もはや若手ではない。昨今の、若いうちに芽が出なかったら見込みはないといった風潮からすれば、すでに先行きは暗いのかもしれない。この歳でこの程度の評価では、すでに結論は出ているという社会的な烙印を押されているに等しい。しかしながら人生はそんなに短くして終わりはせず、80、90まで現役で残っていけるとするなら、まだまだ先は長い。そう考えると俄然見通しが開けてくる。現代美術といってもひとくくりにはできないにせよ、世間で華やかにとりざたされる体の現代美術は、基本的に受容対象として若年層をターゲットとすることでなりたっている。20年ほど前に「昔から現代音楽のコンサートには美人が多い」とされている雑誌記事を読んだ記憶がある。実際当時でも客席には身なりのいい20代前後の女性が目立っていた。むろんいわゆる現代音楽に限らない。かなり以前から、「現代」と冠される諸ジャンルには若い世代にとっての「知的に見られるためのアクセサリー」として活路を見いだそうとするあがきがあった。「おしゃれなフランス映画が好きなおしゃれなワタシが好き」的な若年層が背伸びするための手堅いアイテムとしての用途が、美術に限らず昔からの相場だったわけだ。しかしそんなファッション的傾向は、悪意と呪詛と憎悪と怨念にまみれドロドロしておよそカッコよさから程遠い芸術一般の住民とは相いれない。かくして「現代」と名がつくジャンルには、カッコワルイ連中とスノッブ人種との奇妙な混淆が起こり、ドロドロな連中はしゃかりきに洗練されようとし、甘く見られたくないファッションの連中は差がつくワードローブとして現代思想やら批評を纏おうとする。どちらにとっても無理な話だ。こうしていずれ張力に耐えられなくなったり、装飾品としての価値が投下する労力に見合わないことに気づいたりして、いずれ飽きて遠ざかっていく。「卒業」だ。若い頃は現代**にかぶれたけど最近はさっぱりで、的な通過儀礼の一段階として、昔から代々受け継がれてきたのである。しかしこれから高齢化が進展すれば消費や文化の中心は確実に高齢者層に移行する。年輩者を脱落させたり排除するようなジャンルはいずれ確実に淘汰される。いまのように若年層に媚びまくっているような販売戦略ではまったく通用しなくなるだろう。その時代まで残っていられるならば、まだ見込みはゼロではない。