モノクロ追記

昨日の記事だが、せっかく手間暇かけて銀塩モノクロを行い、モノクロ感材の売り上げに貢献してくれている人々を糾弾するようなことを力説していてどうすると思い直した。
あれは展示される場合の話で、本人がモノクロをやる意義を感じてやっているのであれば部外者がどうこう言う筋合いはまるでない。モノクロフィルムを使い、場合によっては黄や赤のフィルターを入れ、モノクロ専用の引き伸ばし機でモノクロ印画紙に焼いている時点で、モノクロ以外にはやりようのない工程が踏まれているのであり、内容とはかかわりなく、モノクロであることの必要は充分に満たされている。
そして、モノクロであるだけで特有の傾向にはなるのだから、その時点でモノクロである理由は果たされているともいえる。モノクロであることの明確な理由は説明できないけれど、モノクロでやりたかった。そうした動機を無下には否定できない。向き不向きはあとからくる問題。
言いたかったのはまねっこでやっているインクジェットのモノクロモドキの浅はかさである。まねっこなのはインクジェット出力だけではない。あるレンタル暗室に行ったとき、カラー処理なのに、たぶんKodak BW400CNかIlfordXP2SuperあたりのC-41処理でカラーフィルムと同じ発色現像処理を行うモノクロフィルムを使い、それはいいのだが、カラー印画紙を使ってカラー引き伸ばし機で、しかるべきフィルター値でニュートラルグレーを出して疑似モノクロ画像を焼いている奴がいた。中身も、とっくに確立された「モノクロ風」のクリシェをただなぞっているだけのファッション写真。「おしゃれっぽい」モノクロの意匠をなんらの熟慮もなく反復しているだけ。唾棄すべきはこういうものである。銀塩感材を使っていようがゴミはゴミ。メディウムに対する反省的意識などかけらもない。ビジネス自体が惰性化したそこらのファッション誌の入稿原稿だろうし、ひょっとすると彼らにもいろんな事情があって、賃労働でやむをえずやっているのかもしれない。しかし、まともにものが考えられる人間が、客先に納品する入稿原稿なのに、カラー印画紙で焼いたマガイモノでお茶を濁すなんてことはまず考えられない。ちょっと考えをめぐらせれば、見る人が見ればなんだこれと思うと気づくだろう。モノクロのレンタルラボだってたくさんあるのだから、せっぱつまっていたにしても何とでもなるはず。
こういう客がここのレンタル暗室には多いようで、引き伸ばし機ごとにニュートラルが出せるフィルター値の設定まで用意されているらしい。これがまた、知らない人にはほんもののモノクロに見えてしまうくらい、うまい具合にニュートラルバランスがとれていて、インチキくささをいや増す。
カラー印画紙でモノクロを模しているメディウムのインチキさは、誰かから剽窃したスタイルをまねすることに何の疑いも抱かないような中身のインチキさが呼び寄せているのではないか。どちらも、借りものをもってきて、このくらいでいいだろう、と適当なところで片づけようとする安易さに由来している。
インクジェットのモノクロ出力もこれと同様だろう。なぜモノクロなのかを考えもせず、ただかっこいいからとか、いい雰囲気になるからという程度の了見で猿真似しているだけの嘘っぽさ。メディウムに対する無自覚は、実のところ写真内容への無自覚と相即不離なのである。
このごろインクジェットの展示でときどき見かけるのが、明らかに合成の黒フチ。インクジェットプリンタのデモプリントにもくっついていた記憶がある。ここで触れたのはまだ銀塩プリントした黒フチをスキャンしてくっつけているらしかったが、ソフトに組み込まれた出来合の黒フチつけプラグインのようなものがある様子。どこまで猿真似が好きなのだろう。
かつて「コンポラ」がはやるとその手のもの一色になったりという猿真似は繰り返されてきたわけだが、それは内容の模倣にすぎない。あるメディウムの効果を別のメディウムで安直になぞるという猿真似は、シネフィルムの粒状を模したヴィデオ画像エフェクトぐらいしか類例が思いつかないが、それだけに、廃れていくとも断言できず、このまま定着してしまうんじゃないかと空恐ろしい。考えてみれば再現とは猿真似だともいえ、猿真似が得意だとされるこの国の国民性に写真はきわめて合致しているのかもしれず……ざれごとはこのくらいにして働かないと。