スポッティング(2) 筆

染料の次は筆。絵画の主要な道具であり、絵画の格下のジャンルと位置づけられてきた写真にたずさわる者にとっては厄介な代物。
10数年前、現代美術というジャンルで写真というメディウムの導入が流行していた頃、それまで絵画をやっていた人々、おもに美大の絵画科を出た人々がこぞって写真を使うようになった。彼らの大半は程なく消えたように思われるが、残った人々はたいてい映像に行ったりその後の流行を追っている。そのずっと前から、画家志望だったけどあきらめて写真家になった、といったエピソードも多かった。カルティエブレッソンとか、そのへんの古い世代ならいくらでもいる。
写真というジャンルは、ずっと昔から、絵画で挫折した人、つまり二流三流の絵描きがやるものと相場が決まっていたのである。横尾忠則イラストレータを廃業して画家になったことで「格上げ」されたことに示されるように、ジャンルとしての絵画とジャンルとしてのイラストレーションとの間には上位下位の位置づけが否定しようもなくあった。それと同様に長いこと写真は絵画より下位に位置するジャンルと見なされてきた。ここでの「ジャンル」が社会的・文化的な意味合いに属する概念であり、必然的に「上位」「下位」というのもそうした位置づけに則しているというのは確認しておいたほうがいいだろう。今でもなお、鑑賞対象としての写真というのは芸術の中で最近成り上がってきた新参者といった扱いを受けている。「最近は写真もおもしろいのが増えてきたね」などと言われるような身分に甘んじている程度のものなのだ。商業写真であれ鑑賞対象としての写真であれ、如才ない人であれば、今風の売れ筋の作法を短い期間で習得し模倣できるのであり、参入障壁は絵画より低い。それは基本的に再現的様式に縛られており、意匠が限られているというジャンルとしての簡便さにも起因するだろう。ただ、メディウムとしても、それなりの技術水準の達成が容易に得られるという点で、絵画よりずいぶんと「安く」て「お手軽」なのは否定しがたい。
そんなような重い文脈を背負っている筆という道具である。少なくとも、ろくにデッサンもできず美術から早々に落伍した人間にとっては、いまだにどこかしら畏敬の対象である。
もともと筆には縁遠かった。小学校中学年から水彩画を描いて、高校で油彩をかじってそれっきり。それ以降は写真をやるようになってたまにスポッティングで使う程度。書道も苦手だったし、毛筆というものにかかわった期間は短い。毛筆に限らず、鉛筆なりクレヨンなり、筆記具を愛用した時期もほとんどない。幼少時にくじで当てたパーカーの万年筆は、親に勝手に使われて遠のいた。中学高校と鉛筆で日記を書いてはいたが、悪筆だったこともあり、大学に入ると個人向けワープロ専用機が普及しだしてすぐに移行した。自分がどんな道具に立脚してきたかと考えると、間違いなく毛筆よりも刃物である。描いた塗ったではなくて切った貼ったでやってきたわけだ。物心ついてすでにおとなの裁ちばさみで紙を切っていた。お絵かきより工作のほうが好きだったし、絵より版画を熱心にやっていたかもしれない。調理も刃物だし、就職してからは版下製作がいちばん好きだった。編集業なのに。だが、一般に対象を切ること、分断し整理することよりも、何もない白地に何かをつくりあげていくことのほうが高度な所作ではないか。それはできなかった。空漠としたなかに自由に描ける筆や絵の具を思うと、果ても支えもないあまりの可能性に押しつぶされそうになる。
でも、スポッティングなどというのは、似た道具を使ってはいても、まったくそんな不安はない。やるべきことはほぼ決まっているからだ。正確にはそこで行うべきことには可能性の振れ幅があって、Photoshop上でスキャン画像や技術的によろしくない画像の欠陥部分をスポイトツールで消したりしていると、どこにコピーのソースを置くか、どうブラシで描くか迷うことがある。レタッチする部分が次第に広がっていくと、これはほとんど創作なのではないか、画像修整と描くこととの垣根はどこにあるのか、などと思案するような事態に陥りかねなくなる。でも、銀塩写真の修整作業では心配には及ばない。さっさと絵画から落ちこぼれた人間であって、もとの絵柄をつくりかえられるほどの筆の技量はかけらもない。
さて現実の話。ナムラ大成堂の白桂は落として筆先を駄目にしてしまった。まだ使えたのに。もったいない。ただ、フィルムのスポッティングはプリントへのそれよりずっと要求水準が上がるわけで、4x5から20x24に引き伸ばすとして、4倍の拡大率ならプリントの1/4のサイズと精度で作業しなければならないことになる。当然筆はもっと吟味しなければならない。ここ数年使っていたのはWinsor&NewtonのSceptre Gold II 101の0000番。これは400円程度と安価だが、合成毛が混植されていて最上級とは言えない。
スポット筆は20年前の『暗室百科』(写真工業出版社)第4版のフジカラー販売の広告では土生天祥堂の「中国産イタチ毛使用の最高級品」がなぜか10本組で出ている。『カメラマン手帳』では440円。これはまだ販売されているスポット筆だろう。462円。でも同社でももっと高価な白桂などがあり、品質はさほどでもないらしい。あまり扱っている小売り店舗がなく郵送してもらうと800円くらいになってしまうので見送り。国産はこの程度で、hamaや近代インターナショナル扱いのおそらく輸入品は1,000円以上。近代インターナショナル扱いの筆は今でもヨドバシ暗室売り場にあり、スポット筆とレタッチ筆がわけられていて、しかも太さが数種類用意されているのが立派。レタッチ筆のほうが穂先が長い。でもまだ太いような気がする。
そこで世界堂Raphaelのいちばん細くて短い8404の6/0番のコリンスキーを買う。15倍のルーペを持っていき、20本くらいある同種製品の穂先を些細に比較して選ぶ。つくづくバカ。1,200円程度。世界堂本店にある水彩筆ではこれがいちばん細いのだが、ナムラ大成堂のコリンスキーセーブルのSK10/0番はやや太いものの穂先のまとまりは上のように見える。Raphaelはちょろっと1、2本長いのが出ていてなんだか頼りない。700円程度。購入。ホルベインの78Kの000は3本あったものは穂先が不揃いに見えた。ハンズのDa Vinciは細いデザイン筆がない。小田急百貨店の上に伊東屋が入っているが使いものにならない。伊東屋は文具屋であって画材屋ではないと再確認。東口Lumine5階のToolsのほうがよほどいい。ここにはWinsor&NewtonのSeries7がうやうやしく箱に収めて陳列されている。ルーペでよく見るとたいしたことなさそうだが、ブランドものだしKodak推奨しているので0000番を買っておく。

左からRaphael 8404 6/0、ナムラ大成堂SK10/0、Winsor&Newton Series7 0000。目盛はmm。念のため。
これで太けりゃ市販品では無理だろう。でもそれ以前に指先の制御が追っつくかどうかのほうが問題。
室内の反射防止対策にダークカーテン用の布を買おうと新宿のTOAへ行ってみたら、ビルごと忽然と消えていた、新宿はあちこちに穴ぼこがあいている。