世の常というのか、多くの人が辿るお決まりのなりゆきには相応の理由があってそうなっているものだ。子供の頃ああいう大人にだけはなりたくないと思っていたのが、ひとたび大人になってみるや自分も例外ではなかった、というような。「いつかこうなる」という見下ろすような態度と自己卑下のないまぜになった大人の物言いには反発してきたし今でも抵抗しているつもりなのだが、ふと気づくと、酔っぱらって路上でゲロったり週刊誌の中吊り広告のゴシップネタを目で追ったり、もう枚挙にいとまがなく、「こんなはずじゃなかった」ありさまになりはてている。みっともない大人という存在には、そうならざるをえない理由があってなっているもので、その立場に近づくと自然に理解できるようになるし、身につまされるようになる。「大人になってみるとわかる」というわけだが、そういう居直りからして、かつての自分からすれば許せない堕落なのである。
名をあげた「アーティスト」が息切れしだして、初期の視覚的な訴求力を維持できなくなってくると、物語を支えにしたり「コンセプト」やら能書きをくっつけてヴィジュアルの弱さを補おうとしはじめる。それを繰り返しているうちにそうした強弁が通用しなくなるとやがて沈没していくが、物語のほうを主たる内容に転化させることで、ヴィジュアルな魅力が要求されない方面へ持っていって延命を図るという手もある。また、時宜にかなった設定で、おりおりの文化的・社会的な文脈とからめやすい内容であれば、そうした文脈を有効利用したい立場の人間の利害とかみあって重用される。ヴィジュアルのやせ細りには目をつぶってもらえるか、あるいは都合よくなんとでも言いくるめてもらえるし、そもそも文脈重視でとりあげる用途にとってヴィジュアル面にさしたる重要さはない。
わが身をかえりみる。ここでこうやって写真にくっつける話を紡いでいくというのは、見た目だけで写真をひとりだちさせられなくなってきて、こういうような能書きでどうにか補おうという悪あがきなのだろうか。かつて「自分だけはああはなるまい」と思っていたその事態に、すでにして陥ってしまっているのだろうか。他人をさんざん攻撃しておいて、いざ自分が衰弱してみると、しょうがないのがわかろうってものなのか。早くも枯れてしまったのか。しかもほとんど無名のままで、このまま無視されて終わるかもしれないというのに。
かつてはモダニズム的な制作物と制作者との峻別を旨とし、制作物に自分の痕跡を残すことをいさぎよしとしなかったものだが、そういうストイシズムにもだんだん疲れてきて、自分という人物が制作物に現れてもいいと思うようになったのだろうか。それは歳をとってつっぱりきれなくなって、みずからの体臭をさらすのを恥とも思わなくなったということだろうか。ただの老化なのか。そして下心や衰弱のために写真に物語を乗せようとしているのか。
でも物語というほど整序されてもいないし、だいたい写真の弱体化を下支えできるようなおもしろい物語でもない。物語は昔から苦手で、小説は今でも読まないし、映画も積極的には見ない。だいたいやってる写真はあいかわらずなので、紙芝居型のストーリーを持つような組写真や、数を見せてなんらかの物語を構成しようというものと違って、外側の物語となじみそうもない。私という歴史性を写真に纏わせようというのか。確かに、昔の歴史嫌いからはだいぶ変わってきた。子供の頃に政治や経済を下に見ていたのが次第に興味を持つようになったのと同様で、これは成長したということなのだろう。若い頃は論理的思考力に長けているので思弁型だが、歳をとって思考力が鈍り、それに代わって知識の蓄積が増えてものごとの見通しがつけられるようになるにつれ歴史型になっていくという、わりあい一般的な道を辿っているようだ。しかしここでだらだら書きつけているものは歴史と呼ぶには素朴すぎる。
この記述は物語や歴史といった流れを語ろうとしているのではなく、単に撮影に際しての事実を書きとめておこうという動機から綴っているのだと思う。写真が成立するときの事実をなるべくそのまま書きとる。実際にはそれだけだとやってても単調なのでくすぐりもあるけれど、事実の集積として残そうとしているのだろう。
そういえばそんなことを以前やろうとしていた。12年前に『ヌードの理論』という書籍を編集したことがある。翻訳だったが、書籍としては在社中唯一の自主企画だった。8人の写真家がみずからの写真について、使用機材や撮影方法、プリント法など実際の制作方法を語り、それを通じて制作の意図や写真家としての姿勢を明かすといった本だった。一冊のカメラ雑誌の中で同居しながらも交わることのない、カメラジャーナリズムと鑑賞対象としての写真についての言説とを、橋渡しすることができないか、写真家との話の中では自然に出てくる技術と写真内容とが結びついた語りの様式を、広く一般に普及させることはできないか、というもくろみだったのだ。批評というのはそれ自体ジャンルだが、その批評に対する疑問から、作家本人なり関係者によって伝えられる事実関係こそが重要だと当時は考えていた。これが売れて、続編のオリジナル日本版をつくるはずだった。しかし、売れなかった。体毛を露出させた女性ヌード写真集という妙な代物が当時大流行していて、またカメラ愛好者層の購入も見込まれ、うまくやれば当たったのだろうが、さっぱりだった。当然続刊も立ち消え。熱意があればいつか実現できる可能性はあったかもしれない。だが、どれほどの困難を乗り越えてもこの人の話を聞きたい、世に伝えたいと思える写真家が、実はいなかったのだった。それでは無理な話だ。そもそも編集が向いてない。同僚や同業者には心酔し信頼関係のある書き手が何人もいるが、自分は一人として見つけていない。それは編集者としては致命的な欠陥だが、自分でものをつくる人間には逆に必須の条件である。他人に任せられないなら自分でやるしかない。そうして写真をやっていくことにし、編集は廃業したはずだった。
ところが、やめたはずのことをやっていたのだ。今なしていること、写真を撮影し、ささやかながら発表しようとし、その制作過程の事実を記述して、ほとんど読み手は期待できないとはいえともかく公開する、というのは、編集者として写真家に依頼し形にして世に問おうと考えていたことを、みずからが主体となってやりなおしているわけだ。気がつかなかったし、すっかり忘れていたが、実はずっとやりたかったのかもしれない。勤め人として商品化し、社会的な影響を与えるということはできなかったけれど、20代の後半にあたためてきたことを身の丈に応じたサイズで細々とではあるが実現し、埋め合わせているのかもしれない。歳をとり衰え変わってきたどころか、ずっと続いていたのである。
そしてまたこれは一般に流通している写真についての語り口への異議申し立てでもある。年を経てまるくなったり転向したり体制に順応したり世間に巻かれたわけでもない。やっていることはあきれるほどにあいかわらず。「ああはなりたくなかったもの」は依然として「なりたくない」ままである。
これは、写真および写真についての記述の提示を問題としている。これにオリジナリティがあるとすれば、展示よりも先んじていることだろうか。たとえばエドワード・ウェストンのDaybooksは、彼の写真を見たあとで読まれるのが通常だが、これは写真よりも先に読まれる、少なくともその可能性がある。これの大部分を占める撮影記は、当の写真が見られなければほとんどなんの価値もない情報であり、いずれ写真が見られたときに意味を持つ。写真と写真を語るしかたとをこのように結びつけて提示することが、みずからの来歴と資質にふさわしいのだろうし、またここにしかなすべき余地はないのかもしれない。