朝から濁った空。このところずっとこんな調子。こないだ買ったSA72mmXLは中古なので初期不良保証期間内にテストして結像品質とシャッター精度を確認する必要がある。その期間が購入後2週間。それ以降異状が見つかっても返品はできなくなる。ところが時間がとれず2週間が経過してしまった。やっと時間ができたのでSinar背負っていつもの西新宿へ。RDPIIIばっかりでもつまらんので未経験のRVPFでも使ってみるかと買うが、SA90XLなどとの結果の比較という点では同じフィルムにすべきだった。13時過ぎ新宿中央公園へ。ここらは10年前にはレンズを都庁に向けている人が大勢いたものだが平日のせいもあってか見かけない。ベンチでぼーっとする年配リーマンと散歩の人ばかり。
橋上から都庁第二庁舎へ展開。ところが冠布を忘れた。出る前に確認したはずなんだが、ふた月前にSA90XLをテストしようとこの場所に来たときとおんなじ過ちを繰り返すとは。どうしてこうも足りないのだろう。でも帽子なんかで隠せばどうにか像は見える。三脚のロック部分に巻いてあるゴムが1個なかったのだが2個なくなっている。SinarF2デュアルロック後期型のフロントフレームより手持ちのジャンクF1のフロントフレームのほうがライズ量が多いので付け替えていったのだが、ジャンクだけあって水準器のビスがゆるんでいてがたがた動く。平行が出せないのでティルトではなくライズでこなすしかない。それにGitzo1370M雲台の第一パーン棒のグリップがもげたままになっていて、軽い箱なら金属の細いシャフトを手でつかんで回すだけでまあ固定できるのでそれでしばらくしのいでいたのだが、さすがに3kgを超えるSinarだと素手では締めきれずカメラが自重でおじぎをしてしまう。
どうにかごまかしつついざ露光しようと思ったら、しばらく前に通っていった2人組の警備員が戻ってきて撮影許可とかからんでくる。こんなとこでまで。寺なら撮影不可とあれば文句なく従う。何しろ私有地に入らせてもらっているのだ。でもここは公園じゃないか。三脚立てると庭が痛むというものでもないだろう。だいたいそんなことどこに書いてあるというのか。ごちゃごちゃほざくので「そこらで写真とってる人いくらでもいるでしょ」と応じると、三脚を指してこういうものを使っているからだとぬかす。「三脚立ててる人だってたくさんいますが」「そんなにいない」「夜とかうじゃうじゃいますよ。そんなことも知らないで何やってんですか」「こういう本格的なカメラを使っている人には撮影許可をとってもらうことになってるんです」「本格的じゃないです。本格的なカメラって何ですか」。こんなろくに固定できない雲台と穴が開いた蛇腹とがたがたのフロントフレームのおんぼろカメラのどこが「本格的」だというのか。しかも100年前と基本的にはまったく同じ原理の古めかしいカメラだというのに。確かにガタイだけは大きくて威圧的な押し出しではあるが、でかけりゃ本格的なのか。そもそも何が問題なのか。通行を妨害するからか。景観を破壊するとでもいうのか。そうではない。都庁に向けているのが気にくわないわけだ。元流行作家が首長になって以来ここ周辺で野宿者の取り締まりが強行されてきたのと同根の規制強化に決まっている。だがこんな大雑把なカメラに超広角レンズつけて何ができるというのか。都庁舎の室内が撮影されるのを警戒しているのなら、こんなものより200mm以上の狭角レンズを装着した手ぶれ防止機能つきのフォーサーズデジタル一眼レフカメラかなんかのほうがはるかに脅威であり、そのうえきわめて小さい。以前も述べたが、今後デジタルカメラの性能向上にともない、のぞきやら隠し撮りするにあたってどんどん三脚の必要などなくなり、こけおどしの大きさが必要な「プロ用」以外は小型化していくだろう。三脚を使うなんてのろまで牧歌的な写真のみになっていく。そうしたなかにあって、大がかりなカメラらしきものを構えているというだけで管理しようとすることのどこに実効的な意味があるのか。だが、ほんとに怖いのは実態に即した規制がなされたときだ。国家が本気で視覚情報を管理しようとしたなら、そのうち長いレンズをつけたカメラを構えているだけで取り締まられるような世の中にされてしまうことだってないとはいえない。自動車が、この国を支える最大の産業産品であり、景気の浮沈に大きく影響しているにもかかわらず、一方で法規制と税金でがんじがらめに縛られているように、重要な内需・輸出品目の一つであるカメラも、情報保護やらをお題目としていずれ経産省か警察の利権の温床となりはてるのかもしれない。
世間的了解からすると、カメラの小型化と高性能化によって、よからぬ目的に用いられる可能性は増す、ということになるのだろう。小型カメラなら戦前からMinoxがあるし、長焦点レンズだって数10年前からあるわけで、そんな可能性なんて大昔からあったのだが、そうした技術が誰にでも扱えるようになってきたのは確かであり、邪悪な用途と見なされているものに結びつきやすくなっているかもしれない。このカメラは一般の犯罪に必要そうな小回りはきかないので、そうした危険性は皆無だが、別の意味で危険である、などと何年か前なら語ったかもしれないが、もう語るだけむなしい。このカメラが美術なり写真の文脈で危機をもたらすなどと大風呂敷を広げられるほど無邪気でもないし、より微細な相であれクリティカルだなどとはもはや思えない。はるか以前から芸もなく反復されてきた「視線の暴力性」じゃあるまいし。むしろ、のどかでのんきでのんびりしている。別に危機も革命も望んでない。秩序と調和と平穏が得られればいい。撮影中もそんな調子でおとなしくやっているというのに、いかつい闖入者に攪乱されるとせっかくの平和な気分が害されてたいへん不愉快。だが、撮影を妨害してくる相手にいつもこんなにも呪詛を並べたてて殺意さえ覚えるのは、そのように平穏が乱されたということだけでなく、みずからが思い描くしかるべき評価と処遇からおよそほど遠いということを現実の場で突きつけられる局面の一つが、撮影許可がらみのこうしたやりとりだからなのだろう。
そう考えると、確かにこのカメラは危険である。すなわち、おのが経済状況、おのが精神状態、おのが行く末に対して、という点においてのみ危険なのである。
ひとしきりやり合ったのち、くだんの警備員、「自分は警備員ですが管理事務所も同じことを言います。とにかく言いましたから」と言い残して去る。そのように言ったかどうかが彼らにとっては職務上の重要事なのだ。「注意したのですが頑として聞き入れませんでした」となれば何が起ころうと責任を問われることはない。哀れな連中だ。もっともそんなのは警備員ばかりでなく世の中にはびこっている。ニンゲンのなれの果て。というか犬。というか犬に失礼。
さて撮影。高層雲が厚みを増してくる。ISO160にてEV15.3。雲の厚みで0.2絞り分の照度低下。6x6ホルダに装填し出た目より2段プラスでf22.5に1/8、f16.5に1/15、3段プラスで1/8だったか。その後第一庁舎に向けるのだが、雲台が傾いてしょうがないので下がり止めの位置でフレーム決めてf11.5、f16.5、f22.5、f32.5で2段プラス、f22.5で3段と4段プラスだったか。親玉が来るかと思ったがなかなか来ず、あえてもめごとを起こすつもりもないし、ここはもう飽きたので移動。低層の建築を探すがこのへんにはなかなかない。新宿中公園北交叉点へ。また雲台次第のフレーミングだが、ちょっと高すぎるので前方の脚を縮めて調整。ヘルムート・ニュートンが、かつては任意のカメラアングルに調整できる雲台などなかったので、彼の師匠は思い通りのフレームにするために三脚を伸ばしたり縮めたりして四苦八苦していたと語っていたが、まさにそんな感じ。そのような人に師事していただけあって斜めのレンズ方向というのは彼にも継承されているが、とんでもなく自由な角度にもなりきれていないというのもその限界なのかもしれない。なんにせよ、完全に過去の人。このまま忘却されるのみだろう。14時半頃撮影終了しそのままクリエイト新宿へ。わりと混んでいるが大半はアマチュアらしい。でも、商売でやっている連中よりも彼らのほうが息の長い客になるだろうからそのほうがいいのかもしれない。少なくとも利便性やコストや取引先の環境変化でほかに流れることは少ない。客によってはいろいろ手がかかるかもしれないが、クレームで手がかかるのは商売の連中だって同じこと。ラボのほうも地方への宅配サービスをやったりアマチュアへの対応を拡充させている様子。プリントの割引会員券のようなものがあるらしいのだが、クリエイトでは10年以上プリントしていないので蚊帳の外。2時間で現像が上がり確認。出た目の2段プラスではややアンダー。4段プラスはさすがにオーバー。よく考えたらまともに撮影してなかったので、シャッターのテストにはまるでなってないのだがまあよかろう。Velviaだけあって空が青くなって巻層雲が流れているように見える。充分鮮鋭で光学性能には問題なく、シャッターも実用精度は出ている、のかどうかは怪しいがこのいいかげんな用途には使える。