が去るのを待ってQL、45s。でも入ったかも。塔は実は今回の位置ではフレームアウトしていた様子。12時過ぎ、西には巻層雲が昇ってくる。ここまで。
ひかえめに柏手だけ打ってお参り。二礼二拍子一礼とかなんとかやっているうやうやしいはずが妙に態度の大きな人がときどきいて、それも必ず拍子の音が不必要なまでにでかくて気おされしてしまうのだが、そんなことはやらない。もともとそんなことは教えられていないし、そんな習慣はない。あんなの最近やるようになったんでしょ。現にここでは年配のかたがたもみなさんつつましくおとなしくお参りしている。
湯島天神を下見してみると、こんな時期なのに出店が並んでいる。さすが学問の神様、これからの時期は参拝客が多いのだ。屋台の人に聞いてみると、店がなくなるのは25日だという。でも大晦日前からまた設置されて、それ以降は受験シーズン真っ盛りだから当分消えない。しかもここは天神さまの東京総支社。まさしく社だ。厳寒期でも人出は相当だろう。年末の数日しかない。でもこの時期は遠出したいんだがなあ。要検討。神田*明神の門の日当たりは確認しそびれた。午後は労働。