Manfrotto#400ギアヘッド。とうとう購入。2年来の念願。これで撮影効率が格段に上がるはず。
梱包を解いて、そのでかさに気おされする。以前店頭でいじらせてもらったことはあり、大きさは知っていたはずだが、自分の部屋に持ち込むと威圧感が違う。大全紙程度のプリントはギャラリーにあっても大きく感じないが、自室で扱うとえらく大きく感じるというのと一緒か。それは部屋の広さもあるのだが、店舗や展示空間といったあまりなじみのない場所で見てもサイズの基準がないために大きさがピンと来ないが、日常の生活空間だと日頃親しんでいる物品に囲まれていて尺度が把握しやすいということだろう。
とにかくでかくて重い。サイズはボウリングボールと砲丸投げの砲丸の間くらい、質感もあんな調子。雲台だけなのに2.6kg。そして動作もこれまで使ってきた三脚類とは次元が違う。いや同じ3次元に属する現実の物体だけども。そう3次元。3方向の角度をクランクをぐるぐる回して変更するわけだが、あそびやガタがまったくない。歯車にはバックラッシュがつきもの、バックラッシュがなければ歯車はかみ合わないと思っていたのだが、手で回す限りはほとんど感知できない。動作はやや固いがネジで調整できる。ジナーP系と同様に自動ロック機構が搭載されているようで、クランクを回して止めれば動かなくなる。カメラ方向の精密かつ高剛性の制御が可能。
カメラの固定は組み込みのクイックシューで行う。構造上カメラを乗せるプレートの裏に指を入れてネジを回して締め上げるということができないのでクイックシューにせざるをえない。クイックシューはしっかり固定できるものが少なくて使わないのだが、これはセットすると微動だにしない。シューとカメラのとりつけ部分がゆるんでいては意味がないが、カメラの三脚穴に差すネジを取り巻くように3本のネジがシュープレートにあって、これを締めて完全に固定できる。Manfrottoの三脚に載せると三脚の天板側にも同様の機構があって、三脚と雲台を一体化できるようになっている。Gitzoなりの一般の雲台では、てっぺんにコルクとかゴムが貼ってあってカメラの底部に傷がつかないよう保護されている。Gitzoのエレヴェータ式のギア型センターポールの雲台との接触部にもプラ部品がある。これがブレの原因になる。だからシビアな人はコルクなんかはがしている。ところがManfrotto製品は雲台にも三脚にもそんなヤワな部分はなく、カメラに傷がつくのなんてお構いなしでネジで底板にグリグリと密着させる。
これなら耐荷重10kgは確実に保証される。
必要な性能に対してオーバースペック過ぎ。主な用途の現行器に対しては完全に過剰品質。一つ下の#405で充分だとも思ったのだが、もう一つの用途のSinarF2にはこれは頼りない。#405は#400とは作りがまったく違うのである。さらに下の#410と大差ない。クイックシュープレートも通り一遍だし、耐荷重7.5kgと謳われているが、#400と2.5kgの差とは思えない。アームがひょろっと長くて心もとない。この間にもう1機種があればちょうど手頃なのだが、#405で間に合わなきゃ400にしろということだろう。だが#400ではF2を載せると余力がありあまっている様子なのだ。
これはもてあましちゃうんじゃなかろうか。これまで機材をもてあました記憶はない。性能が足りなくて不満を感じる局面は多々あるけれど。6x9のビューカメラを買ったときには、使いこなせないのではないか、しかも重くて文字通り身に余るのではないかと最初は思ったが、3回も使ったら慣れた。操作も重量も支配下に置いた。それどころか3年もすれば不満が出てきて4x5に移行した。Foxfireのカメラバッグも倒れそうだが使うだろう。8x10のモノレールビューカメラやGitzoの5型5段三脚をもし入手したら、重すぎて使いづらいとは思うだろうが、オーバークオリティだとは感じないような気がする。MinoltaのFlashMeterVは宝の持ち腐れだと思った。これはフラッシュ光測光のための機能に7万とかの値付けがされているのであって、定常光を計るための露出計としてしか使わないのだったら3万とかの下位機種で充分。測光精度は変わらない。ただ、F値優先モードやEV表示、Lux表示はこのクラスにしかなくて、そのへんを使っているのでまったく無駄だったわけではない。大光量の撮影用光源と関連機材一式は、写真撮影用品としてはもっとも高額でかつ鬼面人を驚かす部類のしろものだろうが、必要があれば使うし使える。アシスタントとして操作したことがあるだけだが、自分の用途に関してなら使いこなせるだろう。2004年の個展を再撮影できる機会があり、予算が潤沢にあれば、スタジオを借りてストロボを使いまくって撮影したい。その時には25,600Wsでも足りないかもしれない。そこで自分の度量に余るとは感じないのではないか。
一般に販売されている写真用品で、自分の要求水準を明らかに超えていると思われるものはさほどない。それは、そもそも写真器材が、大方の用途で必要とされるスペックをちょうど満たす程度につくられており、それ以上の過剰な品質は、コスト上の理由から削られているということだろう。そしてこちら側はといえば、いつも写真機材の性能のぎりぎりのところで変なことをやらかしている。
だが、この雲台には自分の水準では及ばないものがあると思わせる。
何しろゴツい。この巨大なギアからして器械そのもの。これはカメラを支えるジャッキだ。多くの三脚に組み込まれているエレヴェータが上下方向の駆動を果たすので正確にはここがジャッキなのだが、それはディテールでしかない。だがこの雲台はギアそのものから成っている。マシンの図像としてステレオタイプなのはかみ合った歯車が回転する図であり、このギア雲台はその見本みたいなものだ。
だいたいManfrottにはこの雲台に見合う三脚が1本くらいしかない。Manfrottoの三脚はいろんな工夫が凝らしてあって、そのわりに安くて、Gitzoのようなブランドだけでもたせてるような製品よりもManfrottoをもっと使ったほうがいいと思うのだがGitzoも今ではManfrotto傘下だけど、その大型三脚でも#400はもてあまし気味。それはGitzoも同じで、4型では明らかに三脚が負けている。5型でも同様だと思う。これは固定式カメラスタンド用に作られた製品なのだろう。だからでっぱりが多く可搬性は考慮されていない様子。
そういう、自分では使いこなせない製品を知っておくという意味で所有するのもいいだろう。三脚につけると傾きそうだし、運搬中は明らかにヘッドが重すぎてバランスが悪いけど、これもまた頭でっかちでいい風情。今やっている写真にふさわしい。現在市販されている写真用の雲台としては、これよりゴツいしろものはあるまい。20x24判カメラは、ポラロイドが写真事業から撤退してさらに使い道が限られるようになっただろうが、あれはアンソニーカメラのように車輪つきの台に乗せて使うのだろう。と思ったら三脚に乗っけている。雲台はこの画像ではよく見えないが、傾いているのでたぶん使っているのだろう。おそらく11x14超の巨大カメラが珍しくなかった時代の雲台ではないか。断っておくが20x24の単位はインチ。cm表記なら50x60。それがフィルムサイズ。現在はそんな化け物カメラが一般的ではなくなったのにともない、それに応じた雲台は写真用としては供給されていないが、映画やビデオの撮影機材は写真用カメラとは価格も重量も桁が違い、当然それに対応したパンチの効いた雲台も存在する。これも別次元。ただしこれは2次元的である。ビデオ三脚なんて使ったことがなくてまったくの受け売りだが、基本的にこのあたりはいったん水平を出したら、重量のある機材をいかになめらかに動かすかにかかっているという。動かさないための写真用とは対照的。写真用の3ウェイ雲台のレベリングは左右方向の水平を出すためと、小型カメラ用の機種ではさらに縦位置にするための機能だが、シネ雲台では最初に雲台自体の水平をボールアダプター上で出すので、雲台には水平調整の必要などないし、ビデオに縦位置なんて通常はない。だからシネ雲台には上下方向のティルトと左右に回すパンの2方向の回転があればよく、2次元の回転軸だけがある。
ただ、昔のカメラ用の大型雲台も、ビデオや映画用の10数kgあるような雲台も、#400より大がかりではあっても、#400のようにカメラの向きを0.1°単位で制御する、といったことはできない。何しろギア雲台はManfrottoが特許を保有しているようなので、Manfrotto以外に出しているところはないだろう。この雲台はティルトに関していえばクランク1回転で5°相当の移動量であり、1°ティルトに対してクランク回転が約72°。クランクが大きいので0.1°以下の制御も充分可能である。撮影機材ではなく対象の架台となるとxyzステージがあって、精度でいえばこっちのほうがはるかに高いだろうが、10kgに及ぶ撮影機材を移動させるものではなかろう。
 
こんな些末事をだらだら書き連ねていてふと考えるのは、光学系を載せる架台でありながらこのように「動かさない」ことに執着するのは写真用くらいではないかということだ。他にこの形状のものとして思い浮かぶ例を考えてみると、天体望遠鏡赤道儀は地球の自転にあわせて「動かす」ことを主眼としているし、測量用のトランシットも、2点間の回転角を計測するのためのものであり、動かすのが主目的である。バードウォッチングに用いるフィールドスコープを載せる雲台にも、静止よりも動体追従性が問われるだろう。一方、半導体露光用のステッパーは地下何メートルとかの厚さのコンクリの台座に載せられるなど相当入念に振動対策を施してあるだろうが、当初から述べているとおり半導体メディウムとしての写真に属する。写真引き伸ばし機が頑丈につくられていて振動を抑えこんであるのと同じで、動かさないことが追求されているわけだ。
むろんブレを効果としてとりこんだ写真もたくさんある。カメラトスといわれる、露光中のカメラを投げる手法は、花火写真に似たようなのがあったし飽きるけど、ぱっと見にはなかなかおもしろいものがある。「動かない」「静止している」ことが写真の本質であるなどと稚拙な教条主義的議論をぶつつもりはまるでない。ただ、そうした写真も、ピントがきっちり合っていてブレのない鮮鋭な写真が技術的に正しいという価値基準のもとで、そうした価値基準から外れることで、鑑賞対象としての写真なり、それに準ずる「アートぽい」写真などと位置づけられてお墨付きをもらえるわけであり、「アートぽさ」といった文脈に乗らないような一般の商品撮影などでブレがあったらたちどころに失敗と見なされる。
一方、写真用でもスポーツ撮影などで用いられるアクション雲台は動体に追従する目的で用いられる。またモータースポーツや航空機の撮影では流し撮りという技術がある。比較的長い露光時間で、ゆるめた雲台に乗せた超望遠レンズを移動する対象にあわせて動かして写し止め、しかも背景はブラして主要対象を強調する。そういえば、考えてみたらこんにちではたいていの写真は手持ちのフリーハンドで撮影されていたのだった。流し撮りも600mmf4クラスの5kg以上あるようなレンズなら雲台必須だろうが、もっと軽くて短い玉なら手持ちで可能だろう。手持ち撮影なんてここ3年くらい、寺や神社で知らない人に渡されたコンパクトデジタルカメラでしかやってないのですっかり忘れていた。スポーツ撮影でのアクション雲台は、手持ちでは難しい条件で手持ちに近い機動性を持たせるための方策である。一脚もそれに類するものと思われる。
しかしながら、手持ち撮影やスポーツ撮影で、フリーハンドで自由に動かしながら撮影するにしても、一般には、露光中は静止していることが求められる。ブレや対象が動くのは特殊な効果であって、そればっかりでは相手にされない。流し撮りは主要対象を背景から浮き立たせるための手法であって、主要対象がきっちり止まっていなければ話にならない。
写し止め至上主義とでもいうべきものが写真というメディウム全体を覆っているのだ。それは、カメラをがっちりと固定して、あるいは手持ちで振動させないようにしながら極力短い時間で露光することで、シャープな輪郭の画像を得ようとするのをよしとする、あるいは手持ちでぶれずに撮影できる露光時間の長さを競うような態度のことである。
昔は対象が動く人物の場合には、対象までも押さえつけて動かないようにしていた。その後写真感光材料の研究が進み、撮影感材の感度が上昇していくにつれ、露光時間が短縮されていった。写真技術の歴史とは、一面では固定が必要とされる時間が短くなっていった歴史とも見ることができる。そうして、カメラをラフに持ったり暗い条件だったり高速で動く対象であっても写し止められるように進化してきた。ストロボは露光時間が極小となり、その歴史の極点ではあるのだが、遠い対象には届かないなど制約も多く、受光体の性能向上によって解決する方向での改良がこんにちのデジタルカメラでも続けられている。そしてまた、手ぶれ防止機能も写し止め至上主義のあらわれである。カメラをがっちり押さえて動かさないことが推奨されてきた中で、逆にレンズや受光体を動かしてしまう手ぶれ防止機能は当初違和感があった。だが、それは手の動きを相殺してカメラを静止させるための技術であると考えれば、やはりカメラの固定を別の手段で行う方法だと理解できる。鳥が歩行中に首を前後させて、歩行による首の移動をキャンセルし、結果として視点の絶対位置を固定させているようなものだ。
カメラを固定する、あるいは動く間もなく瞬時のうちに撮影を完了させてしまう、それがなんのために求められるのかといえば、写される対象を固定する、すなわち像として定着するためにほかならない。対象が与える視覚情報の再現としての忠実度を可能な限り上げていくことが最大の目標とされているのである。そのことへの好悪や是非以前に、現代の写真というメディウムがそのような理念下に設計され供給されていることは受け入れなければならない。