前回、ピンホールカメラの視野が狭いと記述したことについての補足。
ピンホールカメラは広い画角の結像を映し出すことができるから、写真が発明されるずっと以前、1550年にジロラモ・カルダーノが両凸レンズを用いてカメラ・オブスキュラの投影像を明るくする方法を提唱する以前、ピンホールを使用したカメラ・オブスキュラが使われていた時代にはすでに、広視野画像の周辺部での変形効果が意識されていた可能性があるのではないかという疑問が生ずる。もっとも、当時の穴はわれわれが使っているような文字通りの針穴ではなくてもっと大きい穴だったはずなので、ピンホールという呼称には無理があるのだが、便宜上ピンホールカメラとしておく。カメラ・オブスキュラの概念図として残されている版画などを見たところでは、概して焦点距離に比して投影面の面積が狭く、極端な変形効果が確認できるほどの広範囲の結像は得られていなかったと思われるが、もっと広い範囲を映し出そうと広角型のカメラ・オブスキュラがつくられていた可能性は否定できない。
しかしながら、そうしたものがあったとしても、変形効果はほとんど確認できなかっただろうと思われる。なぜか。まず、ピンホールカメラでは広い画角の投影面の周辺部での光量低下が顕著である。コサイン4乗則とピンホールの口径食により、穴の大きさと板の厚さとの比率にもよるが、透視図法上の変形効果が明確になってくる35mmカメラでの焦点距離20mmの周辺部に相当する部分、つまり対角画角95°付近では、ピンホールと投影面が正対している場合の画面中心部に比較して7%以下の光量になっていると予想される。およそ4段の光量低下である。それなら、穴がある程度大きくて充分に明るい戸外に向けられていれば周辺部まで見渡せそうに思える。しかし、注意すべきは、4段の光量低下というのはあくまでその位置での明るさの指標にすぎないのであって、その通りの明るさで観察できるとは限らないということである。すりガラスを外して空中像の輝度を測定すればその程度の明るさが確認できるだろうし、そこに写真感材をおいて露光するならば相応の画像濃度が得られる。しかし、すりガラスを通して肉眼で観察した場合、正面から見たのでは周辺部は見かけ上の明るさよりも暗くなってほとんど見えない。これは、ピントグラスを使うカメラで広角レンズからの投影像を覗いたことがあればただちに了解されるだろう。ピンホールからの入射方向がガラスに対して直交から傾斜するにつれ、ガラス裏側の正面から見た場合にすりガラス面で散乱された光のうち目に届く光の量は少なくなる。視点が画面中心部に近い場合には、周辺部を中心部のほうから斜めに見ている状態となるのでさらに暗くなる。画面周辺部の結像を見るには、画面の外側のほうから、光線の入射方向に正対する状態で臨む必要がある。ところが、そうすると今度はすりガラスを、つまり像が投影された平面を斜めから見ることになり、さらなる幾何学的変形が発生して透視図法の平面上での形状からはかけ離れてしまう。しかも、カメラ・オブスキュラでは穴の径が大きかったと想像され、周辺部では結像が大きく流れるので、対象の詳細などほとんど見わけがつかなくなる。要するに、カメラ・オブスキュラでは広い画角の画面全面を一点から同時に視認することはできず、結局のところ透視図法を拡張した広角度の投影像を見ることはできなかったし、広角投影像の視野周辺部での変形という現象が発見されることもなかったと考えられる。
建築物などの直線で構成された対象については、透視図法の原理をもとに補整して、本来あるべき幾何学的形態を復元して認識されたのだろうが、人の顔については20世紀になって広角レンズにより目の当たりにされるまで、誰一人として透視図法上の「本来あるべき幾何学的形態」を見ることがかなわず、それ以前にはあのような変形が発生するとは考えられていなかったのではないだろうか。
結果として、ルネサンス期にしばしば見られる、建物には一点透視図法の極端なパースがついていて画面の隅では奥行き方向の直線が急角度に傾いているが、それを背景とする画面周辺部の人物には透視図法的変形は適用されず、どこでも画面中心部と同じである、という透視図法的混乱が発生することとなる。しかしこれを混乱とわれわれが認識できるのも、広角レンズによって得られた、背景も人物も等しく一律に機械的に透視図法的変形の適用を受けている画像を知っているからこそであって、日常的な視覚体験からはむしろ、さまざまな透視図法的主軸が混在している絵画のほうが自然に受け容れられる。なんたることか、セザンヌよりもはるか以前から、多視点的遠近法による空間再現はあたりまえに行われていたわけなのである。そして、写真はそれを単一視点による強固な透視図法的秩序に強引に引き戻した。というより本来の透視図法はここでようやく完成を見ることとなった。そうした意味で写真とはルネサンス的秩序の今さらな補完、きわめて反動的な先祖帰りであって、西洋絵画がいったんは御破算にしたはずの「再現」という様式の巨大な復興、新規まき直しなのである。
ピンホールカメラが広視野であるということは、カメラ・オブスキュラとして使われている間は誰の目にもとまらず、その結像が写真として定着されることではじめて理解されたと考えられる。初期の写真では感度が低すぎてピンホール写真には使えず、時代が下ってある程度感度が向上してはじめてピンホールを写真用レンズの代替とする可能性がひらけてきたはずなので、ここにいたってようやく、人類は透視図法本来の奇怪さや残酷さに気づいたのだろう。カメラ・オブスキュラなりピンホールカメラは写真の前段階のごとくに語られているが、実は写真によってピンホールという完全無収差でワイドフィールドの結像デバイスは新たに発見され直したというべきである。そしてまた、人間の肉眼を通じた視覚的空間認識が、カメラ・オブスキュラという客観的基準に頼ってさえも、透視図法に手心を加えて運用していたのに反して、広角レンズがそのような温情などいっさい与えず冷酷かつ杓子定規に透視図法を適用してみせたということを考えると、「カメラは機械の目」などという陳腐このうえない言い回しにもこれはこれで意味があると思われもするだろう。
 
EOS-1n+12-24はいまだ見つからない。やはり盗難にあったと諦めたほうがよさそうだ。しかし今頃になって個展のDMの束がひょっこり出てくる。よくあることだ。