ひさびさのカラープリント。3月10日開封のRA-41薬品は、漂白定着のa液が白濁して沈殿している。夏頃にはすでにこんなだった。発色現像液はb液がやや着色しているようにも見えるが、04年開封の毒液を思いおこすとまだ序の口。このジャンキーがこんなジャンクに恵まれてみすみすフイにできるわけがない。さっそく溶解。うっかり発色現像のb液のにおいをかいでしまい、刺激臭にむせかえる。だが混合していくとどんどん液の色が変わり、薬品の効力は残っていると感じさせる。漂白定着は成分が溶けきらず浮遊する。これはあとでプロセッサの洗浄がたいへんだ。プリントの耐久性も落ちるだろうが、とにかく色さえ出ればいい。プロセッサに投入。東京大仏を焼いてみるとカラーバランスが崩れきっている。コントラストも低すぎ。やはりだめだったか。しかし漂白定着がへたっているのならわかるが、発色現像は見たところ使えそうだったのだが。漂白定着は予備があるが発色現像は買ってこないとない。なんてこったまた一日無駄にするのか。何枚焼いても色が出ない。青に大きく転んでいる。印画紙も4年以上前のジャンクなので原因の切り分けがつかない。定着液が現像槽に入ってしまった可能性もなくはない。そこでふとネガを仙台の布袋尊に替えてみたらあっさり色が出た。なーんだ。東京大仏は日没直前で露光不足、画面下部には光があたらずコントラストが低かったようだ。ということで薬品も印画紙も無罪放免。発色も充分。10カ月前の薬品。開封後1カ月が使用期限ということになっているが、ざまー見ろどっこい生きてるぜ。
こうなればどんどん焼ける。大宮狛犬は腐爛死す・ベーコンと化している。築地本願寺は連邦最高裁みたいだ。これは予想だにしなかった。この10カ月で撮影したネガ。ブランクがあっても難なく使える。この工程を会得しているということだ。手が覚えている、のではない、断じて。手という器官が独立して記憶能力をもっているわけがない。いや、「手が覚える」などという常套句を使う人々はひょっとすると、その人自身とは切り離された手が勝手にものを覚え込むような仕掛けを有しているのかもしれんが。といっても身体機制がどうとかいう議論に踏み込むつもりもない。会得している。それで充分。
影向堂はやや傾いているがこれでよしとする。深追いするほどの物件ではない。次世代器ネガも初のプリント。オフセット型。10年ものジャンクフィルムのせいか漏光かかぶっている。次世代器については思案のさなか。しかし、期限切れの烙印おされようと叩き売られようとどっこい生きのびてやる。こちとら生まれついてのジャンクだ。